12月28日、高岡市戸出の「銀の車輪」でのライブから
1、Top Of The World(The Carpenters cover)
2、Cant Take My Eyes Off You ~君の瞳に恋してる~ (The Boys Town Gang COVER)
以上が、Mr.vationとVanillaChocoとのジョイント。
次は、Mr.vationで
3、気絶するほど悩ましい〜セクシャルバイオレットNo.1
4、E=MC2
5、ベンチャーズ遊び(なんちゃってダイアモンドヘッド)
6、ホテル・カリフォルニア(?富山県?)
とまあ、今年の総集編ですねえ。
2013年12月31日火曜日
2013年12月27日金曜日
2013年12月25日水曜日
今年一番の後悔!!
今年一番の後悔!!
それは7月31日で某政策金融公庫を辞めた事だ。
自分の中で気持ちの整理が付かず、ずっともやもやしてきた。
友人にさえ「もったいない。何で辞めたの!」と言われるし……
ハローワークにいっても「もったいない」「もったいない」とまるできゃりーぱみゅぱみゅだ。
確かに4ヶ月働いたわけだが、正直最初の数日で辞めるべきだと気づくべきだった。よくも4ヶ月ぐずぐずしてしまったものだ。
さて分析を試みる。
1、ハローワークでの選択が性急すぎた?
前職「メガネの○ラダ」がブラック体質ありありであることに気付き、次の仕事を急いで探さなければ、と思っていた。もちろん生活費を切らさないためではあるが、正直蓄えがあったので、真実は「メガネの○ラダ」に対する当てつけがあった気がする。「次の所が決まっている」というスタンスに立ちたかったのだと思う。
2、入社するまでの準備期間とのギャップ!
面接と入社試験が有った。それはきちんとしていた。丁寧だと思った。なお言えば採用担当者が良かった。本当にウェルカムな雰囲気だった。
「メガネの○ラダ」は2月に退社したのだが、切りのいい4月1日の採用で決定したので、3月はゆっくり過ごせた。
いやな予感は入社2日ほどまえ、某政策金融公庫のIという女性から電話が有り、「もしまだ定期を買ってなければ、日払いも可能なので……」というおかしな電話が来た。これに何か気づくべきだったのか。いやこれでは分るまい……。
4月1日、入社当日、以前と雰囲気が違う。一つは私の面接採用者が九州に異動になっていた。この会社では当たり前で、数日前に異動が言い渡されるらしい。そして私を含め3人体制のパートのトップが退職していた。パートは計2名。私ともう一人のI。そう問題の"I"だ。
3、"I"の嫌がらせ。
若い時はいろんな職場で嫌がらせを受けながらも、何とか頑張ったこともあった。とはいえ、そんな陰湿な職場にはそれほど遭遇していないような気がする。多分"I"は新体制の中で私を迎え入れることに反対だったのだと思う。
最近思うのは、それは彼女一人がそう思っていたのか、あるいは新体制全体の総意だったのかということだ。採用担当者だけがウェルカムだったのではないか……ということだ。
職場の総意を彼女一人が背負って、嫌がらせを実行したのか。嫌がらせの一つ一つは他愛のないものばかりだった。小学生でも出来る仕事を与えておいて、やれ字が汚いとか、丁寧でないとか、雑だとか、やり方が間違ってるとか、それもヒステリックな声をあげて罵るのだ。多分これが上司と部下なら「パワハラ」なのだが、パート同士でなおかつ向こうは10歳も年下の女性だから、我慢せざるを得ない。
私が総意だと感じたのは、私が罵られてるのは、周囲に丸分りだから、何かフォローしてくれても良さそうなものだが、誰も何も言わないのだ。
