2013年6月27日木曜日

東京百景42「代々木」

2001年、完全に仕事の話である。

某メガネチェーン店、当時は渋谷グループに所属していただろうか。
代々木の店長が休みの時に店長代行をしていた。

確か当時は、一度新宿の店に鍵とメガネの完成品なんかを取りに行っていた気がする。それから代々木へ……今はもう無くなってしまったらしい。

その日、いつものように代々木にいるとK取締役がやってきた。
私は接客中だったが、気が気でない。
〜いったい何のようだ〜
どうも、私に用があるようだ。

お客様が店を出るまでの1時間弱、取締役はじっと見ていた。
〜何かしでかしただろうか〜

「今日は、どうされたんですか」
「実はね、異動の話なんだよ」

年明けの2002年から錦糸町へ行け、という話だった。
それから話はタバコの話になった。
取締役は吸わない派、私は吸う派だった。

さすがに個人の自由と思っているのか、止めろとは言わない。
その代わり、金銭と時間の無駄だという話をこってり聞かされた。

まあ、タバコに関しては2007年の心臓手術で泣く泣く禁煙するまで吸い続けた。
さすがに金銭的には値上げに継ぐ値上げに泣いたが、その至福の時間は何ものにも代え難かったと今でも思っている。

2013年6月23日日曜日

富山なんて、大キライじゃああ!! -3-

大袈裟なタイトルのコーナーを起ち上げてしまったが、もちろん良い所もある(早くも迎合か!)。

スーパー銭湯はどこもそこそこ良い!
湯めごこち、満天の湯、ファボーレの湯はいい。

ホームセンターもそこそこ居心地がいい。
カーマ、ムサシ……。

公共の施設では、市民プールが良い。

とはいえ、お約束通りのテーマで!

地鉄バスが最悪じゃあ!
まず窓が汚い!今乗っている67系統だけかと思ったら、他のもそうだった。市内で見せ場だと思われる城趾公園の景観や総曲輪や大和の町並みをきれいに見て欲しいとは思わないのだろうか。

エコマイカというICカードを導入したのは良いが、今ひとつ普及してないと思われる。乗車時にICカードを通す機械と過去の産物である整理券を発行する機械の二つが併用されているのは、なんとも見苦しい気がする。

乗務員がシステムに慣れてない気がする。
おかげでこの2ヶ月に2回、定期カードで定期区間を利用しているだけなのに、お金が引き落とされた。一度目はその場で気が付かなかったので、駅前の営業所まで出向いていって苦情を言うと取りあえずチャージして返金してくれた。2回目はその場で気が付いたら、運転手が慌てて自分の懐から小銭を出して返金してくれた。対応自体は悪くないが、そんなに頻繁に起きてどうする!!

まだまだ乗務員の資質や利用客のマナーの問題に言及したいが、この辺で(--)


2013年6月3日月曜日

富山なんて、大キライじゃああ!! -2-

-2-を書いてしまった。
コーナー化間違いなしだなあ。

-1-では島国根性と書いたが、役人根性という側面もある。

20代の頃、国鉄民営化に伴いJRが発足。
民営化という事で、顧客意識を持ち、接客技術が向上すれば、結果口の利き方にも注意を払うようになる。それは間違いなくその通りで、ここ数十年関東界隈でこの種の失望を味わった事はまずない。

国鉄だった頃は、居丈高な職員に蹂躙されていた感がある。
ああいった世界にはもう出会う事はない……と思っていた。

だが!しかーし!である。
富山の市営駐車場の職員がひどーい。
身障者なので、1時間320円が無料になるのだが……。
身障者に対する気遣いは求めないにしても、身障者手帳を穴の空く程ねめ回すのだ。
「これは東京都発行の手帳だから……」
住所変更してあるから、当然問題ないのだ。
知らないにしても、口からでまかせを言うとは……自分が不勉強なのを棚に上げて……。
「大丈夫な筈ですよ」と私は気にしない素振りで伝える。内心は怒り心頭だ。

そして、仕方なさそうに手帳と320円割引券を渡すのだ。

いかにも身障者をバカにしてるような。
今まで住んでいた自治体では経験しなかったので、本当にショックだ。

ローン生活13年の歴史 −13−

タイトルに13という数字が入ってるので、今回(-13-)でまとめよう。

江東区の森下から、2010年2月2日に茨城県守谷市に引っ越した。奇しくも2月2日は守谷市制が施行された記念日であり、その年が8年目だった。

この守谷への引越は何もかもが大正解だった。どこへ行っても何をやってもWelcomeだった。ロックシティ、ジョイフル本田、守谷トンネル、国道246、守谷市役所、もこバス、つくばエクスプレス、新大利根橋など引っ越したとたんに有料解除になった。

そして遷り住んだ高層マンション……広いリビング、オーダーで作ったカーテン。フロントでコーヒーなど販売していたり、敷地内にはセブンイレブンもあったし……。

出会う人々も悪意のある人はなく……ところが!

星空文庫の「2011年夏、疎開」を参照あれ!>

2011年3月の東日本大震災が重くのしかかっている。特に原発だ。
富山にはいつか帰るはずではあったが、こんなに早くその日が訪れようとは!

