2019年4月22日月曜日

東京百景56 「中野区中央」

 青梅街道にはいろんな思い出が溢れている。それはまた以前にも書かれてきたし、これからも書いて行くだろう。

  今回は1997年、初めて所帯を持った日野市豊田を離れ、数年ぶりに23区内に引越すことになったお話である。

 1993年4月私が結婚した相手は、中野に実家があった。だから結婚前も後も中野区中央にはよく通った。地下鉄の駅で言うと丸ノ内線の新中野が最寄りの駅だ。

 1997年4月に義母が他界して、義父が実家に一人になった。流石に心細いと思ったのか、長女とその相手である私に引越しの提案を持ちかけた。それも私に遠慮されたのか、同居ではなく近所のマンションだった。土地柄、マンションと駐車場代は併せて20万に手が届きそうな価格だったが、義父が半分持ってくれるという。

連れに先立たれた義父の心情を思えば、当然越すべきだと思った。一応最終決定は妻に委ねた。肉親とはいえ、何かわだかまりがあるかもしれないと思ったからだが、結局は6月に引越しを敢行することになる。

 30歳になって杉並区を離れ調布のアルカディア、そして所帯を構えたのが32歳、日野市豊田のサンライズ…そして中野区へ。36歳にならんとしていた。