2019年6月3日月曜日

6月に入って……

 まず1日は、実家に顔を出した。歩いて10分もかからない。最近は毎日昼飯を食べにゆく。

 この日は別に目的があった。この家は光が来ている。インターネットの話だ。

 そもそもパソコンを始めようと70代の母が3年前に契約し、パソコン本体も役所のお下がりが安かったと言って手に入れて、初心者向けの教科書まで用意しながら……初期段階で頓挫し全く手もつけなくなり、最近になって解約しようかなどと言うのである。

 私も随分ほっといたものだが、ここに来て自宅に以前使っていたAir Mac Expressが余っていることを思い出し、実家にWi-Fiを飛ばしてやろうと考えたのである。

 Air Mac Expressの設定にはMacが必要なので、13年前のi-Macを持っていったところ、古くて通用せず、今日は現役の(それでも9年前の)Mac-miniを持っていった。設定の仕方はネットで確認していたが、実際にやってみると(普段そんなことはしないせいもあるが)数時間かかってしまった。

 結果的に成功したので、母が使ってたパソコンは今までの使用場所から解放され、居間でも2階でも使えるようになった。そしておまけだが、FaceBookのIDとかパスワードを設定してあげてSNSデビューとなった。


 そして2日のこと……ほんとは昨日やるつもりだったベースアンプの比較購入を果たした。比較というのは、某中古楽器ショップの天正寺店にある7000円ほどのものと、同ショップの豊田店にある9000円ほどのものを試奏して決めたかったのだ。

 1日は天正寺店のみ顔を出した。メーカーはPARK by Marshallなんで、多分マーシャルの子会社的なものだろうと思う。音は25ワットで何と無く小さいのとノイズが少し気になった。

 2日は、豊田店でRandallの35ワットを確認した。こちらの方が良いなと思って購入。早速家に持ち帰り、練習に励んだ。

現在ギターのみならずベースも練習中である。

2019年5月31日金曜日

デジタル・タトゥー

 私自身は大変小さな存在であり、こんな場末のブログごときに何を書き込んだとしても、炎上することもなければ、誰かの人生を左右することもない。昨今でいうところのインフルエンサーとしての価値など全くない。

 が、しかしグーグルをはじめとするこの検索エンジンのいかに優秀なことか、万が一でもヒットする語彙を拾われてしまった時に、この薄汚れた人生に光を当てられ、見るも無残な私の容貌を晒しかねないのである。

 というわけで、今からでも遅くないと信じ過去の自身の言葉を見直し、特に固有名詞に関しては何かしらモザイクをかけていこうと試みるわけである。

消すに消せない過去の傷跡にならぬよう……デジタル・タトゥー

2019年5月26日日曜日

多分最後のアップデート!!

mac OS Sierraから High Sierraになった。

いやせざるを得なかった。

 5月21日だったか、ガレージバンド使用中に音が途切れた。
「mac OS Sierra音が途切れる」とYosemiteからSierraにアップした2017年の6月初旬に書いた。

再インストールがお薦めと書きながら、再インストールせずに済んできた。 この症状に関してのいろんな情報がウェブには転がっていて……再起動(まずやるだろう)……PRAMのクリア(これも試した)……ヘッドホンジャック抜き差し(やってみた)。

 どれも試してダメで……AUDIO MIDI設定、オーディオ装置の画面でフォーマットを変更してやると音が出た。 ちなみに音が消えるタイミングもわかってきていて、メモリーの容量が少なくなると消えるので、メモリーを回復させるソフトを使ったりした。 

 今回はそれすらも反応せず、いわゆる再インストールになったわけだ。 現在最新のOSはMojaveというやつなんだが、これはもうハードウェア的にインストールできない。

 私の Mac mini(2010mid)では古すぎるのだ。
 それにしてもHigh Sierraのインストールソフトをダウンロードしておいて正解だった。 

 さて、名前もSierraと High Sierraである。そんなに変わった感じはしない。とりあえず内臓出力からは安定した音が流れた。 

 流石にTASCAMのオーディオインターフェースは使えなくなった。mac OS Sierraの時にに使えなくなったと書きながら、なんと後継機種のドライバーを入れてやると使えたのだった。 High Sierraではそうはいかなかったが、2年伸びたわけだからまあ仕方ない。今度こそ新しいオーディオインターフェースを買おう。

