2012年4月17日火曜日

MACの想い出28「mobile me」


2000年1月5日にAppleは、「i-Tools」というサービスを開始する。この頃まだ初代のi-MacにクラシックOS 8.6を入れて使用していたが、対象はOS9以降だった。

別の理由ではあるが、6月にOS 9.0.4を購入したことで、このサービスを受けられるようになった。恩恵の一つは、想い出14で触れたmac.comのメールアドレスだった。

もう一つは25MBの無料ストレージだった。これを利用してhomepage.mac.comも展開できた。ASAHIネットの50MB、DIONの5MBで計80MBという布陣が1年ほど続いたが、Appleは、無料のi-Toolsを終了、有料の.Mac (ドットマック)に変更する。

これは相当悩んだ。くそー、姑息な真似をしおって!無料で使わせておいて、有料にするとは!そう思ったが、.Mac (ドットマック)だけでストレージが100MBにもなった。メールアドレスも愛用しているし、浸透もしていた。

結果、ASAHIネットを辞める事にした。DIONは切れなかった。まだKDDIに期待していたのだ。

以下は.Mac (ドットマック)の移り変わりだが、ものすごい進化だった。

  • 2002年7月 .Mac(100MB)が有料で開始され、同年10月に無料のiToolsは終了。
  • 2004年9月 250MB(追加で最大1GB)に増量
  • 2005年9月 1GB(追加で最大4GB)に増量。
  • 2007年8月 10GB (追加で最大20GB)に増量。システム拡充。(以上WIKIより抜粋)

そして2008年には、「mobile me」という名称に変わり、2010年には20GBまで増量した。

この「mobile me」は、今年の6月で終了するのである。昨年10月に始まった「i-Cloud」に移行されるのだ。無料になるのはいいが、5GBまで下がる。まあそれは良いが、今までのように自作のホームページを展開できなくなるのである。

しかし時代は変わっていた。いくらでも無料ストレージは存在するし、自作ミュージックのアップなどもそれに特化したサイトもある。自分が拝借したサーバに自作の曲をアップして、なおかつそれを聞かせるHTMLを自分で書くような事は必要なくなったのだ。

2012年4月15日日曜日

東京百景31「東京水産大学」

なんでも今は東京海洋大学というらしい。

日本の国立大学では唯一の海洋の研究・教育のみに特化した大学である。2003年(平成15年)10月に共に120年以上の歴史を持つ東京商船大学東京水産大学が統合し開学、2004年4月から学部生の受け入れを開始した。旧東京商船大学は長年日本商船隊を支えた船乗りを輩出し、水産立国の礎を築いた旧東京水産大学とともに、現在でも海に関連する科学・工学的な専門分野における教育と研究で、その良き先達となることを目指している。(以上はWIKIより抜粋である)


とりあえず1982年の話であり。東京百景30の翌日の話である。繋がっているのだ。
そうです。2日続けてARBを見に行ったわけだ。注目はまだ売れる前のBOOWYが前座だったりする。

東京百景30「早稲田大学」

えーっ、決して母校ではない。その点は強調しておきたい。

時は1982年、上京して2年目の秋、学祭のシーズン。当時傾倒していたロックバンド「ARB」を見るために、初めて早稲田に来た。後にも先にもこれ1回限りである。

これが証拠である。ARBは、数回見ていたが、この日「ZELDA」を初めて見て感動した。

この勢いで東京百景31に続く。

2012年4月10日火曜日

MACの想い出27「OS X 初期ソフト」


MAC OS X
 OS Xが出てから、MAC OS 9まで使われていたソフトをクラシックと呼ぶようになった。2002年5月現在、メインはOS Xを使用していてすでにクラシックを起動させる事は少なくなった。

INTERNET
EXPLORER
 マイクロソフトではあるが、そういうこだわりは、i-Mac以降の人にとって意味を待たないと思う。
 i-Mac購入時は4.01だったが、すぐに4.5となり、ヴァージョン5.0ではベストブラウザと称された。2002年5月、MAC OS Xにおいてもその地位は変わらず。ヴァージョンは5.14となっている。
NETSCAPE
 ウインドウズのGUIはMACのぱくりであると、マイクロソフトを嫌う古くからのMACユーザーが、ネットスケープこそMACのブラウザと唱っている。
 ナヴィゲーター4.7までは、スタイルシートの対応が今一であったが、6.0以降は改良されMAC OS Xにも対応しているので、取りあえず使えるようにはなっている。気分転換でIEと使い分けている。
MAIL
 MAC OS X純正ソフト。あまり凝らない人には十分の機能は持っている。
 iTools(現.MAC)のMACアカウントを管理しやすい。
 i-Bookにバンドルされてなければ、ずっとクラシック環境でクラリスワークスを使っていたとは思う。けれどMAC OS X対応の意味は大きく、文書作成のメインとなっている。
 アップルワークスになって特に目新しい機能は、ないと思う。ただしプレゼンテーション機能がついているので、うまく活用すれば十分マイクロソフトのオフィスに対抗できるもので有ると思っている。  
Preview
 旧Mac OSでなじみのイメージヴューアーからすると、画像を開いた際に見たい大きさに開けないなどの欠点があり、後述するToyViewerなどを使っているだろうか。そのかわりPDFファイルを開けたりする機能は凄いと思う。ただし画像として展開するので、アクロバットリーダーはやはり必須。
iPhoto
 MAC OS X純正ソフト。ただし動作が重い。それでもデジカメ画像の管理は、これに頼っている。
iPhoto2になって多少使い勝手が改善された。スライドショーのBGMがiTunesから選択できるという配慮は良い。
ToyViewer
 フリーソフトながら多彩な機能満載で、結構重宝しています。
現在でも、使用されているものがあります。あくまでも2002年頃の話である。

2012年4月9日月曜日

MACの想い出26「ウェブブラウザ」

1997年まで、Mac OS では Netscape Navigator が標準ウェブブラウザであったらしい。1998年私が最初に購入した初代i-Macは、マイクロソフトのインターネットエクスプローラ4.0が標準で搭載されていた。


確かにマイクロソフトとの確執(ユーザーインターフェースの模倣)はあったのだろうが、あの男が返り咲いた時には、もうすでに確執など過去の遺物で、先に向かおうとしていたのだ。