それにこのご時世やたらと「コンプライアンス」の合唱で、「セクハラ」「パワハラ」で処分されないよう、社員全体が飼いならされた猫のようにちんまりと大人しくなっている。どこかの職場のように怒鳴ったり、笑ったり、叫んだりすることなど皆無だった。あれだけ嫌った「メガネの○ラダ」でさえ、懐かしく思ってきたのだった。
4、期待された後輩の入社
本当に必要とされていたのは、事務のプロフェッショナルだった。20代元銀行員の女性……普通に考えても理想のパートだ。そんなSさんが私に遅れる事、2ヶ月の6月から働き始めた。
私のようなずぶの素人と違い、1から教える事もないし、私の苦手な電話応対も平気でこなし、明るくて美人だ。50歳の男性で障害者で事務未経験の私に比べれば、素晴らしい人材で、私にさえ気を使ってくれる素晴らしい女性だ。当然周りもちやほやするし……。1ヶ月様子を見て、私はいなくてもいいと思えた。
居なくても良い場所に居るのは、辛かった。あの「メガネの○ラダ」から逃れて選んだはずだったのに、精神的に悪化しているのはどういうわけなのか。
6月末に退職願を書いた。職場のトップである支店長が同い年だったのもショックだった。同じ職場で一方はトップ、一方はどん底だった。
5、最後の1ヶ月は、居心地が良かった。
3ヶ月という期間では有ったが、FAX簿の管理とか、弔電、祝電の管理を任されていたので、そういった一つ一つをSさんに引き継がなければならなかった。概要をメールで送って、時間を取って口頭で教えたりするのは、なんだか気持ちがよかった。Sさんが若い女性だからということもあるだろうが、レベルが低くとも、自分が知っている事を他人に教えるという作業はやはり良いのだ。存在意義を感じられるのだ。
最後に総括……富山での就職。それも50歳を過ぎての就職はやはり厳しいと言わざるを得ない。まさかの2社連続の劣悪な待遇に甘んじてしまうなんて……。
「もったいない」と人は言う。かといって「辞めなければよかった」とは思わない。
だから冒頭の「今年一番の後悔!!」はちょっと違っていて、今年一番の後悔は辞めたことでなく、そんなところに勤めてしまったことだ。
「良い勉強になった」と捉えるしかないのだと思う。ただこの年になって味わうには、ちょっと酷ではないかと思われる。しかし身障者という言い訳に逃げてしまってはいけないのかもしれない。無理は禁物だが、戦えないわけではないのだ。
今年も決してすべてが悪かったわけでなく、茨城のマンションが売れたり、趣味の音楽の面で人とのつながりが生まれていったことは、本当に明るい材料だ。
今親戚に紹介してもらった小さなバイトをしている。仕事内容は問題ないが、お小遣い程度なので、もう少しちゃんとした仕事を見つけなければならない。2014年の課題である!!
それは7月31日で某政策金融公庫を辞めた事だ。
自分の中で気持ちの整理が付かず、ずっともやもやしてきた。
友人にさえ「もったいない。何で辞めたの!」と言われるし……
ハローワークにいっても「もったいない」「もったいない」とまるできゃりーぱみゅぱみゅだ。
確かに4ヶ月働いたわけだが、正直最初の数日で辞めるべきだと気づくべきだった。よくも4ヶ月ぐずぐずしてしまったものだ。
さて分析を試みる。
1、ハローワークでの選択が性急すぎた?
前職「メガネの○ラダ」がブラック体質ありありであることに気付き、次の仕事を急いで探さなければ、と思っていた。もちろん生活費を切らさないためではあるが、正直蓄えがあったので、真実は「メガネの○ラダ」に対する当てつけがあった気がする。「次の所が決まっている」というスタンスに立ちたかったのだと思う。
2、入社するまでの準備期間とのギャップ!
