SONGS 1981-1983


都会は勝者の街
no.1  1983年作
都会は勝利に微笑む顔
都会は敗北に涙する瞳
二元的なこの街には
生温い風は吹かない
BLACK&WHITE
本物の悪と正義が交差する
IN THE CITY

都会は若さが駆け抜けて行く
都会は人生を捨てた溜め息
二元的なこの街には
生温い風は吹かない
BLACK&WHITE
本物の夢と現実が交差する
IN THE CITY

都会は勝利に微笑む顔
都会は敗北に涙する瞳
二元的なこの街には
生温い風は吹かない
BLACK&WHITE
本物の悪と正義が交差する
IN THE CITY
まあ正直いって、今歌詞を読み返すと幼いなあ、と感じます。恥ずかしさを通り越して懐かしくもあるので、ここで紹介しようと試みたわけです。
また*TOKYO EARLY 10 YEARSとは別の側面から当時をふり帰ってみることができます。
「都会は勝者の街」ですが、この頃聞いていた音楽がすぐ分かってしまいます。サビに出てくる「BLACK&WHITE」は、ストラングラーズのサードアルバムですし、「IN THE CITY」は、JAMのデビューアルバムです。1977年頃のロンドンパンク5大バンドといえば、
セックスピストルズ
クラッシュ
ダムド
ストラングラーズ
ジャム
となっていますが、本当にパンクというのは最初の三バンドぐらいで、 この頃はみんなパンクといわれました。
TOKYO EARLY 10 YEARS…Altvenry初期の小説集で未完。初期の3年間だけを取り上げたTOKYO EARLY 3 YEARSは完成している。
孤独のヒーロー
no.2   1981年作
一人でいること生きること
空しく思い始めたとき
仲間になりたいばかりに
愚かな笑いを浮かべる

お前の心の底を
だれもが見抜いてる
孤独に疲れた奴を
相手にはしない

お前は一人
おそらくこの先も
どこへ行こうと変わらない

信じることができないお前は
愚かな微笑みを繰り返すだけ

一人でいること生きること
不安な気持ちを引き摺り
歩いてゆくのさ 倒れても
助けを求めることはない

俺には愛はいらない
涙を流しはしない
他人の力を借りて
生きては行かない

今はそんな強がりが言えても
明日はだれにも分からない

孤独に閉ざされて
身動きできずに
何かを探してる俺はだれだろう
TOKYO EARLY 3 YEARS 1981によれば、一番最初に書いた曲ということになっている。
「孤独のヒーロー」は、明らかにTHE WHOの影響を受けています。イントロのイメージは「ババ・オライリー」だし、途中スローになるところは、「ソング・イズ・オーバー」だ。いずれの曲もアルバム「who's next」に収められています。
さて「孤独のヒーロー」の歌詞についてだが、愛されたいという願望が人一倍強い男の話なのだなあ、と今になって思っている。人間、誰かを愛したいという願望と誰かから愛されたいという願望が、程よくブレンドされていると思うのだが、こいつの場合は、愛されたいという気持ちばかりで、人を愛そうという行為を妥協するもの、もしくはこびへつらうものであると勝手に思い込んでいるのである。もちろんこいつというのは、当時の僕自身かもしれない。
映画「さらば青春の光(1973年発表THE WHOの「四重人格」を1978年映画化したもの)」の主人公ジミーに通じるところがあるかもしれない。
静寂の中に
no.3   1982年作
静寂の中にうごめく
悪意の微笑みを
見逃すわけはない
必死の思いで吐いたセリフを
無視する悪意の空間さ