1999年幕張メッセのMAC EXPO1999の入り口で、IE4.5のCD-ROMが無料で配られていた。確かアウトルックエキスプレスが同包していた。


その後OS XになってからもマイクロソフトはIEを供給し続けてくれたが、2003年バージョン5.2.3で開発は終了している。というのもその年Apple純正のウェブブラウザ「Safari」が誕生したからだ。


私が購入した「Mac OS X 10.3 Panther」には「Safari 1.1」が同包されていた。

MACの想い出25「OS X 10.1 (Puma) 」

このシリーズの22、23で書かれたように2001年暮れにi-Bookを購入したわけだが、ここで初めてOS Xを使用することになる。

このi-Bookに搭載されていたのは、Mac OS X 10.1 だった。(コードネームはPuma)その9ヶ月前に発表された10.0に欠けていた多くの機能が追加され、システムのパフォーマンスが向上、実用的に使える初めてのバージョンといわれ、NEW デザインのi-Bookは発売当初からお気に入りだったが、搭載OSがPumaになってことを受け、満を持しての購入だった。


翌年にはMac OS X 10.2 Jaguarがお目見えするが、これはパスして2003年10月に登場したMac OS X 10.3 Pantherは購入した。

その後、この環境で2006年秋まで使用することになる。

2012年4月8日日曜日

MACの想い出24「i-Tunes Music Store」

前ブログからの抜粋であるが、想い出23と24の開きが4年あって、これはその間何をしていたかということになるんだが……いろんなものに手を出して、どれもものになってないことを意味するのだ。例えば i-Bookを購入したのはMac OS Xの始まりだったのだ。クラシックからOS Xという環境の変化をいつか書こうとは思う。そしてこの新OSがUNIXベースだったので、UNIXに傾倒しかけたこともあった。そしてイーマックスというソフトに出会うが、これとてそのありがたみが分からず、UNIXは頓挫してしまう。あとテレビチューナーを買って動画を取り込んだり、外付けハードディスクを買って使用したりしたこともあったが、2012年現在、それらは度重なるOSのバージョンアップにともないまったく使用されていない。でもそのうち機会があったら書こう。


2005年08月17日

i-Tunes Music Store


050811_1703~001.jpg 8月4日からいよいよ始まりましたね。マックな人たちは心待にしていたことでし
ょう。楽曲に多少偏りはありますがなんのその。基本的には洋楽好きな私も懐かしい
歌謡曲があったりして、青春を思い出したりしています。

東京百景29「本郷3丁目」

果たして100も出るのか?いよいよ前ブログの記事を頼るようになりました。


2004年11月24日

祭日に休みなんて


041123_1500~001.jpg041123_1501~001.jpg平日休みに慣らされた私にとっては、混雑した場所は苦手です。昨日は比較的落ち着いた場所です。一葉忌でここは本郷3丁目。

2012年4月7日土曜日

MACの想い出23「i-Bookとの格闘」


2001年暮れの話である。

12/7

 ネットワークの設定が、今一つ分からず悪戦苦闘しながら、インターネットが何とか出来るようになる。やはりMac OS Xはむずかしい。ネットワークの設定は、まず場所を決めなくてはならない。そして、その場所ごとにモデムを使うのか、イーサネットを使うのかを選択し、かつての TCP/IPやらリモートアクセス、モデム等の設定項目をインプットするのだ。

12/8

 昨日の段階でマンション専用線のネットワークの設定を終えた。これはイーサネットを使用する設定になる。今日は、内臓モデムを使うASAHI-NETの設定だ。TCP/IPはPPPを使用。Mac OS 9までは TCP/IP、リモートアクセス、モデム等の設定はコントロールパネルの中にあって個別に設定していたが、Mac OS Xになりネットワークの中にまとめて組み込まれた形だ。

12/9

 i-Macとi-Book、2台を接続するためイーサネット用クロスケーブルを購入する。このような環境は初めてであり、不安でありながらワクワクしている。i-Macを購入してから、いつかやってくるとは思っていた日がついに来た。使ったことのないファイル共有機能をONにする。なんとなく分かっていたつもりだったが、どうすれば良いのか分からない。それに伴いWEB共有、アップルトークなどいじってみるがまるで分からない。

12/10

 i-Macとi-Book、2台を接続することにとりあえず成功。やはりシステム環境設定のネットワークの設定が鍵となった。 i-Macをサーバとしてi-Book側からアクセス。i-Macのファイル共有で設定した名前とパスワードを求めてくるので入力するとデスクトップにアイコンとしてマウントされる。 まだよく理解してない部分がある。i-Mac側からi-Bookには、なぜか接続しない。Mac OS9からMac OS Xといった上位アクセスが出来ないのか。はたまたもっと初歩的な問題なのか。サーバとしては認識しているようではある。

12/11

 ファイル共有に関しては、i-Macをサーバとしてi-Book側からアクセスすることが重要だったので、その逆が出来なくても、たいして問題はない。 気分を変え、懸念事項の一つであるi-Toolsの設定をする。Mac OS Xになり、i-Diskへも移動の項目から簡単にアクセスできる。副産物として第二のmac.comアドレスであるjunny_f@mac.comを手にする。
また、今まで使用しているメールアカウントの設定をMac OS X標準のmailに登録し、メールソフトもMac OS X標準アプリに乗り換える。

12/12

 本日からi-Mac上のデータの移転作業を始める。まず画像、サウンド、movie関連ファイルの異動である。画像を開く場合、Mac OS 9まではPICTURE VIEWERが標準アプりケーションであるが、Mac OS Xでの標準は、PREVIEWというアプリになる。i-Macから移した画像ファイルを開こうとするとクリエーター情報が残っていてPICTURE VIEWERが反応し、クラッシック(Mac OS 9)が起動してしまう。これを阻止するためには、とりあえず画像を1枚選択し、ファイル項目の「情報を見る」をクリック、ポップアップメニューからそのファイルを開くためのアプリが選択でき、PREVIEWにすればよいのである。

12/13

 i-Macからの異動作業が、初期設定などの環境に関するファイルに及ぶ。ダウンロードしたアプリケーションとかドライバーなどを整理しながら、組み込んでいく作業である。 それとは別に、Mac OS X標準のスクリーンセイバー用にフォルダを一つ作り、そこに入れた画像ファイルをスライドショウ的にスクリーンセイバー化してみた。