2019年4月22日月曜日

東京百景56 「中野区中央」

 青梅街道にはいろんな思い出が溢れている。それはまた以前にも書かれてきたし、これからも書いて行くだろう。

  今回は1997年、初めて所帯を持った日野市豊田を離れ、数年ぶりに23区内に引越すことになったお話である。

 1993年4月私が結婚した相手は、中野に実家があった。だから結婚前も後も中野区中央にはよく通った。地下鉄の駅で言うと丸ノ内線の新中野が最寄りの駅だ。

 1997年4月に義母が他界して、義父が実家に一人になった。流石に心細いと思ったのか、長女とその相手である私に引越しの提案を持ちかけた。それも私に遠慮されたのか、同居ではなく近所のマンションだった。土地柄、マンションと駐車場代は併せて20万に手が届きそうな価格だったが、義父が半分持ってくれるという。

連れに先立たれた義父の心情を思えば、当然越すべきだと思った。一応最終決定は妻に委ねた。肉親とはいえ、何かわだかまりがあるかもしれないと思ったからだが、結局は6月に引越しを敢行することになる。

 30歳になって杉並区を離れ調布のアルカディア、そして所帯を構えたのが32歳、日野市豊田のサンライズ…そして中野区へ。36歳にならんとしていた。

2019年3月1日金曜日

東京百景55「日野市豊田」

 立川の不動産屋から紹介された物件だった。本当は国分寺とか国立あたりを考えてたのだが、家賃を10万と計算していた。

「多摩川を越さないと無理ですよ」

 そう言われて、そこに決めた。2LDKで駐車場込みで10万…悪くはなかった。

 独身最後の砦、調布のアルカディアはあっけなく2年で幕を閉じ、バラ色の新婚生活が日野市豊田で始まろうとしていた。

 1993年4月に式と入籍を予定していて、相手もその少し前に入居する手筈だった。

 3月上旬、一足先に入居した私を驚かせたのは寒さだった。都内とはいえやはり23区とは違うのか、あるいは作りが鉄筋コンクリではなかったからか…とにかく寒い。

 確かに暖房器具がなかった。注文したエアコンの設置予定は次の週だった。こたつがあったはずなのに見当たらないのは、前回の引越しで処分してしまったのか。

 取り敢えず昨シーズン買ったスキーウェアがあった。結局後にも先にもそれ一回の使用ではあったが…よかった、役に立った。

 この、結婚相手が入居するまでの数日…寒かった思い出ともう一つ記憶に蘇るのは、その頃横浜に所帯を持って暮らしていた学生時代からの親友、一緒にバンドを作ったりした友人が結婚祝いに駆けつけてくれたことだ。

 数年ぶりに夜を明かして語り合ったが、何を話したのかは、あまり思い出せない。もちろん思い出話だとは思うけれど…。

2019年2月23日土曜日

東京百景54「京王線仙川」

 私が1991年秋から1993年2月まで住んでいた調布市入間町のワンルームマンション、20分強歩くが最寄りの駅といえば仙川だった。

 調布市入間町は駅の南側になるが、駅の北側の住宅街に職場の先輩が住んでいた。YAMAHAの音楽ディレクターだったという経歴の持ち主で、仕事中手の空いている時には、経験に基づく音楽論や音楽的嗜好や過去の楽しい思い出などを聞かせていただいた。

 この方は音楽だけでなく、スキーやテニス、フィッシングにカヌー等多くの趣味を持っておられて、私がテニスを始めるようになったのもこの方の影響かと思われる。

 多分1992年の夏だと思うのだが、お互いが休みの日の先輩のお宅を訪ねて、その足で多摩川にカヌーをやりに行ったことがあった。

 随分記憶が曖昧になっているのだが、先輩宅を訪れたのは、そこから一緒にカヌーを運ぶためだ。かといって仙川駅から京王線で聖蹟桜ヶ丘まで移動したから電車にのる大きさだ。そう、河原に行って組み立てたんだ。折りたたんであったのだ……。

 数時間川を下ったわけだが、浅瀬が多くて手で運んで移動した記憶と天気が良かったこと、調子が上がってきていた時に河原にいる悪ガキに罵声を(聞こえなかったが)浴びせられたり、石を投げられたり(届かないくらいは離れていたか……)したことくらいの記憶しか残っていない。

 下流にある京王多摩川駅から帰路につくわけだが、京王線ならではだと妙に納得したことを今になって思い出した。

2019年1月31日木曜日

さあ車検だ……(2)

我が愛車マツダのデミオ、購入して9年目である。

 いよいよ明日車検なんだけど、買った時のことを思い出して、なんだか長々と書き連ねてしまっている。

 ちょうど9年前の2010年2月2日、江東区の森下から茨城県の守谷市に引っ越しをした。ほぼ10年住んだマンションは残債プラスアルファで売れたので、プラスアルファ 分潤った。そこから車を買ってもお釣りが出るような感じだった。新しいマンションもまたローンで購入したわけだが、都内のマンションよりももちろん安価で、頭金もそこそこあったから、月々の支払いは江東区時代の半分くらいだったろうか。

