もうすでにサンデーサンはない。結構大好きなファミレスの一つだった。ちなみにアイホップも無くなってしまった。
さて1993年、結婚することになって新居を構えたのが、日野市豊田だった。
一人暮らしの居城だった調布のアルカディア鈴木に結婚相手、妹、妹の旦那が集結、レンタカーでハイエースを借りてきての引越。これが独力で行った最後の引越だった。30代前半だったし、一人暮らしの荷物などたかが知れていたからだった。
国道20号は当時、日野バイパス開通前なので、日野橋を渡り、日野駅の側を通り、日野坂を登った。その先を左折すれば豊田駅北口だ。
引越を手伝ってくれた妹夫婦へのお礼が、サンデーサンでの食事だった。
数年後、妹夫婦も離婚し、我々も離婚する事になるのだが、その時はまさかそんな日が訪れるとは思ってもみなかった。
そのサンデーサンは、現在ココス豊田店になっている。サンデーサンはゼンショーグループである日本の企業で、ほとんどがココスに変わっているようだ。ちなみにアイホップは、カリフォルニアに本社を置くレストランチェーンで、日本では最初長崎屋の外食部門が提携して運営していた。
2012年7月10日火曜日
2012年7月8日日曜日
守谷から富山へ
金曜が土曜、土曜が日曜にずれ込んで、今日帰省となった。
10時に新守谷のMACで朝マックして、常総市、坂東市を抜け、目吹大橋で利根川を渡り千葉入り、16号に入りさいたまを横断して関越に入る。
12時に高坂SAで休憩して、1時に横川SAで昼食を取り、3時半に名立谷浜でコーヒーを飲み5時過ぎに富山市内に入った。
昨年は被災証明書を活用すべく、水戸まで北上し北関東自動車道を使っていたが、1時間半から2時間は違う。
当然ながら、疲れ具合、足の痛み具合も違う。段々しんどくなっているのは年齢のせいだろうか?
2012年7月2日月曜日
東京百景33「杉並区方南町」
東京百景、振り返って、まだ残っていた方南町。22歳から8年過ごしたこの町を忘れていたわけではけしてない。ちなみに39歳から10年過ごした江東区森下が今では最長だが、感受性の強かった20代を8年も過ごした方南町のすべてを書き記すには、このスペースはどうだろう。
オリジナル小説「ゼームス坂マンションストーリー」にある通り、方南町にやってきたのはアルバイトの面接がきっかけだった。
電気工事は半年、照明器具の配達も数ヶ月と仕事が続かない中、知り合いの紹介でボイラー管理(これは資格は要らず代表者が一人持っていれば良かった)を始める。これは仕事が楽だったせい
か、1年以上も続いた。
この頃、好きな女の子がいて、こんな年寄りじみた仕事をしていては駄目だ、と思い退職する。しかしながらまたも転職の旅となる。
結局、27歳の時に眼鏡店に就職するも、その好きな娘はとうに他の男のもとへ嫁いでいた。
さて、この方南町、電気工事会社の寮に数ヶ月いたあとは、泉南中学校(後藤久美子の出身校らしい)の正面にあった「桜荘」というアパートに3年ほどいて、後に「堀ノ内ハイツ」に5年ほど住む。桜荘は4畳半で、玄関とトイレ共用という貧相な環境だったが、オリジナル曲を数曲産み出した。堀ノ内ハイツは、初のバス付きのアパートで家賃は倍になったが、初のベッド、洗濯機のある生活をおくることになった。CDデッキ、ビデオデッキ等もこの頃初めて購入している。人生の上り坂だったのだろうか!