12/14

 Mac OS 9.2.1で起動し、今まで使っていたi-Macの環境にカスタマイズする。エプソンのプリンターPM760Cでの印刷、MIDIMANのUSBMIDIインターフェイスMIDISPORTで外部MIDI機器を操作、エッジを使ってモバイルなどMAC OS Xでできないことは、 9.2.1に頼るしかない。 カズタマイズは完璧と思われた。
 パーティションBを起動ディスクとして立ち上げれば、そこに旧i-Macの環境が広がる。パーティションAを起動ディスクとすれば、MAC OS Xのデスクトップが現れる。一瞬完璧と思われたが、MAC OS Xを立ち上げてから、クラシック(9.2.1)を起動させると起動中のまま先に進まないのである。初期設定や機能拡張をいじりすぎてしまったらしい。

12/15

 昨日の問題解決をはかるため、Mac OS 9.2.1の再インストールを試みる。パーティションを3つに区切ったのは正解で、パーティションBにそのままインストールを計っても途中で中断されてしまうので、パーティションCにインストールする。




ちょうどこの頃、人事異動通達で渋谷から錦糸町へ!発令は翌年1月から。

MACの想い出22「i-Book購入!」


2001/12/6秋葉原の某電機店で

i-Book購入!

128MBのメモリーがサービスだったのでさっそく購入した。計256MBとなり現i-Macより96MBパワーアップ。そして予定通り、20GBのハードディスク(現i-Macの5倍)をいったん初期化し3つのパーティション(2つでもいいが、雑誌で読んだ8GB問題に注目。起動ディスクを使い分けすることも考えて、パーティションA=6GB、パーティションB=7GB、パーティションC=6GBとする。)に区切る。 Mac OS XをパーティションAに、Mac OS9.2.1をパーティションBに再インストール。


MACの想い出21「i-PodとNEW i-Book登場」


2001年10月
新しいiBook、最高600MHzのPowerPC G3プロセッサ、最高100MHzの新しいシステムバス、最大20GBのハードディスクドライブを備え、すべてのモデルに128MBのメモリを標準搭載して新登場。新しいMac OSXバージョン10.1とMac OS 9.2.1がプリインストールということで、俄然欲しくなってきました。

2001年11月
ここ数年使ってきたPHSをエッジに機種変更する。せっかくだから、これでインターネットもできるように、USB通信アダプターケーブルも購入する。
iPod(超小型(61.8×102×19.9mm)で超軽量(185g)のボディに、なんと5GBの大容量ハードディスクを搭載、1,000曲もの音楽を保存することが可能な画期的ミュージックデバイス)が2001年11月17日(土)発売決定となった。

MACの想い出20「デジカメ」


2001年9月
北海道旅行に行く前に購入しといてやろうと、ずっと思っていたデジカメ。いろいろ迷ったあげく、結局コストパフォーマンスと信頼性を重んじ、OLYMPUSのC-200 ZOOMを買いました。

「Mac OS X(マックオーエステン)バージョン10.1」(以下Mac OS X v10.1)の販売を2001年9月29日(土)より開始することを発表!

デジカメ


OLYMPUSのC-200 ZOOMは、USBケーブル1本で接続、デスクトップ上に認識される。画像ファイルは、クリックするだけで、ピクチャービューアーが起動して開くことができる。



そう言えば、本来「デジカメ」と呼べるのは登録商標を持っているサンヨーだけだと聞いた事があるが、サンヨーがなくなった今となっては、どうなんだろう?

MACの想い出19「ペンタブレットFAVO」


2001年夏
WACOMのペンタブレットFAVOを購入する。カミさんが、どうしてもというので、プレゼント。いや私自身もちょっと興味あり。



WACOMのペンタブレットFAVOは、私自身はそれほど必要性は感じなかった。ただし付属ソフトのペインタークラシックがたいへん楽しく、自分で、壁紙などをデザインするようになったが、よく見るとマウスを使って書いている自分がいる。

MACの想い出18「クイックタイム5の罠」

本題の前にそこまでの流れをざっと……

2001年2月23日
今回で3回目となるが最初の感動が薄れつつある。APPLE社の業績を考えると昨年がピークだったのでは、とも思う。ともあれMAC-OSXがそこまでせまってきている。マンション購入、車売却のため今回は電車で。最短経路をインターネットで検索すると、本八幡、西船橋、南船橋と乗り換え幕張へ。

2001年3月
待望のMAC-OS X発売となるが、もう少し様子を見ることにする。まだまだ対応するソフトに限りがあるようである。MAC-OS 8.5から築き上げてきたこの環境を容易に破壊することはできない。


2001年5月10日

今回発売されたMAC OS Xに付属しているMAC OS 9のヴァージョンは9.1であり、 X以前のMAC OSの完成形とも言えるものである。本日アップデータをダウンロードして更新作業を終える。 更新作業が今日まで延びたのは、あまりメリットを感じなかったのと、アップデータの容量が90MB以上ありめんどくさかったからである。実際ダウンロードには1時間以上かかり、終った今となっても、ファインダーやシステムのファイルが新しくなった以外に違いがわからない。ただなんとなく嬉しいもので、良かったと思う。
2001年5月14日
NEW i-Book登場!これは売れるぞ。起死回生のヒット商品間違い無し。
待望のクイックタイム5.0.1が出た。
さっそく5月12日にQUICKTIMEのヴァージョンアップをはかった。4.12から5.01である。ところがである。ブラウザを開くと流れるはずのBGMが聞こえない!試しにMIDIを開こうとすると再生できない!さらにシーケンサーソフトを立ち上げるとフリーズするという始末。結局元に戻すことになる。
思えばQUICKTIME4が登場したのは1999年7月のことであった。それまでMAC純正のソフトでMP3を聞くことができなかったので、たいへん画期的であった。今度もある種の期待があったが、ただ時期尚早であったということか。

というわけで4の時の感動と裏腹にどれだけがっかりしたことだろう。

 QUICKTIMEの5.0.2がでる。コレも期待したが、やはりMIDIは聞けない。またMAC OSも9.2.1アップデータが公開されたけれど、対応が9.1止まりのモノが多く、ヴァージョンアップする気が起こらない。