面接と入社試験が有った。それはきちんとしていた。丁寧だと思った。なお言えば採用担当者が良かった。本当にウェルカムな雰囲気だった。
「メガネの○ラダ」は2月に退社したのだが、切りのいい4月1日の採用で決定したので、3月はゆっくり過ごせた。
いやな予感は入社2日ほどまえ、某政策金融公庫のIという女性から電話が有り、「もしまだ定期を買ってなければ、日払いも可能なので……」というおかしな電話が来た。これに何か気づくべきだったのか。いやこれでは分るまい……。
4月1日、入社当日、以前と雰囲気が違う。一つは私の面接採用者が九州に異動になっていた。この会社では当たり前で、数日前に異動が言い渡されるらしい。そして私を含め3人体制のパートのトップが退職していた。パートは計2名。私ともう一人のI。そう問題の"I"だ。
3、"I"の嫌がらせ。
若い時はいろんな職場で嫌がらせを受けながらも、何とか頑張ったこともあった。とはいえ、そんな陰湿な職場にはそれほど遭遇していないような気がする。多分"I"は新体制の中で私を迎え入れることに反対だったのだと思う。
最近思うのは、それは彼女一人がそう思っていたのか、あるいは新体制全体の総意だったのかということだ。採用担当者だけがウェルカムだったのではないか……ということだ。
職場の総意を彼女一人が背負って、嫌がらせを実行したのか。嫌がらせの一つ一つは他愛のないものばかりだった。小学生でも出来る仕事を与えておいて、やれ字が汚いとか、丁寧でないとか、雑だとか、やり方が間違ってるとか、それもヒステリックな声をあげて罵るのだ。多分これが上司と部下なら「パワハラ」なのだが、パート同士でなおかつ向こうは10歳も年下の女性だから、我慢せざるを得ない。
私が総意だと感じたのは、私が罵られてるのは、周囲に丸分りだから、何かフォローしてくれても良さそうなものだが、誰も何も言わないのだ。
それにこのご時世やたらと「コンプライアンス」の合唱で、「セクハラ」「パワハラ」で処分されないよう、社員全体が飼いならされた猫のようにちんまりと大人しくなっている。どこかの職場のように怒鳴ったり、笑ったり、叫んだりすることなど皆無だった。あれだけ嫌った「メガネの○ラダ」でさえ、懐かしく思ってきたのだった。
4、期待された後輩の入社
本当に必要とされていたのは、事務のプロフェッショナルだった。20代元銀行員の女性……普通に考えても理想のパートだ。そんなSさんが私に遅れる事、2ヶ月の6月から働き始めた。
私のようなずぶの素人と違い、1から教える事もないし、私の苦手な電話応対も平気でこなし、明るくて美人だ。50歳の男性で障害者で事務未経験の私に比べれば、素晴らしい人材で、私にさえ気を使ってくれる素晴らしい女性だ。当然周りもちやほやするし……。1ヶ月様子を見て、私はいなくてもいいと思えた。
居なくても良い場所に居るのは、辛かった。あの「メガネの○ラダ」から逃れて選んだはずだったのに、精神的に悪化しているのはどういうわけなのか。
6月末に退職願を書いた。職場のトップである支店長が同い年だったのもショックだった。同じ職場で一方はトップ、一方はどん底だった。
5、最後の1ヶ月は、居心地が良かった。
3ヶ月という期間では有ったが、FAX簿の管理とか、弔電、祝電の管理を任されていたので、そういった一つ一つをSさんに引き継がなければならなかった。概要をメールで送って、時間を取って口頭で教えたりするのは、なんだか気持ちがよかった。Sさんが若い女性だからということもあるだろうが、レベルが低くとも、自分が知っている事を他人に教えるという作業はやはり良いのだ。存在意義を感じられるのだ。
最後に総括……富山での就職。それも50歳を過ぎての就職はやはり厳しいと言わざるを得ない。まさかの2社連続の劣悪な待遇に甘んじてしまうなんて……。
「もったいない」と人は言う。かといって「辞めなければよかった」とは思わない。
だから冒頭の「今年一番の後悔!!」はちょっと違っていて、今年一番の後悔は辞めたことでなく、そんなところに勤めてしまったことだ。
「良い勉強になった」と捉えるしかないのだと思う。ただこの年になって味わうには、ちょっと酷ではないかと思われる。しかし身障者という言い訳に逃げてしまってはいけないのかもしれない。無理は禁物だが、戦えないわけではないのだ。
今年も決してすべてが悪かったわけでなく、茨城のマンションが売れたり、趣味の音楽の面で人とのつながりが生まれていったことは、本当に明るい材料だ。
今親戚に紹介してもらった小さなバイトをしている。仕事内容は問題ないが、お小遣い程度なので、もう少しちゃんとした仕事を見つけなければならない。2014年の課題である!!
