2013年5月27日月曜日

ローン生活13年の歴史 −11−

話はいよいよ2007年、心臓手術の段になるが、これはもう語り尽くしているので、そこを参照してもらおう。

<星空文庫の「サイボーグの目覚め」>

テーマが「ローン生活」なので、金銭的なところをざっくり説明するとしよう。

心臓の大動脈弁の人工弁置換は、いったん心臓を停止させて人工心肺を使用するので、金額がかかるのだろう。約2ヶ月の入院費も含めて160万円だ。

正直社会保険の仕組みなど全然知らなかったものだから、後から高額療養費として、そっくり返ってくるとは思わなかった。

つまり入院療養中に健康以外の不安事も抱えなくてはいかなかった。
だからこそ、真っ先に某生命保険が見舞金として100万円用意してくれたことが、嬉しくてならなかった。20代からずっと「無駄だ、無駄だ」と思っていたけど……。

先にも書いたが、160万円はほどなく戻ってきたから、単純に100万円、苦しみと引き換えに手に入れたように思う。

休んでいた分の給与減はあったが、差し引いてもいくらかのプラスだ。
(でも年の暮れ、ボーナスも減っていた……それでもややプラスだけど)

さあ、そしてさらに特別待遇を受ける身になった。都営交通はすべてただ。区から3万円相当の「タクシー券」がもらえ、医療費は1パーセント負担。

これならローン生活を乗り切れるんじゃないか……そんな風にも思っていた2008年だが、翌年新しい決断をすることになる。

2013年5月26日日曜日

ローン生活13年の歴史 −10−

2005年初頭の上野店配属……そして秋には蒲田への異動!

管理職を降りて身軽になったとはいえ、蒲田は寝耳に水だった。
上野で自分自身を取り戻しつつあり、年末には資格試験を受ける予定でもあったのだ。

カラーコーディネーター2級……おかげさまで翌年2月に合格発表!一緒に受けて合格した後輩と祝杯をあげた。

蒲田へは大江戸線を大門で乗り換えJR浜松町駅から京浜東北である。
ちなみに森下を起点に錦糸町は東、千葉、渋谷は西(以上新宿線)。
同じく上野は北、蒲田は南(以上大江戸線)。
通勤方向東西南北を制覇したことになるわけだ……。

この蒲田の異動は、上野についで自己再発見の糸口になり、予想に反してやりがいを見つける事が出来た。
会社は創業35年という節目で「あの頃に戻ろう」キャンペーンを張っていた。それがちょうど私のフィーリングにあっていたように思う。

この年、自分へのご褒美にi-Macを購入する。98年の初代i-Mac、2001年のi-Bookから比べると明らかに進化していた。

そしてこの年の健康診断で、心臓の異常が発見され、循環器科へ定期的に通うようになった。この年頸椎にも問題があって、MRIを初体験している。

いよいよ大手術に向けての秒読みが開始されたのだ。

2013年5月23日木曜日

ローン生活13年の歴史 −9−

2005年上野に来たあたりから、次第に呪縛から解放される。

とにかく職場での辛かった日々はいったいなんだったんだろうと思うが、極度に管理化された空間では生きにくかったというしかあるまい。

2000年から2001年の渋谷、2002年と2004年の錦糸町は、私のような実力のないものが管理職など勤められるわけがなかったのだ。

それでも働かざるを得なかったのは、やっぱり住宅ローンのせいだと思う。

とにかく管理職を降りた事が一つ呪縛解放に功を奏したと思われるが、収入ダウンが誤算ではあった。ただ天秤にかければ、しょうがないというしかなかった。

上野店は、上司に恵まれ次第に本来の自分を取り戻していったように思う。

この上野店勤務、後の生活に大きく影響を与えたことが多々あった。
その一つ、2000年12月に開通した大江戸線による通勤初体験だった。

ちなみに渋谷勤務は、都営新宿線森下→神保町で東京メトロ半蔵門線に乗り換え。
2002年錦糸町は、森下→錦糸町を都営バスを利用した。
2003年千葉は、都営新宿線森下→馬喰横山で乗り換え(JR馬喰町)総武線快速。
2004年錦糸町は、この年半蔵門線が錦糸町の先、押上まで伸びたのでこれを利用する。都営新宿線森下→住吉で半蔵門線に乗り換え一駅。

そして2005年、都営大江戸線森下→上野御徒町という乗り換えなし通勤だった。

2005年はつくばエクスプレスが開業した年だが、都営大江戸線の新御徒町で乗り換えることができるのだ。

そして上野店の所属グループが総武線でなく、常磐線利用の支店ということもあり、このつくばエクスプレスを使う場面があったのだった。(2010年守谷に引っ越す動機の一つになったか)

毎日上野に通えば、その界隈には強くなるものだ。
2007年、東大病院に入院することになるが、上野とは目と鼻だった。その辺りの地理に詳しくなれたのも良かったと思う。