MACの想い出17「VISOR」


2001年2月15日
予定表を管理するソフトにいろいろ手を出してみたが、携帯できねば意味がないと思い、かねてから目を付けていたPDAを購入する。

MAC-EXPO直前になって新たな2色のi-Macが発表される。ブルーダルメシアンとフラワーパワーであるが、CD-RWもつき性能は評価すれど、デザインは余りいただけないですな。


PDA


PDA(personal digital assistants)のPDA製品第1号は,アップル・コンピュータがシャープと提携して開発した携帯型情報機器「Newton」です。今ではシャープの「ザウルス」の方が知られているでしょうか。
今回購入したのはハンドスプリング社のVISOR(バイザー=写真)です。やはりブルーを買いました。パームというOSを使用しているのですが、なかなか優秀です。またi-Macとの相性が良くHOTSYNCという機能で簡単にデータを同期できます。

MACの想い出16「再婚、引越」

もう、MACだけの想い出という感じではないが……。

2000年10月
引っ越しにあたり、購入以来初めてi-Macのコンセントを抜いた。はたして新居でもきちんと作動するかどうか、大丈夫と思いながらも不安であった。キーボードやマウス類を繋ぎ電源を入れる。当たり前だが動いた。インターネット専用回線があって、常時接続にはなった。さてスピードはというとISDNの2倍程度ではないだろうか。今までにくらべればかなりスムーズだが、おそらくADSLには対応できないであろう。まあしばらくはこれでいいか。

2000年10月5日

新天地へ

10月5日、朝からコンピューターの解体作業。まあ電源を抜いて、箱詰めするだけだ。引っ越し先の方には、ダイニングセットとダブルベッドが届く予定になっている。
午後になって業者到着。荷運び作業が始まる。何もない部屋にひとり。最初この部屋に来た時も何もなかった。
来月でちょうど2年経つところだった。独りになる決意をきめた部屋であった。実際その間に離婚あり、店長降格、異動あり。中味の濃い2年であったか。
2000年10月12日

入籍

Nの実家に行ってクルマを借りる。北区役所で戸籍謄本GET!そのまま江東区役所にGO!入籍を済ます。
ここ数日、ダンボールがかたずかない。 ホームページの更新はなかなかできない。

2000年後半の流れ
 8月に入って状況が一変した。それは、ここ数年間、私を支えてきてくれたNに結婚を申し出たところOKということになり、それにともない引っ越しをすることになったからだ。
 それもただの引っ越しではない。マンションを購入することにしたのである。もともと彼女のワンルームマンションがあり、週に一度はそこに泊まりに来ていた。
 たまたま駅の近くにあった3LDKのマンションを下見した時にすべては決まったと言っていい。
 駅の真上という立地といい、11階というロケーションといい、インターネット遣い放題といった条件といい、新生活を始めるにはもってこいだった。
 しかしマンション購入というのは結構めんどくさいものである。手続きに次ぐ手続き、実際の入居までには一ヶ月半かかった。その間に結婚のための準備がある。彼女の両親に会いにいったり、会社に報告したり(報告は電話一本だが、結局異店となり、仕事の環境が変わった。)、家具を見に行ったり・・・・。それはそれで楽しいのだけれど。
 それに、10月4日には、2級販売士の資格テストを抱えていた。勉強もしなくてはならなかった。今となっては、よく合格できたと思う。今回は運良く合格率も高かったようだけれど、こういう状況の中でうかっただけに嬉しかった。実は10月5日が引っ越しだったのだ。
 引っ越しが済んでも、なかなか落着かず、何だかんだいって年末になってしまった。ホームページの更新も出来ない始末であったが、少しづつ時間を取り戻している。特にネット上の友人達には、失礼してしまっているが、この場をお借りしてお詫びいたします。新世紀も続けて行こうと思っております。今後ともよろしくお願いいたします。
 12月31日 ALTVENRY

MACの想い出15「39歳誕生日前後」


誕生日

三十九回目の誕生日を向かえてしまった。THE CUREの最新作「BLOODFLOWERS」のなかに「39」という曲がある。ロバート・スミスが三十九歳になった時に書いた曲だ。(僕より2つ年上)
「火はほとんど消えかかり燃え上がる物ももはやない。」という出だしで始まる。この曲をきっかけに続々と新曲が湧き出て「BLOODFLOWERS」は誕生した。40になったらCUREを解散する、といっていたがこのアルバムを発表して前言を撤回した。 
THE CUREは20年も活動してきた。正直いってあまり聴いていなかったが、最近になって昔の曲も見直している。新作「BLOODFLOWERS」は、確かに完成度が非常に高く、昔のようなスピード感のある曲はないが、聞きごたえ十分である。私も40になったらと、考えていることはある。これからの1年が勝負だ。
00.6.16「ASPHERIC DREAM」「ALTVENRY'S WHO PAGES」「想い出の70’POPS」「ボンダイブルース」「或人弁理」を独立?ALTVENRY'S WEB SITE にリンク先をまとめました。
よって更新状況は各ページに記載されることになる。
今(2012年4月現在)でも残っているのが、「ALTVENRY'S WHO PAGES」と「想い出の70’POPS」である。



2000年7月

魅力的な新色のiMacを発表。中でも気に入ったのはセージである。あとスノーのCMでクリームのホワイトルームが使われているのがなんだか嬉しいが、白は白。インディゴ、ルビーも今一つではないかな。

MACの想い出14「mac.com」


2000年6月

ヴァージョンアップをして使えないものが出てくるのはしかたないかも知れない。クイックタイムが4になったときにジグソウパズルというソフトが使えなくなった。Mac OS 9.0.4にアップした事による最初の被害は、ナノザウルだった。Mac OS 9.0.4対応アップデータは有料だった。一応買う事にしたのは言うまでもない。
悪い事もあれば当然良い事もあるもので、i-Toolsというサービスを受けられるのである。その一つであるmac.comのメールアドレスをさっそくいただいた。