2013年12月1日日曜日
告知「銀の車輪 3周年記念を楽しもう♪」ライブ
今日になってしまった!
スムージーカフェ「銀の車輪」より
当店が開店してようやく丸3年を迎えることが出来そうで す。
これもひとえに皆様方のおかげです。
私自身がまだまだ何も出来ませんが、沢山の方々に支えら れながら、そしてこれからも楽しく人の集まるお店にして いきたいと思います。
今回も皆様の暖かいお気持ちの中で4年目を迎えたいと思 います。
10:30より「フルーツアート☆Xmas編」ランチを 食べて終了
13:00より「ハーブ蒸留体験」「アロマクラフト体験 」
1,000円~
14:00より 石田 和弘 & Junny Andloose
「Mr.vation」ギターユニット
15:30より ギターとキーボードのユニット
「バニラチョコ」
による生演奏ライブとなります。
お一人様1,500円にてフリードリンク、フリーフード となります。お子様は半額になります。
駐車は当店敷地内、もしくは隣接する元「鶴亀鉱泉」さん にお願いしますm(_ _)m
お時間出来ましたらお気軽にお立ち寄りください
スムージーカフェ「銀の車輪」より
当店が開店してようやく丸3年を迎えることが出来そうで
これもひとえに皆様方のおかげです。
私自身がまだまだ何も出来ませんが、沢山の方々に支えら
今回も皆様の暖かいお気持ちの中で4年目を迎えたいと思
10:30より「フルーツアート☆Xmas編」ランチを
13:00より「ハーブ蒸留体験」「アロマクラフト体験
1,000円~
14:00より 石田 和弘 & Junny Andloose
「Mr.vation」ギターユニット
15:30より ギターとキーボードのユニット
「バニラチョコ」
による生演奏ライブとなります。
お一人様1,500円にてフリードリンク、フリーフード
駐車は当店敷地内、もしくは隣接する元「鶴亀鉱泉」さん
お時間出来ましたらお気軽にお立ち寄りください
2013年11月1日金曜日
2013年10月を振り返る。
7月31日に某金融公庫のパート職を辞めた。
8月、9月は疲れた精神を癒すべく何もしないことを決め、好きな音楽にのめり込んだ。
8月には2回目のライブウッドに参加したし、9月には新ユニットMr.vationで高岡おとぎの森公園「らいぶすっぞ!」にも出演出来た。
その流れに乗っかって、10月も調子をこいて……
第1週目は、富山駅前路上ライブデビューを果たした。
第2週目は、砺波チューリップ公園の朝市ライブに参加した。
第3週目は、3回目のライブウッド出演を決めた。
第4週目は、2回目の「らいぶすっぞ!」に参加した。
そんな活動を通して、多くの方と知り合う事が出来た。
ただ決して音楽に現を抜かしていたわけではない。
毎週ハローワークに顔を出して、仕事を物色していた。
正直言うとこれと言ったものがない。
それでも、タウン誌を発行している会社や鉄道関係の会社の事務職に応募を出したものの、両者とも書類審査で落ちている。
鉄道関係の方は、今日(11月1日)不採用との文書を送ってきた。
本人的にやりたくないという気持ちが、どこか見え隠れしているのかもしれない。
退職金で何とか暮らしているが、無尽蔵ではないので、出来れば年内に何とかしたいものである。
何でも良いと思っていたが、ライブ活動が面白くなってきたので、土日はやっぱり休みたいだろうか……なんて、これじゃあなかなか決まらないだろうな。
8月、9月は疲れた精神を癒すべく何もしないことを決め、好きな音楽にのめり込んだ。
8月には2回目のライブウッドに参加したし、9月には新ユニットMr.vationで高岡おとぎの森公園「らいぶすっぞ!」にも出演出来た。