2013年5月22日水曜日

ローン生活13年の歴史 −8−

千葉から錦糸町に戻って……年が明けて2004年。

もう出世街道などどうでも良くなっていた。
管理職に固執する意味などなかった。

一般職に戻っても残業代が管理職手当を補う予定だった。

ところが実際は、残業さえも出来なくなってきていた。
やはり80年代や90年代は良かったのだ。
景気が悪くなっていた。どの業種もそうだろう。

人件費を抑えるために無駄な残業はさせないのだ。

ローンを組む時に、収入が下がる事など計算してなかったわけでもないが、実際そんな展開を迎えるとはねえ……。

とにかく、この年は管理職から一般職に落ちたことが一番のNEWSだ。
でも私生活は、相変わらずだったに違いない。
春には、飛鳥山、四谷飯田橋辺りの桜、根津神社のツツジ、亀戸天神の藤などを楽しみ、夏には、お台場、汐留辺りを闊歩し、麻布十番の夏祭り等に繰り出す。
秋には、古河庭園、春日神社辺りで菊を見たり……。

寒いのは苦手なので、冬はビデオ三昧だったり……。

年末、店長と一悶着あった。
異動を自ら願い出て……2005年からは上野店となった。

2013年5月21日火曜日

ローン生活13年の歴史 −7−

2003年……。

前回後味の悪い終わり方をしたので、明るい話題が提供できれば良いのだが……。

再婚とはいえ、新婚生活は悪くなかった。
森下という町を堪能したし、足の伸ばして日本橋浜町、人形町を闊歩して伝統と新興のグラデーションを味わった。

一番最寄りの繁華街、銀座も隅から隅まで歩いた。
高級嗜好はなかったが、ウインドーショッピングを楽しんだ。

大江戸線が開通して六本木のヒルズやミッドタウンを訪ねたし、汐留の駅が開業早々からの発展ぶりも楽しんでいた。

麻布十番のお祭りも毎年通ったし、隅田川の花火大会も毎年チェックしていた。

門前仲町の居酒屋を堪能した。

仕事がキツかった分、休日が充実していたのかもしれない。メリハリのある日々を送っていたのだなあと思う。

2003年、千葉に流されたことは結構良かった。ある種出世競争から外れたこともあるし、気心の知れた同僚達に癒される事大であった。

通勤が遠いけれど、千葉は良い所だった。ところがこの年の暮れにまたも錦糸町に呼び戻されてしまう。それもまたNo.3という立場だ。

正直、もう勘弁してくれ、というのが本音だった。

2013年5月20日月曜日

ローン生活13年の歴史 −6−

ローン生活13年の歴史などと書き始めてしまったが、それはイコール再婚の歴史である。

そしてもう一つは受難の歴史だったとも言える。
もし結婚してなければ、一人で受け止めていただろう。

再婚によって、会社は今一度私にチャンスをくれたのだと思う。
府中でくすぶっていた私に渋谷への異動命令が下る。

今思うと、そんな器ではなかったんだと思う。確かに店長経験者ではあった。
30代前半は、自分でもいくらか出来る男だと自負していた。
3年半店長をしている間に自身に満足してしまったか、どこかで成長する術を忘れてしまったようだ。

期待されて、渋谷のNo.3のポジションについたが、下からの突き上げに屈して、次第に窓際ポストに移動していった。

そんな私にさらに会社はチャンスをくれたが、これも乗り越える事が出来なかった。
2001年暮れのことだ。
江東区森下とは目と鼻の先、2002年1月からの錦糸町への異動、そしてまたもNo.3のポジションだった。

錦糸町への異動は、府中から渋谷の異動の比ではない。
それは距離ではない。当時東西南北の営業部体制を取っていた会社において、渋谷も府中も同じ西部営業部だが、錦糸町は千葉と同じ東部営業部になるのだ。
営業部を越えるのは、正直ストレスが半端ない。

しかしながら、ストレスが強いと結構頑張ってしまうもので、No.3からNo.2へ上る位置まで一度は這い上がった。

そこに店長が副部長に昇進する話がわき上がった。そして新たに千葉から新店長赴任という話が持ち上がった。

この政治的な動きの中で、もし私に実力が備わっていたら、多分No.2として3、4年はそこにいただろうが、翌2003年は、島流しのように千葉に葬られた。

2013年5月19日日曜日

ローン生活13年の歴史 −5−

2000年10月、2度目の結婚生活が始まった。

場所は江東区森下。
以前は深川と呼ばれた場所。
新大橋通りと清澄通りが交差する辺り……。

ざっくりとお金の話をしてしまおう。
30代からじっくり溜めた貯金は利息に消えたと思っていただこう。
マンションは4200万、これを35年ローンで割ると年間120万。
当時39歳、35年先の事はほとんど考えなかった。

月10万の家賃生活を過去にしていたので、最初高をくくっていた。
ところが自分の収入が減るという事は計算してなかったのだ。

自由になるのは月4〜5万が、徐々に2〜3万になり……貯金も出来ないから、繰り上げ返済も出来ない。多分払いきれない。

そんな不安をどこかで誤魔化し、高層階から見る、東京タワー、富士山、隅田川花火大会を満悦し、ウオーキングがてらの日本橋界隈、門前仲町付近、木場公園、錦糸町等の散策を楽しみ、インターネット使い放題(結局は管理費に定額で含まれているのだが)に現を抜かしていた。