MACの想い出13「ASAHIネット」

プロバイダーはずっとDIONを使ってきた。

99.1. 13インターネット開始
プロバイダーはDIONを選択する。小泉今日子のFAN
というわけではない。
というように記録が残っている。多分キョンキョンがイメージキャラクターだったのだろうか。ちなみにまだDDIだったはずだ。ずっとPHSを使ってきたので、DIONにしたのだ。この頃訳あって、前妻と別居中で、一人暮らしのワンルームに新たに電話を引くかどうか迷っていた。結局NTTに金を払う事になったが……。


2000年5月3日
ASAHIネットに加入して50MBのホームページスペースを確保!DIONとの併用が始まる。NTTにはテレホーダイを申請した。
00.5.3ASAHIネットにメインページ移転!なおも引っ越し中。
DIONは、ALTVENRY'S WHO PAGESをメインにしてゆく予定。
移転に伴いタイトルの図柄変更。
表紙の写真は1983年、大島旅行のもの。アルバイトの分際で社員旅行について行った。

ASAHIネット

 インターネット開始以来、DIONを利用してきたが、接続時間増加のため、経済対策として、また50MBのホームページ容量を見込んで、ASAHIネットと新規契約をした。
 DIONは、KDDとIDOとの合併が控えており、今後の展開が楽しみなのと、やはり何となく縁を切るのもためらわれるので、しばらくは二本立てでいく予定である。またそうすることで、アドレスを複数使い分けることができる。 
 DIONにくらべると、メンバーになることで、連体意識が強いような印象を受けた。メンバーだけの特典というのも多いような気がする。たまにプロバイダーを変えてみるのも悪くないかもしれない。アップロードの仕方や、カウンター表示のやり方が、違っていたりするので面白いかも。00.5.3

というようにいろんなところで足跡を残している。
 DIONを切らなかったのは、KDDといっしょになって、NTTをぶちかましてくれる期待があったのだが……。

MACの想い出12「ホームページリンク」

ホームページを解説し、コンスタントに更新作業を行って行く中、WEBでの出会いもあった。

00.2.10THE WHO NET と相互リンクなる。
THE WHO の名称をALTVENRY'S WHO PAGESと変更する。
海外アクセスの可能性もあるので、少しづつ英訳していくつもり???
これが最初の相互リンクというもので、海外のサイトだけに英文メールを送ったのだが……

英文メール

 かねてから計画中だった、THE WHO NET にメールを送り、リンクリストに登録することがかなった。結局個人のホームページなど誰も興味を示さないが、共通の話題があれば、見てくれるのではないかと思う。
 せっかく、公開するのだから見られたいとは思う。これは人間の本能ではなかろうか。ただしハッカーの例もあるように、必ずしも良いことばかりではないと思うが、こんなちっぽけなサイト、何のメリットもありませんので、悪戯はやめましょう。ちなみに送ったメールを紹介しましょう。
 Hello! My name is altvenry. Altvenry was name of our band. Altvenry was existent about 15 years ago. But now I use that name. Because I don't forget my memories of fun.
By the way I have THE WHO sight in my web peges. title is "THE WHO-My history of rock music". Or "Altvenry's who pages".
In Japanese.


その後……

00.2.26SINさんのWHOサイト「Who am I?」と相互リンクいたしました。
離婚についてのコーナー、新しい切り口で展開中。感想などお待ちしております。
00.3.14RISAさんのROCKサイト「SLIP KID、、、こけっ!」と相互リンクいたしました。
ALTVENRY'S WHO PAGESのタイトルバナー完成。
と友人が増えて行った。残っていないサイトもあるし、音信が途絶えてしまった人も多い。

00.4.8ポルナレフのファンサイトを持っていらっしゃるSammyさんのWEBサイトSammy's siteにリンクをはらせていただきました。
小説「時間の扉を開くもの(「離婚という名の誘惑」改題)」、ちょいとHな第二章掲載。ほとんど創作なので、誰や彼やと詮索しないこと。ただし一部は真実です。
ALTVENRY作品集のコーナー、「月明かりの下で」の歌詞を掲載しています。

MACの想い出11「ホームページ開設」

順番は少し前後するが、ホームページ開設時の想い出である。


99.11. 14祝ホームページ開設!
社内報のタイトルをそのまま、使用する。
この社内報は、いろんなコーナーを担当してきたが、

98.12. 25i-Mac購入
この頃、社内報の担当ページのタイトルを
「ASPHRIC DREAM」とする。
99.10. 15社内報の担当を降り、「ASPHERIC DREAM」消滅。
というわけで10ヶ月ほど担当してたコーナーの名前を拝借した。まあもともと自分で付けたタイトルではある。

その後……

99.11. 21タイトルバナーを変更する。
99.11. 27表紙の写真を差し換える。
TOKYO EARLY 10 YEARS 1982 掲載
99.12.9 ページヒストリー内容更新
DIONにリンクする。世話になってますから。

音楽の部屋、THE WHOをMY HEROSに変更
ポルナレフのサイトに勝手にリンクする。
メールでも送ろうと思うが、フランス語じゃなくても
良いかな。


00.1.5フレーム表示を導入しイメージチェンジ!
00.1.23TOKYO EARLY 10 YEARS 全面改装!
初のスタイルシートを使用する。
00.2.2ゼームス坂マンションストーリー第三章完了。これを持ってTOKYO EARLY 10 YEARS 1983完成。
MY HEROSを二つに分けTHE WHOを独立させる。新たにカウンターを設ける。
というように、精力的に更新作業をしていたのが、まだギリギリ30代の頃であった。

2012年4月6日金曜日

MACの想い出10「オーディオプロセッサー」

2000年5月24日
仕事帰りに、ヨドバシによった。かねてから購入予定のONKYO、USBデジタルオーディオプロセッサーMSE-U33HBを迷ったあげく買った。同時にMac OS 9.0.4も買った。これによって今までのオリジナル曲がヴォーカル入りでi-Macに取り込むことが可能となる。
なぜ迷ったかというとこれを使用するためには、Mac OSを現行の8.6から9.02以上にアップしなくてはならない。8.6で十分な環境であり、それだけのために¥12.800を払うことは惜しまれた。