30歳になったのを機に調布の方に引越を計画するが、方南町は故郷と呼んでも良い場所の一つかもしれない。
オリジナル小説「ゼームス坂マンションストーリー」にある通り、方南町にやってきたのはアルバイトの面接がきっかけだった。
電気工事は半年、照明器具の配達も数ヶ月と仕事が続かない中、知り合いの紹介でボイラー管理(これは資格は要らず代表者が一人持っていれば良かった)を始める。これは仕事が楽だったせい
か、1年以上も続いた。
この頃、好きな女の子がいて、こんな年寄りじみた仕事をしていては駄目だ、と思い退職する。しかしながらまたも転職の旅となる。
結局、27歳の時に眼鏡店に就職するも、その好きな娘はとうに他の男のもとへ嫁いでいた。
さて、この方南町、電気工事会社の寮に数ヶ月いたあとは、泉南中学校(後藤久美子の出身校らしい)の正面にあった「桜荘」というアパートに3年ほどいて、後に「堀ノ内ハイツ」に5年ほど住む。桜荘は4畳半で、玄関とトイレ共用という貧相な環境だったが、オリジナル曲を数曲産み出した。堀ノ内ハイツは、初のバス付きのアパートで家賃は倍になったが、初のベッド、洗濯機のある生活をおくることになった。CDデッキ、ビデオデッキ等もこの頃初めて購入している。人生の上り坂だったのだろうか!
30歳になったのを機に調布の方に引越を計画するが、方南町は故郷と呼んでも良い場所の一つかもしれない。
2012年6月30日土曜日
2012年6月8日金曜日
東京百景32「宝町の階段」
2006年から2007年にかけての話であるが、前職の眼鏡店の支店が宝町にある。都営浅草線の宝町の駅が最寄りということだが、支店名は「銀座東」である。店長のFはとにかく若いながら優秀な店長で……まあ、彼は何をやっても成功するだろう。まあそれは良いとして……。
当時江東区の森下から、馬喰横山で都営新宿線から都営浅草線に乗り換えて通ったわけだが、宝町の改札を抜け、地上まで登りゆく階段の長さは尋常ではない。
まだ心臓手術する前は、これを一気に登る事は不可能だった。心臓に異常が見つかるまでは年のせいだと思っていた。
45歳だし……タバコも吸うし、しかたないのだ、と。
登りきった時は、酸素ボンベが必要かと思うほど苦しいのに、酸素ではなくニコチンとタールを補充してしまうのだ。それでもタバコはおいしかった。
心臓手術を終えて、久しぶりに銀座東店に顔を出した時、この階段を普通に登る事が出来た。そこで改めて、心臓が悪かったと思った。
店長のFにその話をすると……
「僕は毎日走ってあがってきます!」
〜そりゃあ、あんたは30だよ。若いよ〜と心は呟いたが、口から出たのは変な笑いだった。
「はははは」
当時江東区の森下から、馬喰横山で都営新宿線から都営浅草線に乗り換えて通ったわけだが、宝町の改札を抜け、地上まで登りゆく階段の長さは尋常ではない。
まだ心臓手術する前は、これを一気に登る事は不可能だった。心臓に異常が見つかるまでは年のせいだと思っていた。
45歳だし……タバコも吸うし、しかたないのだ、と。
登りきった時は、酸素ボンベが必要かと思うほど苦しいのに、酸素ではなくニコチンとタールを補充してしまうのだ。それでもタバコはおいしかった。
心臓手術を終えて、久しぶりに銀座東店に顔を出した時、この階段を普通に登る事が出来た。そこで改めて、心臓が悪かったと思った。
店長のFにその話をすると……
「僕は毎日走ってあがってきます!」
〜そりゃあ、あんたは30だよ。若いよ〜と心は呟いたが、口から出たのは変な笑いだった。
「はははは」
2012年6月3日日曜日
電工2種、試験終わったぜい!
家から1時間半かけて、豊洲の芝浦工大に行ってきました。問題は予想以上に難しく、配線図は最悪の工場だった。各所から早々に回答例が出されているので、答え合わせをすると何とか合格のようだ。取りあえず「おつかれさま」と言いたい。
2012年6月2日土曜日
登録:
投稿 (Atom)