その流れに乗っかって、10月も調子をこいて……
第1週目は、富山駅前路上ライブデビューを果たした。
第2週目は、砺波チューリップ公園の朝市ライブに参加した。
第3週目は、3回目のライブウッド出演を決めた。
第4週目は、2回目の「らいぶすっぞ!」に参加した。
そんな活動を通して、多くの方と知り合う事が出来た。
ただ決して音楽に現を抜かしていたわけではない。
毎週ハローワークに顔を出して、仕事を物色していた。
正直言うとこれと言ったものがない。
それでも、タウン誌を発行している会社や鉄道関係の会社の事務職に応募を出したものの、両者とも書類審査で落ちている。
鉄道関係の方は、今日(11月1日)不採用との文書を送ってきた。
本人的にやりたくないという気持ちが、どこか見え隠れしているのかもしれない。
退職金で何とか暮らしているが、無尽蔵ではないので、出来れば年内に何とかしたいものである。
何でも良いと思っていたが、ライブ活動が面白くなってきたので、土日はやっぱり休みたいだろうか……なんて、これじゃあなかなか決まらないだろうな。
2013年10月26日土曜日
Mr.vation ライブ告知、「明日だった!」
高岡のおとぎの森公園で、二人ユニットのMr.vationとして出場します。
| 出 演 順 | 出演予定者 | 演奏時間 | 予定演奏時刻 |
| 1 | UpRice | 20分 | 11:30 |
| 2 | 高坂市晴 | 25分 | 11:55 |
| 3 | Rare Names | 30分 | 12:30 |
| 4 | 「ろくたん」 | 20分 | 13:05 |
| 5 | よし坊 | 30分 | 13:30 |
| 6 | Mr.vation | 35分 | 14:05 |
| 7 | 伏木太郎 | 20分 | 14:40 |
| 8 |
2013年10月24日木曜日
ライブウッド、一人反省会……。
一緒に出演した同士が、録画してアップしてくれたのでそれを見ながら一人愚痴ってみようという試みである。
まず1曲目であるが「TOKIO」!
今回は、自身の紹介も兼ねて高校を出て東京に向かい、50歳を過ぎて富山に戻るまでの流れを順に追いながら、今まで人前で歌われなかったであろう楽曲を紹介することが目的でもあった。
高校を卒業した年であり、あのジョン・レノンが凶弾に倒れた年の曲ということで、TOKIOになりました。もちろん沢田研二も好きでした。それに自身がジュニーと名乗っているのが、なんだかんだ言ってジュリーに引っ掛けている事も紹介出来るので、これだと思ったんでしょうね。
歌に入る前にその辺の説明をしてるんだけど、回りくどいですね。まあALTVENRYの名前の由来や、二人で活動してるMr.vationとかの関係なんかも説明してます。
歌に関していうと、5曲歌った中でこれが一番声も出てて、大きなミスも無く意外と良かったなあと思いました。
「この1980年ちょうど僕は3月高校を卒業して予備校に通いました。とにかく東京に行きたかったんですね。ちなみに「TOKIO」って東京のことだって分ると思うんですが……。今「TOKIO」っていうと、長瀬君とこのグループですけどね。当時沢田研二さん、それはもう全盛でした。愛称でジュリーって呼ばれてますね。あれは、歌のうまいミュージカルスター、ジュリーアンドリュースにあやかってるんですね。で、私の場合Junnyっていうんですけど、淳一なんであやかった訳ではないんです。でもJunny Andlooseなんて名前でFaceBookとかやってるのは、やっぱり狙ってるんですかね」
以上はここで言おうと思っていたMCの前書きです。結構余計な事をいっぱい喋ってますね。身内からは喋り過ぎというクレームももらいました(笑)
