2016年1月9日土曜日

反富山感情……

母は富山出身である。
私は、その母が家出同然に上京して知り合った千葉県出身の父親のもとで生まれた。
だから千葉県出身だ。

実際、4歳か5歳で家族で富山に移り住み、19歳まで暮らしたことを考えれば、今となっては、故郷と呼んでも差し支えないのかもしれない。

幼い頃、多感だった私は他人と自分が違うことを得意としていた節があって、千葉県出身を誇りにしていて、富山をバカにしていた気がする。いやしていたのだ。

残念なことの積み重ねがそうさせたのだと考えられる。その最たるものがテレビのチャンネル数だった。当時はNHK2局と民放1局(日テレ系)の3局しかなく、始まったばかりのウルトラマン(TBS系列)がやってなかったことは、かなり私を凹ませた。日頃温厚な私が泣き叫んだ記憶が今数十年経っても残っている。

それが反富山感情に通じる第一歩だったか。

2016年1月7日木曜日

新年早々

インフルにやられた!A型だった。
カミさんも実家に行ってて、ひとりのたうち回ってる。

おかげさまで熱は引いたが……まだ少しふらふらする。
とにかく頑張って生きて行こう……。

そんなわけで挨拶代わりにこれを聞いとくれ。


2015年11月19日木曜日

東京百景52「晴海埠頭」

間違いなく、デートコースである。

1992年から職場の女性と交際を始めて、1993年4月に結婚した。

交際中に必要だと考え、マイカーを購入した。メタリックグリーンのスターレットだった。

そのマイカーで晴海埠頭に向かった。数回行った中で一番記憶に残っているのが、レインボーブリッジだ。

レインボーブリッジ開通が1993年8月となっているので、開通後に晴海埠頭からその雄姿を見に行ったのだろうか、あるいは開通前だったので晴海埠頭から見ることにしたのか。ただ眺望的には、絶好の場所であることには違いない。

その頃住んでいたのが日野の豊田だったんで、中央高速から首都高を利用して向かったのだと思われる。

薄れてゆく記憶の中で、レインボーブリッジだけが燦然と輝いている。何を彼女と語らい、何をしていたのか……。正直本当に思い出せない。情けない……。

2015年11月18日水曜日

東京百景51「佃大橋」

心臓手術前だったから2006年から2007年くらい、自身だと45歳前後の話……。

話というほどのことでもないのだけれど……。

当時勤めていた眼鏡店の銀座東店に時々応援で通っていた。
銀座東とはいうけれど、最寄りは都営浅草線の宝町という駅(地上までの階段の段数が多い!)

当時は、江東区の森下に住んでいたので、都営線つながりで、乗り換え1回で計4駅程度の短い通勤距離だった。

閉店しての帰り道。たまには別ルートで帰ろうと考える。
森下には2000年に都営大江戸線が開通していたので、隅田川を越えていけば月島駅辺りにでるだろうと気ままに散策気分……。

意外と歩く。

途中新富町駅で営団地下鉄に乗ろうと日和る気持ちも生まれるが、たったの一駅だ。

佃大橋のふもとにたどり着き、数段の短い階段を上る。
目の前には月島の高層マンション群で、それはもう今までの徒労を忘れるほど美しく感じられた。

そして夜の隅田川は穏やかで、時折ライトアップされた舟が橋下を通り過ぎていった。

佃大橋は、そうやって数回利用された。

心臓手術後、所属店異動に伴い、そこへ行くことはなかったと記憶する。

2015年11月15日日曜日

今年のライブを振り返る!

ユニットが3月末活動停止に追い込まれ、ソロ活動を余儀なくされる。
迎えた4月、オリジナル回帰をテーマにソロライブ!
40代の作品「残滓」
5月には、友人たんぽぽさんのお誘いで岡山遠征!
20代の作品で「孤独な街の冒険者」
6月には、ギタリストとして若者に混じりながら、音楽活動を続行!

7月、8月は夏の唄メドレーとかで何とか切り抜け9月以降はまたオリジナル回帰!
20代の作品で「地下鉄」
なお活動は続くも、少し息切れ状態……模索中である。

消えて行く往年のスター


消えて行く往年のスター
2015年
消えて行く往年のスター
親父が嘆いてた
子供だった僕はその人の事など知らず
宿題を嘆いていた

消えて行く往年のスター
お袋が悲しげに
涙を浮かべた瞳の向こうにある
テレビのワイドショー

親父もいつしか草葉の陰に
お袋も記憶が曖昧になって
今度は僕が嘆く番になった

消えてゆく僕らのヒーロー
正義と勇気を教えてくれた
消えてゆく僕らのヒロイン
スキャンダルさえ勲章だった

静かに流れてゆくニュース
今までは他人事だった
だけどまさかそれがあいつだなんて
そんな時代になった

そりゃあ、いつかは誰だって
尽きてしまうのが命だって
わかってるはずなのに煮え切らない
遣る瀬無いこの気持ち

あいつより長く生きる意味が
果たして僕にはあるのか
今日はいつもより深酒の予感がする

消えてゆく僕らのヒーロー
真似をして怪我をこさえた
消えてゆく僕らのヒロイン
いろいろ世話になったよ

消えてゆく僕らのヒーロー
君たちには、往年のスター
  4年ぶりの作詞作曲となります。 いろんな方が、実際亡くなられてゆくのは、本当に悲しいです。 オヤジ世代だと銀幕のヒロインだったりするんでしょうが……。 我々にとっては、ロックスターやグラビアアイドルが、いなくなってゆく……。 自分の思い出の一部ですよねえ。心がもがれてゆく。 歌詞を書くきっかけは、高倉健さんでした。 それを完成させて、附曲に導いたのは川島なおみさんの訃報でした。
弾き語りのライブ映像
これは 星空文庫TOKYO EARLY 3 YEARS −1982年− を参照いただければと思います。まあ、かいつまんで言うとアマチュアロックバンドの名前です。

2015年10月31日土曜日

東京百景50「明大前駅」

1987年頃の話だから、その年の7月に某眼鏡店に就職して府中の支店に通っていたはずである。

さらに住んでいたのが、杉並区堀ノ内、最寄りの駅は地下鉄丸ノ内線方南町駅である。

東京の路線図に精通する者なら、まず地下鉄で新宿に出て京王線に乗り換えると即答するであろう。実際定期券もそのように購入していた。ところが新宿に向かうというのは目標の府中に対して一旦離れてゆくわけである。なおかつ新宿駅の乗り換えの面倒さを考える。

そこで、数回試した方法なのだが、徒歩で明大前に向かう……正直徒歩では無理で、早足でなんとかいつも新宿で乗る特急に間に合う。

そして遅刻しそうな時は、その徒歩コースにタクシーを利用したりした。
「明大前駅までおねがいします!」

またその徒歩コースの途中で安レンタルビデオを見つけて、帰り道などはゆっくりと明大前から歩いた。歩くことは健康にもいいだろうし……。

明大前駅を乗換駅としていたその頃、駅近くのゲームセンターもかなり利用した。

ずっとお金の無駄遣いだとゲームセンターには縁がないと思っていたが、サラリーマンになって、いろんな経験を試みようと思ったのか、集中力の鍛錬とでも気持ちを切り替えたのか、1日数百円と決めて、当時だとギャラガとかのシューティングゲームが多かった。

また高校時代に喫茶店に入れず、縁のなかったパックマンが、パックマニアとして目の前に登場してかなりはまった。少ししてテトリスが登場してかなりの人気を博していた。

お色気ものでは、ギャルズパニックというゲームもはまっていた気がする。まだ20代だったし……そこんとこは、よろしくである。