人の醜さがはっきりと
感じ取れる瞬間
俺の苦痛は怒りになり
やがて涙に変わる

涙に覆われた瞳が
この世を見つめるとき
限りなく美しく映ることを
だれに祈ればいいのか

夕闇の鐘の音は
今日一日の終りを
告げて鳴っている
目を閉じて両手合わせ
祈りの言葉を捧げる姿などない

人の醜さに慣らされて
感覚を無くして
何のためらいもなく他人を
傷付けられるのだろう

祈りに包まれた心が
この世を見つめるとき
だれもが現実になる夢が
いつかは現実になるのさ
「静寂の中に」も曲を聞かないと分からないが、この頃人気のあったカルチャー・クラブの影響を受けている。
さて、この歌詞についてであるが、夕闇の鐘の~のあたりは、名画「落ち穂拾い(?)」のイメージで書いている。
東京に来て四つ目だかのアルバイトをしている時に、何となく仲間はずれにされているような気がして、こんな詩ができたのではなかっただろうか。それとこの頃小説にはまっていて、特に太宰治の影響が出ているのではないか。人間の中の悪意を見つめ、傷付く人間こそが、美しい存在だ、などとかぶれているのである。
また歌詞という点では、中島みゆきにもかなり影響されている。「救われない魂は、傷付いた自分のことでなく、救われない魂は傷付けかえそうとしている自分だ。」という歌詞を聞いた時にどきりとしたものだ。(タイトルなんだっヶ?確かひとり上手と同じアルバムにはいっていたかな。)
中島みゆきは、僕が中学の時「時代」という曲で、世界歌謡祭のグランプリを取り注目し、やはり僕が高校の時に「狼になりたい」という曲で僕を驚かせた。日本の曲も侮れないなと思わせたアーティストの一人である。
ちなみに「狼になりたい」の中で牛丼の吉野家が出て来るが、当時富山にはなく、東京に出て、まず最初に吉野家に行ったことを思い出した。
革命の詩
no.4   1983年作
変わることを夢見て
空しく叫び続けた
夢に消えてく理想
涙ながしてたあの頃

時は流れて何時の間にか忘れていた
快楽にその身をゆだねていた
革命叫ぶ歌が流れるこの街で
過ぎて行く時間を
もう一度取り戻したい

限りない欲望に
酔いしれることもなく
叫んでも聞こえない
手を伸ばしても届かない

時は流れて何時の問にか忘れていた
快楽にその身を委ねていた
革命叫ぶ歌が流れるこの町で
過ぎて行く時間を
もう一度取り戻したい

走り出せば目の前に
立ち塞がる思い出
あの日と今日は何処か
似ているような気がする

だけどそんな思いは
どこかに吹き飛ばして
少しでも進もう光り輝く夢に向かって
革命叫ぶ歌を高らかに口ずさんで
何があってももう逃げる事はない
「革命の詩」というたいそうなタイトルをつけた曲は、アルトベンリで取り上げてもらった最初の曲だったような気がする。タイトルは大袈裟だが、この時はこれでいいと思っていた。何となくではあるが、日本語にこだわっていたような気がする。
この年から数年後に「マイ・レボリューション」で渡辺美里がブレイクするが、自分を変えたい、とかもっと良くしたいと思う時、それは自分自身の革命をめざすことなのである。
それにしても「マイ・レボリューション」の方は本当に良い曲で、作曲があの小室哲哉なのだから凄い。売れない時の方が良い曲を書いていたのでは?と書くと怒られてしまうかも知れません
あと革命というタイトルにこだわったのは、中学の時、初めて買ったLPレコードが、ミッシェル・ポルナレフの「ポルナレフ革命」だったからかもしれない。
閉じ込められた部屋の中
no.5   1983年作
閉じ込められた部屋の中では
世界の動きが手にとるようだ
ブラウン管とスピーカーが
すべてを教えてくれるのさ

はやりの服を着た奴等が
大きな顔して街を歩く
それを見つめてつまらないと
捨てゼリフを拾う奴はいない

テレビドラマの主人公たち
無意味な演技を続けているが
芸術的な意味はどこにも
感じることはできない

こんな事で売れる時代なんて
間違いだらけだ!気に食わないぜ!
そんな風に叫んでみたとしても
部屋の中にはだれもいない

この部屋を飛び出して自由に
なれたとしてもそれは無意味だ
風と消えたこの姿はだれにも
見付けることはできない
「閉じ込められた部屋の中」は、なかなかタイトルが決まらずにいて、結局歌いだしの部分をそのままタイトルにしてしまった。これは「人間として」にも言えることである。
閉じ込められた部屋の中というのは、この頃住んでいた百合ヶ丘の夢幻荘というアパートの中でと言うことなのだが、よくテレビを見ながら、批判めいたことを友人達と語り合っていたのを思い出して書いた曲だ。
何をいったところで、僕達のいったことに耳を傾けるものなど誰もいないのである。
まあ、確かに自分達の感性が優れていたとしてもそれを理解してくれる支持者がいなければ、話にならないのだ。
また、もし受け入れられて多くの支持者を会得したとすると、その時点で大衆化してしまい、優れたものでもなんでもなくなってしまうのだ。すなわち、孤高を保つことで、自分達の感性は輝くのだから放っといてくれという内容なのだ。
さすがに今はそんなふうに思ってはいないけれど、こんな歌詞を読み返すと、その頃のナイーブ(?)な感性が思い出されて懐かしく思います。
no.6   1983年作
人間として生まれてきたのさ
人間として死のうというのさ