今回は、自身の紹介も兼ねて高校を出て東京に向かい、50歳を過ぎて富山に戻るまでの流れを順に追いながら、今まで人前で歌われなかったであろう楽曲を紹介することが目的でもあった。
高校を卒業した年であり、あのジョン・レノンが凶弾に倒れた年の曲ということで、TOKIOになりました。もちろん沢田研二も好きでした。それに自身がジュニーと名乗っているのが、なんだかんだ言ってジュリーに引っ掛けている事も紹介出来るので、これだと思ったんでしょうね。
歌に入る前にその辺の説明をしてるんだけど、回りくどいですね。まあALTVENRYの名前の由来や、二人で活動してるMr.vationとかの関係なんかも説明してます。
歌に関していうと、5曲歌った中でこれが一番声も出てて、大きなミスも無く意外と良かったなあと思いました。
「この1980年ちょうど僕は3月高校を卒業して予備校に通いました。とにかく東京に行きたかったんですね。ちなみに「TOKIO」って東京のことだって分ると思うんですが……。今「TOKIO」っていうと、長瀬君とこのグループですけどね。当時沢田研二さん、それはもう全盛でした。愛称でジュリーって呼ばれてますね。あれは、歌のうまいミュージカルスター、ジュリーアンドリュースにあやかってるんですね。で、私の場合Junnyっていうんですけど、淳一なんであやかった訳ではないんです。でもJunny Andlooseなんて名前でFaceBookとかやってるのは、やっぱり狙ってるんですかね」
以上はここで言おうと思っていたMCの前書きです。結構余計な事をいっぱい喋ってますね。身内からは喋り過ぎというクレームももらいました(笑)
2曲目は「ゴミ」!
20代半ばで書いておいて、人前で演奏するのが初めて!エポックメイキング!多分もうどこでも演奏しないでしょう。貴重だと思いますよォ。コードを1カ所間違えてますが、まあご愛嬌で。
3曲目は「夏の邂逅」!
この曲に入る前もうだうだ喋ってますね。まあ、20代で作った「ゴミ」から15年過ぎ、40歳頃書いたんで、自分の中で時間の開きを伝えたかったのかなあ、なんて……。
これは歌詞を2カ所誤摩化してしまってます。これは音楽サイトに投稿して聴けるのでリンクしておきます。MusicTrack「夏の邂逅」
4曲目は「Sweet Season」!
これに入る前もインターネットのメリット、デメリットなんかをしつこく喋ってますね。なんだか稚拙で恥ずかしいですね。これも音楽サイトに投稿して聴けるのでリンクしておきます。MusicTrack「Sweet Season」
最後の曲はカバー曲。
山下達郎の「さよなら夏の日」……。単純にカラオケなどでも歌う好きな曲を弾き語りしてみようという試みでした。
この曲の前のMCは、実は考えてなくて、最後に何を話そうかと思った時にふと、帰郷してこの1年間のことが頭をよぎってしまいました。
学生で富山を暮らす事と、社会人としてこの富山を生きる事はやはり別物……。自分がただ子供だっただけなのか……、はたまた富山が昔と変わってしまったのか……。
さて演奏の方は、まあまあ大きなミスも無く無事に終わりましたが、歌を聴いてると……うーん、うまくないなあ……。
一番の反省はMCかも……長年のサービス業が染み付いて、よく言えば腰の低い……つまりパンチのない、つまらない話のような気がしてなりません。
これからは、Mr.vationで相方が面白いトークを展開するので、こっちもかなり鍛えられるかもしれませんなあ(^^)/
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