オンキョーのUSB デジタルオーディオプロセッサー
MSE-U33HB
 ホームページを展開するようになって、自作の曲を発表するための方法を考えて来た。手っ取り早いところで、MIDIを使った。MIDIファイルは容量が小さいのでホームページのバックに流すにはちょうど良かった。ただしヴォーカルを付けることは出来ないし、相手のパソコン環境に依存する部分が大きいので、意図したように聴けてないケースも考えられる。
 MP3なら、容量も小さく(MIDIよりは大きいが)そのまま届けることができる。しかしどうやって自作の曲を自分のコンピューターに取り込めば良いのか、さっぱり見当が付かなかった。
 2000年2月、昨年に引き続き、幕張メッセのMAC EXPOを見学、そこで見つけたのが、オンキョーのUSBデジタルオーディオプロセッサーだった。ローランドも同様の物を出していたが、USB MIDIインターフェイスの時のようにローランドを避けた。特に理由はないが、オンキョーの方が価格が安かったし、i-Macカラーに対応していたのが一番の理由であろう。
 すぐにも欲しかったが、問題がいくつかあった。一つは発売が4月以降になること、もう一つはMAC OS 9.02以降でないと対応できないのであった。2000年5月結局買った。MAC OSも店頭で9.04が販売されていて合わせて買った。取り込むことしか頭になかったが、製品の仕様上、出力も出来るのだ。そうパソコンで鳴らした楽曲をステレオで聴けるのである。これも感激であった。

MACの想い出9「MAC-EXPO2000」


2000年正月
 1998年8月29日発売から現在に到るまで、グラファイトカラーを含めて七色登場したが、初期のボンダイブルーが1番好きだ。最初はこの色しかなかったが、この色だったから買ったのかもしれない。なんでもオーストラリアのボンダイビーチの海の色から、この名前がつけられたそうだ。とは言え、この一年でCPUは、233MHZから350~400MHZとアップしている。

2000年2月17日
 MAC-EXPO2000!幕張メッセ。 今回は車でいってきました。メッセの駐車場は、一日一回の使用で900円なんですね。都心から見ると安いですな。
四時間くらいいたでしょうかね。昨年にくらべるとパワーアップした感がありました。昨年一年間のi-Macの売れ方が尋常でなかったからでしょう。USB周辺機器などこんなにたくさんなかった……。 今回の発見はUSBオーディオプロセッサーであった。現在市場に出ているのはローランドの製品のみであるが、なんとONKYOが4月に発売するのはi-Macカラーに対応する商品だ。これは欲しいだろう。

MACの想い出8「プリンター」


99年暮
 MAC OS9登場となるが、少し様子を見る事とする。8.6環境でなんら問題はない。それにしても、またもやi-Macは進歩を遂げた。冷却ファンがないので音は静かだし、スピーカーの性能がアップ、CD-ROMはスロットローディングだ。スペシャルエディションのグラファイトカラーに何となく惹かれるが、もう開き直るしかあるまい。
 昨年は書いた後であり、プリンターもなかったのでi-Macで年賀状を出せなかったが、今年こそはと思いプリンターを購入する。一年前の対応状況とは一変してどれにしようか迷うくらいである。
 アウトルックエクスプレス5.0登場でダウンロード!

 1999年暮、エプソンのPM-760CBを買った。最後のBは、ブルーベリーのBであって、ボンダイブルーではない。まあしょうがない。ブルーベリーがボンダイブルーの後継であるのは間違いないし、値段的にも手ごろだったのだ。
 もともとプリンターを買うつもりはなかった。使う用途が限られていると思った。使う用途、まあ日本人だけに年賀状である。でもせっかくi-Macを持っていて、手書きの年賀状でもあるまいにと思った。年賀状づくりにしか使わないことは分かっていたが、結局買った。
 でも買ってよかった。機種としては決して最高機種ではないが、なんという色の鮮やかさ。ほとんど写真といってもいいくらいのプリントアウトに感激である。年賀状の宛名印刷は、LEAFというフリーソフトを使用した。内容の方は、クラリスワークスを使って、存分に遊んだ。楽しかった。

MACの想い出7「MP3関連ソフト」


99年夏
 OSはさらに進化を遂げ、8.6になった。購入時が8.5でその直後に8.5.1にアップデートしたが、8.6のアップデータは容量が大きく、2500円ならばと思いアップルからフルインストールCDを購入した。またクイックタイムが4にヴァージョンアップしたのでさっそくダウンロード。これでやっとMP3に対応する事になる。
i-Book登場となるが今一つだろうか。

 音楽ファイル圧縮技術の一つであるMP3の存在をしったのは、1999年初旬であった。そのころMACでこれを再生するには、MACAMPというソフトが必要だった。その後、アップル標準のクイックタイムが、ヴァージョンアップして4.0になった時、MACAMPを使わずとも再生可能となった。
 ただしプレイヤーがあってもMP3ファイルというのは、 その手のサイトから有料ダウンロードというケースが多いので、なかなか使う機会がなかった。自分でMP3を作成するにはエンコーダーソフトが必要だった。まあ、あえてコンピューターで音楽を聞くこともないかなとは思ったが、いろいろ試してみたかった。実際音楽CDからそのまま一曲取り込むとMACの場合AIFF(WINDOWSではWAV)というファイルが作成されるが、5分の曲で50MBほどの容量になってしまう。
 そこでMP3を作成するためのエンコーダーソフトでフリーの物があったので、さっそく使ってみた。時間はかかるが、間違いなく作成できる。50MBのAIFFが、5MBのMP3ファイルとして生まれ変わる。これなら数十曲は、i-Macに取り込んでおける。
 その後、APPLEからi-Tunesというフリーソフトがでたおかげで、MP3に関しては、大変身じかになった。またこのソフトのおかげで、MP3ファイルの管理がしやすくなった。

MACの想い出6「スキャナ」


99年6月
 私事ながら完全別居となり部屋に荷物が溢れ、これを何とかしよう(?)とスキャナを購入した。何ともならないだろうが、とりあえず写真や古い雑誌の記事などを取り込む計画だった。アルバムの写真を数十枚スキャンして挫折している。

 定番中の定番、エプソンのGT-7000Uを購入した。
 それで何をしたかというと、アルバムの写真を全部i-Macに取り込んでしまって、アルバムを残らず実家に返却。少しでも荷物を減らしたいが、時々見たくなることもあるものは、取り込んで画像データとして残しておこうと思ったのだ。
 定番中の定番だけにすんなり稼動すると思いきや、付属ソフトがフリーズの連発、のちに新しいドライバーをダウンロードしたが、結局このソフトは使わず、もう一つ付属していたHOTSHOTSというソフトを使用している。
 またOCRソフト(文章を画像として取り込み、テキストに変換するソフト)も付属していたが、これはなかなか優秀であった。昔東芝のルポというワープロで作成した小説まがいの文章や歌詞などをこれで取り込んだ。

