2016年1月30日土曜日

東京百景53「飯田橋」

1995年、入社8年目にして、比較的大きな人事異動があった。

吉祥寺から渋谷というエリア外の異動。

結婚3年目で34才、脂が乗っていて、仕事ができる!(多分)と見込まれたか?

いわゆる出世コースに乗った感じだったが、今の環境に馴染んでいたため、ものすごいストレスだった。いままでエリア内の移動は数回あったが、店が変わっても一緒に働く同僚は変わらなかったりしたのに……。

知らない人が9割占めるような環境なんて……(結構人見知りだった)

その頃の渋谷エリアは、航空母艦的な渋谷店をメインに飯田橋、代々木、そしてなぜか東横線の綱島の計4店舗だった。

各店舗にはそれぞれ店長がいて、店長が休みの時は母艦から店長代理を行かせるというシステムだった。

という理由で各週飯田橋に応援に行っていた。

当時の店長M氏は、実は今でもFaceBookで親交があったりする。

飯田橋店はもちろん初めてだったから、多分引き継ぎだったのかM氏と働いたことがあった。

眼鏡店は、イメージに反して忙しいのだが、もちろんそうでない時もある。多分今なら出勤してから店を出るまでタバコは吸うなと言われるかもしれないが、当時は、タバコ休憩など適当にとっていた。もちろん人によっては厳しい人もいたが、お互いその辺はアバウト(ですよね)だったと思う。

店内にお客さんが一人もいない。通常、フレームを拭いたり、掃除をしたりして、Welcomeの雰囲気を醸し出そうとするところ、M氏がテストレンズを使って何かしている。

テストレンズは、近視なら凹レンズ、遠視なら凸レンズで強弱数種類が、検査台に格納されている。

両手に1枚ずつテストレンズを持ち、片方を眼前に配置し、もう片方をその前で遠ざけたり近づけたり……なるほど、望遠鏡!

視線の方向に神楽坂の交差点があった。

「あの角から2番目のピンクの……」

さっそく交代した私の目に飛び込んできた、なかなか綺麗なお嬢さん……。

「いいですよねー」

「そうですねー」

私は、この人に巡り合えてよかったと思いました。

(これを書いている2016年1月、上記渋谷店と代々木店がなくなっているのは寂しい限りである)

2016年1月9日土曜日

反富山感情……

母は富山出身である。
私は、その母が家出同然に上京して知り合った千葉県出身の父親のもとで生まれた。
だから千葉県出身だ。

実際、4歳か5歳で家族で富山に移り住み、19歳まで暮らしたことを考えれば、今となっては、故郷と呼んでも差し支えないのかもしれない。

幼い頃、多感だった私は他人と自分が違うことを得意としていた節があって、千葉県出身を誇りにしていて、富山をバカにしていた気がする。いやしていたのだ。

残念なことの積み重ねがそうさせたのだと考えられる。その最たるものがテレビのチャンネル数だった。当時はNHK2局と民放1局(日テレ系)の3局しかなく、始まったばかりのウルトラマン(TBS系列)がやってなかったことは、かなり私を凹ませた。日頃温厚な私が泣き叫んだ記憶が今数十年経っても残っている。

それが反富山感情に通じる第一歩だったか。

2016年1月7日木曜日

新年早々

インフルにやられた!A型だった。
カミさんも実家に行ってて、ひとりのたうち回ってる。

おかげさまで熱は引いたが……まだ少しふらふらする。
とにかく頑張って生きて行こう……。

そんなわけで挨拶代わりにこれを聞いとくれ。