だけど平気で嘘をつき
傷つけあって笑ってる
涙も流さずに

生まれた時は誰もが可愛い
天使のように微笑んでいるけど
いつか笑顔が歪んで
心の底も乱れて
汚れてしまってる

俺とお前は余りにも
違う道を歩いてきたけれど
どちらかが人間では
なくなりかけているらしい

人は必ず最後のときがくる
苦しみながら迎える奴もいる
だけどそれは今をどう
生きて行くかに懸かってる
誰もお前を助けてはくれない

俺とお前は余りにも
違う道を歩いてきたけれど
どちらかが人間では
なくなりかけているらしい

人間として生まれてきたのさ
人間として死のうというのさ
「人間として」も少々説教じみた臭い内容の歌詞である。
音楽的には、実をいうと松任谷由実の「DESTINY」のコード進行に影響を受けた。ユーミンに関しては、多くの支持者がいらっしゃると思うので多くは語らないが、この頃「守ってあげたい」というヒットがあった。結婚後、初のビッグヒットとなったわけだが、荒井由実時代に才能は出尽くしたと思っていただけにやはり、凄い人だと思った。
人間というと太宰治の「人間失格」にも触れておかねばなるまい。この小説、あまり好きではない。ただ超ロングセラーを記録しているのは確かなことなので、影響力はあるに違いない。それだけ人間的にもろい人が多いということなのだろうか。作品的には、「斜陽」や初期、中期の方が優れていると思う。
個人的に最も影響を受けたとすれば、処女創作集「晩年」であろう。初めて世に出した小説集なのに、「晩年」なのだからちょっと驚きだった。解説を読んでわかったが、これを書いて自殺するつもりだったらしい。それで晩年なら納得する。
この頃作った歌詞にはかなりそういう色が濃く出ているかもしれない。
no.7   1983年作
古い扉を開ければ
懐かしい思い出が
昔書いた落書き
苦しみに泣いていた
あの娘の あの娘の手紙

「私には分からない
いい加減な大人たち
二十歳になるだけで
大人には、成りたくない」

部屋の窓を開ければ
君の住んでた家が
どこかへ越していって
一年たったある日
あの娘の あの娘の手紙

「仕事は慣れたけれど
生きて行くのは辛い
どうして人間は
憎しみ合うのだろう」

ある夏の出来事
街で君を見かけた
化粧が良く似合う
どう見ても大人さ
何気なく思い出す
あの娘の あの娘の手紙

「私には分からない
いい加減な大人たち
二十歳になるだけで
大人には、成りたくない」
「あの子の手紙」を見ると、異性が初めて登場するのである。今までもそうだが、作った曲の大半は、あまり男女にこだわってなく、ひとり対社会という構図が多いのだ。
別に何かが変わったわけではなく、こんな曲も書いておきたかっただけだ。僕が二十歳になった頃、妹はまだ高校生で田舎にいた。東京にいち早く出てきた兄貴に手紙をくれたことがこの曲のモチーフである。
実は意識した曲がある。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」と谷山浩子の「カントリーガール」だ。どちらの曲もストーリーになっていて、起承転結がある。それに展開が似ている。田舎から出て来た主人公が都会に翻弄される様が似ている。
「木綿のハンカチーフ」の方は、都会の生活に染まって、もう帰れないという男に、涙を吹く木綿のハンカチーフを送って下さいという田舎少女のメッセージで終わっていて、「カントリーガール」の方は、田舎から出て来た少女が恋をするのだけれど、ふられてしまうまでを描いている。この曲シングルでは3番で終わっているが、4番があって、3番までを優しく見つめていた別の男が出て来てハッピーエンドで終わる。
なんとなくアニメ「キャンディー、キャンディー」を連想させる。ちなみに「キャンディー、キャンディー」は、少女漫画ながら男性でもファンがいる。高校時代の僕の友人もそうだった。逆境にめげず、強くいきてゆく女の子の話であるが、今思うと僕も結構好きだったが、当時は硬派の振りをしていたかもしれない。
これは 星空文庫TOKYO EARLY 3 YEARS −1982年− を参照いただければと思います。まあ、かいつまんで言うとアマチュアロックバンドの名前です。
altvenry1981年頃、JUNと呼ばれていたALTVENRY

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