2011年の3ヶ月間は、とにかく今の富山を把握して、住むにはどうだろうか考える事になった。課題は住むべき場所だった。

問題を先送りするつもりはなかったが、疎開を終え守谷に戻って、ハローワークに行った。失業保険の手続きがまだだったからだ。そしてそこで技術を磨くべく国が提供している専門校を知る。これは意味のある出会いだったと思う。

というわけで2012年1月から6月は、学校に通うために確実に守谷にいることになった。これが功を奏して第2種電気工事士を取得する。まあ就職にはなんの影響も持たないのではあるが……。

そしてまた夏がやってきた。
答えを出さなくてはならなかった。まずは住処だ。
不思議なもので、昨年なかったものが、突然現れる。少々古いが、場所といい、広さといい、金額といい(退職金でまかなえる金額)、うってつけの物件。

これを購入するための活動が始まる。
一度守谷に戻って転出処理を住ませ、8月に再度富山に来て、転入して富山県民になるのだ。そして数日後に売買契約を住ませ、多少リフォームしてもらうことに……。
再度守谷に戻り、マンション売却活動を始め、引越を敢行する事になる。それは結局9月になってしまった。

マンション売却活動は、某不動産会社に任せて(森下売却と同じ業者)、富山における自分の足場を固めようと、就活に専念する。

就職の話はまた別の所でするとして……とにかく、眼鏡屋は10月21日から翌年2月20日という4ヶ月だけのもんだった。次の仕事は4月から働き始めたが、今まで全然いい話のなかった売却活動が好転したのが、新しい仕事を始めて半月後だった。

4月21日は、売買契約が成立。2300万で買った守谷のマンションは2290万で売却。購入して3年経っていたが、値崩れなしという素晴らしい結果だった。

さて、それを持って私のローン人生は終わるのだが、これから待ち受ける試練もひしひしと感じている。ゴールなんてないのだ。走り続けるしかない。それは50歳を過ぎてもなお……なのだ。





2013年6月1日土曜日

ローン生活13年の歴史 −12−

2007年の心臓手術は、とにかく大事件であったわけで……それ以降の生活の中心は、収入とか仕事とかじゃなくて、健康が一番の問題だった。

安定していた術後の体調だったが、2008年秋に異変が生じて再入院となる。

これもまた語り尽くしているのでそこを参照してもらおう。

星空文庫の「サイボーグの過信」

星空文庫の「サイボーグの掟」

2009年に再復帰するも、もう仕事の事などどうでも良くなっている。それはそれで問題で……会社としても、そんな輩を雇うわけがない。それでも何とか20年勤めた温情で生き延びていたはいた。

さて、それはそれとしてローンを払い始めて9年目だったが、来年(2010年)から利率がアップする予定となっていた。

最初に考えたのは、転職。これは退社して得た退職金をローンの繰り上げ返済に回そうという考えだった。

転職斡旋サイトに登録すると、さっそく担当者から連絡があり、担当者と面談することになった。物腰の柔らかい私よりも年配の担当者に指摘された事は、私の宝は2002年に取ったシスアドでも、趣味のコンピューターでもなく、やはり20数年続けて来た接客技術だろうという話になった。

転職熱が自然消滅していった秋口、ふと引越という考えが頭に浮かんだ。
「そうだ、住み替えだ!!」

都心に拘る必要はなかった。
通勤圏内ならどこでもいいじゃないか。
どうせなら、つくばエクスプレス沿線なんかいいんじゃないか!
つくばは、さすがに遠い。
でも埼玉、千葉ならいっきに茨城も悪くない。

いくつか物件をネットで探し見ると2千万円台で、かなりの物件があった。
下手をすると今よりも部屋数が多かったり、広かったり、内装がお洒落だったり……。

最初に見に行ったのが、みどり野というつくばの3個前の駅で、駅前に25階建てのでっかいマンションがあった。森下と同じ大京の物件で……ここが第1候補となって、再度アポを取って担当者に会う約束となっていた。

その間にいろいろ他の物件も見たりしていて、電車の始発にもなっている守谷の物件も気になっていた。次の休日に守谷によって、みどり野へ……という予定を組んでいたが、実際には、守谷で決定してしまい、みどり野行きをキャンセルしてロックシティ守谷(現イオンタウン守谷)でお茶をした。

物件的には変わらなくても、駅の規模、利便性、周囲の環境のどれを比較しても、その頃のみどり野には、何もなかった。10年後は分からないが、10年後は当方だってどうなっているかわからなかった。

とにかく決断は大成功だった。

星空文庫の「サイボーグの都落ち」

ざっくりだが、4200万で購入したマンション、10年で残は3500万程度だったが、そこを3800万で売ったことで、車も現金で購入したし、羽振りの良い日々が続いた。値が400万しか下がらなかったのは、ひとえにスカイツリー効果だったのだと思う。

私自身、日々伸びていくその姿に何かしらわくわくした気持ちをもらっていたような気がする。そのスカイツリーは守谷からも肉眼で確認が出来た。たいしたものだ。


富山なんて、大キライじゃああ!! -1-

そんなタイトルのコーナーを作ろうかと思うほど(作るつもりでタイトルに -1- と入れてしまった)、この学生時代を過ごした街の嫌だった部分を少しずつ、味わいかえしている毎日である。

嫌なところ……言葉がいやだ。性根が腐ってる。妙に意固地だ。超保身的だ。

などなどいろいろあって、毎回具体的に紹介していく事で、全容が明らかになるのだと思う。

日本そのものに島国根性という言葉があるけれど、それの最たるものだ。地元意識が強い。よそ者に冷たい。よそ者に妙に意地悪だ。

これは幼少期のつたない記憶だが、千葉県で生まれ4歳で富山にやって来た頃、関東の言葉を話していたせいか、常に無視されていた。それは同じ保育所の園児とかじゃなく、保母さんや保護者からも邪見にされていた。

私のような幼いものなら、数年もすれば地元の言葉を覚え、同化する術を身につけるのだが、苦労したのは、富山など縁のない父親だったろう。富山出身の母に出会わなければねえ……まあ、そうしなければ、私自身がこの世に存在しないのだが……。