MACの想い出5「シーケンスソフト」


99年5月
 MIDIファイルを作成するシーケンスソフトは、フリーソフトがなく、体験版というのをいくつか使っていた。メトロ、シンガーソングライター、CAMPS、EZヴィジョン等など。結局EZヴィジョンを数カ月後に買った。おまけに自動伴奏作成ソフトBAND IN A BOXとローランドのVSC-88というソフトシンセサイザーが付属していてお買得だった。

 もちろんそれだけが理由ではなく、使い勝手のよさもあったし、メトロやシンガーソングライター等とくらべるとシンプルな構成で、CPUがあまり高くない初期i-Macにとって負担も少ないであろうという親心もあった。(親子かいな?)
 実際テスト版を使用していても最もエラーが出にくく、フリーズが少なかった。それにMIDIはあくまでも器械的であってROCKを愛する者にとっては、伴奏の一部にこそはなっても、所詮作品として仕上げる領域には達しないのではと思ったからだった。
 これを買った頃は、まさかホームページを作ってそこで流そうなどとは思いもよらなかった。MIDIファイルは容量が小さいので、WEB上で取り扱うには手軽でよい。

MACの想い出4「OPEN MUSIC SYSTEM」

昔の想い出話なので2012年現在は、まったく縁のないものである事を付加する。


 OMS対応アプリケーションは、OMSを使用してスタジオ内のMIDIデバイスとコミュニケーションを行います。これらのアプリケーションは、今までの様に独自のドライバを必要としません。全てのOMS対応のアプリケーションはOMSを使用して様々なハードウエアとコミュニケーションを行います。
 OMSにMIDIスタジオの構成を記憶させておくことで、OMS対応のアプリケーションはそのMIDIスタジオの設定を自動的に認識することができます。MIDIスタジオの設定を変更するだけで各OMS対応アプリケーションの設定は自動的に更新されます。
 OMSはスタンダードMIDIインターフェイス及びマルチポートインターフェイスを含めて様々なMIDIインターフェイスに対応しています。マルチポートインターフェイスを使用すると、接続されているMIDIデバイスの数に応じて多数のMIDIチャンネルを使用することが可能になります。
 OMSを使用することでユーザー独自のスタジオセットアップをより簡単に構成でき、オリジナルスタジオセットアップを保存しておけば、いつでも素早くMIDI機器とミュージックソフトにアクセスできるのです。 現在OMSは数多くのミュージックソフトメーカーが採用してきており、Macintoshのミュージック環境構築の基本システムとなっています。

MACの想い出3「USB MIDI インターフェイス」

  MIDIMAN社のUSB MIDI インターフェイス、MIDISPORT。1999年5月に買った。3年前に買ったYAMAHAのQY-300 というシーケンサー(単体でシンセサイザー音源部とシーケンサーが合体したもの)をi-Mac内部のシーケンサーソフトでもって鳴らしてみようという試みだった。買って一~二日音を出せなかった。周辺機器としてはパナソニックのスーパーディスクに継ぐもので、機器を使用するためにドライバーをインストールしなければならないという様な知識はありましたがそれでも音が出ず、OMSをインストールしなければならなかったり、シーケンサーソフトの設定の問題があったり、試行錯誤を繰り返してやっと音が出せました!
 MIDIという言葉に最初に接したのは、1984年頃、シンセサイザーを買った時だ。電子音楽の一つの規格らしい。簡単に説明すると音色、音程、音量などに番号がついていて、それを指定することで、どんな楽器でも共通の音が出るというものだ。(そんな簡単なものじゃないだろうが)
 一般にDTM(デスクトップミュージック)というと、このMIDIファイルを作成し、演奏させることだ。僕がi-Macを買った時、i-Macと他のMIDI機器を接続する術がなかった。というのもi-MacはUSBインターフェイスだけだったのだ。99年2月当時、USB用MIDIインターフェイスは、ローランドしか出していなかったが、ローランドさえMAC用のドライバーを出していなかった。
 数カ月後にそれは出されたが、僕はもう1社別の製品の発売を待った。MIDIMAN社のUSBMIDIインターフェイス、MIDISPORTがそれだ。音源には3年前に買ったYAMAHAのQY-300を使用するつもりだったが、なかなか音が出なかった。問題はいろいろあった。OMSの存在すらその時は知らなかった。

MACの想い出2「スーパーディスク」


買って1ヶ月もしないうちにi-Macは5色になる。カラーは我慢できるとしてもCPUが、233MHZから266MHZにアップしている。またCMに使われているのはローリング·ストーンズのシーズ·ア·レインボウというのがちょっと悔しい。
 5色になったi-Macを尻目にバックアップメディアの必要性も感じていたので、Panasonicのスーパーディスクを購入。そして、インターネットをいよいよ開始する事になる。まずNTTに行くのが最初だった。別居してまだ2ヶ月、電話を新たに引かなければならなかった。ISDNにしようか迷ったのだが、ダイアルアップルーターを買わなければならないし、i-Mac内臓のモデムを使わない手はない、と思って普通に契約した。プロバイダーも迷ったが、料金体系的に接続料込みのDIONが分かりやすくていいかと思って決めた。
 i-Macには、インターネットエクスプローラーとネットスケープナビゲーダーの2つのブラウザ、そしてアウトルックエキスプレスとポストペットの2つのメールソフトがバンドルされていた。設定にはかなり戸惑った。プロバイダーから届いた書類を見ながらPOPサーバとかSMTPサーバなど入力していくのだが、なかなかできない。特にポストペットとアウトルックでは多少入力の仕方が異なるのだ。雑誌に書いてあったように自分宛のメールを送り届いたのを確認できた時はそれなりに嬉しかった。