 茨城に越したとはいえ、職場は都内だったし、つくばエクスプレスは快適だったし、通勤時間が多少増えたものの、都落ちした感はまるでなかった。むしろ新しく始めた生活が楽しくて、未来は輝きに溢れていた。その一翼を担うのが、10年ぶりのマイカー生活だったというわけだ。

 江東区にいる頃から、デミオにしようと決めていた。だから一度試乗したいと思っていた。ちなみに引っ越し後、市役所等で住所変更などの事務手続きをするわけだが、免許の住所変更をするには取手警察署に行かなければならなかった。守谷市は市政開始して8年だし、面積も狭いせいか、警察署は取手市、税務署は龍ケ崎市に行かなければならなかった。

 守谷から取手は、関東鉄道常総線が走っている。インターネットで、途中下車するとマツダのディーラーがあることを調べていた。のちに守谷駅近くに移動してくるのだが、当時は稲戸井という駅にあった。なんだかアットホームな小さな感じだったが、そこの担当者に、試乗が終わったら取手警察署まで行くのだと話した途端、試乗ついでに取手まで行ってみられれば……となった。せいぜい10分くらいの試乗のイメージを持っていたのに、10年ぶりに一般道を30分以上走るのはちょっとびびったが、なんだか楽しくてその提案に乗った。

 無事に取手警察署で住所変更を終え、ディーラーに帰還。購入することになった。数回担当者と打ち合わせをして、やってきたのは3月に入ってからだった。すでにマンションの立体自走式駐車場の駐車スペースも確保し、準備万端だった。セルフの給油の仕方も理解していた。最初の1年は、休日のドライブを大いに楽しんだ。ロックシティ、アクロスモールといった守谷市内はもちろん、ひたち海浜公園、筑波山、あみアウトレット、牛久大仏等といった観光名所にも足を運んだ。またこの年の4月には有料だった新大利根橋が無料になって、都内にも向かいやすくなった。

 そろそろ、話を終えるのでまとめよう。

 デミオがやってきてほぼ1年後、東関東大震災が起こった。それがきっかけとなって故郷富山に戻ってくることになった。完全に移り住んだのは、さらに1年後でその間は守谷と富山を行ったり来たりする生活を送っていた。それが出来るのも車があったからである。そして富山に来てからは車なしの生活は考えられない。通勤にも使っているし、使わない日がないくらいだ。そしてまだ元気に走っている。新車を考えなくはないが、苦労をとみにして来たこいつには、格別な気持ちを抱いている。ありがとう。車検頑張ってくれ!

 

2019年1月30日水曜日

さあ車検だ……(1)

 我が愛車マツダのデミオ、購入して9年目である。

 マイカーとしては3代目、30代の頃に購入したスターレット、ヴィッツはもうすでにない。スターレットを8年くらい乗って、ヴィッツに買い換えた。そのヴィッツも江東区にマンションを購入した時に手放した。マンションローンが大変だったという理由もあるが、実際のところ車の必要がないくらい交通に関しては、立地条件の良いマンションだった。

 そのマンションローンを10年払い続けてきて40代後半、年功序列という時代はとうに過ぎ去っていて、収入は下がり続け、ローンの支払いが苦痛になり始めてきた。打開策として、収入アップを見込んだ転職を考えてはみたがうまい話はなく、たどり着いたのは引っ越し……。そうだ都内に固執するな。というわけで、ちょっと気になっていたつくばエクスプレス沿線のマンション探しを始めた。

 仕事の関係で時々利用していたが、やはりその新しさと秋葉原からつくば間が45分という利便性が目を引いた。最初に見た物件はつくばの少し手前のみどり野という駅にあった。部屋のつくりはグレードアップして金額は今のマンションの残債よりも安いのだ。心が動いたが、みどり野という駅、各停だけで急行は停まらず、駅及び駅周辺の寂しさがどうも気になっていた。そんな時に有力候補として浮上してきたのが、守谷にある大型マンションだった。

 結局、ここに決定したわけだが、マンション自体の差は特になかった。守谷駅に急行が停まり、守谷駅始発の電車があること、駅構内にコンビニ、フードコートがあり活気があること、駅周辺に大型ショッピングモールがあること等が大きな理由だった。さらに補足として、守谷は市制開始してまだ8年で、急速に人工が増えている人気の街であり、至る所に活気を感じ、将来性のある地域だったのだ。

 さて、つくばエクスプレスがあるので通勤には問題がないが、都内から出ることで考えていたのが10年放棄していたマイカー所有だった。だからマンション選び同様、引っ越す前から購入すべき車を物色していた。

……思いのほか長くなりそうなので、続く……(^^;