 USBインターフェイスで唯一バックアップメディアとして存在していたのが、このスーパーディスクだった。なおかつi-Macのカラーとも対応していて、買うのはこれしかないと思った。各周辺機器の中で最初に買ったのがこれだった。
 先にも書いたが、i-Macをかって最初にはまったのが、ナノザウルというアクションゲームだったのだが、これがよくエラーが起きてフリーズしていた。原因は、ゲームソフトそのものにバグがあったことが、バージョンアップした時に分かった。バージョンアップ後は特に問題はない。
 とにかくフリーズするごとに強制終了しては再起動の連続で「バックアップしとかないと。」と思って購入に踏み切った。ただ買って思ったが、USBというのはなんて速度が遅いのだろう。ほんの数MBの異動で5分以上かかったりするのだ。のちに2倍速の商品もでたが、バックアップにはUSB以外の方法を模索しなければなあと思う。
 時間がかかってもバックアップできればまだ良いのだが、1999年夏頃からデータ移動中にフリーズするようになってしまい、さっそくパナソニックにメールを出して症状を訴えた。メールはきちんと届いた。アドバイスにしたがいとりあえず購入店に修理を依頼した。2週間ほどして帰ってきたのに症状が改善せず、またもメールを送り修理に出した。何となく良くなった気がしたが、結局元のままだった。しばらくして自分で問題を解決してしまった。と言うよりは自分がその原因を作ったといって良いだろう。1999年4月にUSB MIDI インターフェイスを購入したのだが、それをはずしてやると問題が起こらないのである。パナソニックの方、申し訳ない。

MACの想い出1「ボンダイブルー」

 1998年12月25日コンピューターを見るため、世田谷区は環状8号線ぞいのとある家電量販店に車で訪れる。今まで新宿のさくらやとかヨドバシで何度かパソコンを見てきたが、i-Macは、他のパソコンと違って、起動していなくてもただの箱ではなかった。この頃はまだカラーバリエーションがなくボンダイブルーといわれる青緑色のスケルトンカラーであったが、これが良かったのだと思う。さっそく助手席にのせて、この頃別居して一人暮らしを始めたワンルームに連れてかえる。このとき同行者は今の奥さんだった。
 僕が買ったタイプはB型と呼ばれるタイプで、1998年8月に発売された初代A型にくらべると、OSが8.1から8.5にアップされており、ビデオメモリーも2MBから6MBに変更されていた。購入時に知識がないながらもメモリーを160MBに増設してもらったが、これが大正解であった。
 バンドルソフトも少し違っていて、A型にはなかったゲームソフトの
ナノザウルはかなりハマった。またワープロ、表計算などの統合ソフトクラリスワークスを自分の物にしようともがいていた。

2012年4月1日日曜日

「100万回生きたねこ」



「100万回生きたねこ」
2012
おいらは100万回も生きて
100万回も死んだトラ猫さ
必ず誰かに可愛がられ生きて
必ず惜しまれながら死んでゆく

王様と戦争に行って矢に当って
死んだときも王様は悲しんだのさ
でも戦争なんかきらいだったんだ
そもそも王様なんて大嫌いだったんだ

船乗りに連れられて大航海で
海に落ちた時に思ったもんだ
泳げないから海は嫌いだったんだ
そもそも船乗りなんて大嫌いだったんだ

サーカスの手品使いの話はどうだ
ドロボー稼業のご主人にも仕えたぞ
でもサーカスもドロボーも嫌いだったんだ
例え泣いてくれたって大嫌いだったんだ

おばあさんとの生活はつまらないし
女の子相手は罠に巻き込まれる
結局おばあさんも子供も厄介 なんだ
例え泣いてくれたって大嫌いだったんだ

おいらは100万回も生きて
100万回も死んだトラ猫さ
誰かが涙を流してくれても
死ぬことなんか怖くはなかった


「ある時俺は誰のものでもなかった
やるべき事は自由に決められた
命知らずの俺の生き様に誰もが賞賛の拍手をくれた
それからというものやたらと声をかけられるようになった
やれ、結婚してくれだ、一緒になってくれだ、婿に入らないかとか……
おれは 100万回も しんだんだぜ。いまさら おっかしくて!
とにかく一番自分が好きなんだな、俺って自分が大好きなんだ

おや、あの娘は何で振り向かないんだ?」


「どうだい、たいした猫だろう、俺は100万回も死んだんだぜ!」
「そう」
「俺は100万回も死んだんだぜ!」
「そう」
「君なんかまだ1回も生き終わってないだろ、」
「そう」

おいらは100万回も生きて
100万回も死んだトラ猫さ
だけど白く美しいあの娘は
驚ろかないし関心も示さない

「戦争にも行ったし大航海もしたんだぜ!」
「そう」
「そうそう、サーカスにもいたから、こんな3回転もお手の物だぜ……どうだい」
「そう」

俺は100万回も……
「俺は100万回も……」

「そばにいていいかい」
「ええ」


ずっと探し求めていた
居心地の良い場所がここだった
もうどこへも行かないと決めた
絶対に離れたくなんかない

愛される事に得意になって
愛する事が出来なかった

100万回死んでも
分からなかった事が今分かった
お前と子供達がかけがえのない宝だ

時が流れていっても
居心地の良い場所はそこだった
子供も立派に育って行った
君も今は可愛いおばあさん

一緒に小さな野の花を愛でて
遷りゆく夕焼けの下で時を過ごして

澄み切った青空や
しっとりした雨の日の雫も慈しみ
木枯らしの日は特に二人で寄り添って

「いつまでも一緒にいるんだぞ」
「ええ」


おいらは生まれて初めて泣いた
彼女が動かなくなったから泣いた
どうしても彼女は動かなかった
いつまでたっても動かなかった

おいらは100万回も泣いて
朝も昼も泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて
そしてある日の午後に泣き止んだけれど
そのまま彼女の側で動かなくなっていた

おいらは生まれ変わることはなかった
もうその必要はなかったから……
自作詞による作品は、昨年の「SOVIEL」以来となります。
まあ自作詞と言っても、原作ありきですが……。元々は1977年に出版された佐野洋子作の絵本であります。
知らなかったんですが、沢田研二主演でミュージカルにもなったみたいですね。
原作を越える事は不可能だと思うんですが、原作にたどり着く道標になればと思います。
これは 星空文庫TOKYO EARLY 3 YEARS −1982年− を参照いただければと思います。まあ、かいつまんで言うとアマチュアロックバンドの名前です。