2017年11月13日月曜日

初めてのピンク・フロイド

 最初はラジオの詩の朗読番組で、「そうさ、お前は空気の中。その存在を意識し……」という文章が読み上げられて、それがなんだか中学生の当時の僕には、ものすごく新鮮に思えた。
 しばらくして、その詩がピンク・フロイドの「狂気」というアルバムから紹介されたものであることを知り、当時2000だったか2500円だったかのこのアルバムを入手する。
 冒頭いきなり心臓の鼓動が聞こえ始め……人の声が聞こえたかと思うと笑い声やレジの音雑音らしき音、叫び声がヒートアップして例の歌詞が含まれる楽曲のイントロに繋がっていく。
 もうそうなったら、その世界観に引きづりこまれ、最後まで持っていかれる……いや、レコードだからA面最後まで持っていかれる。(余談だが、このA面B面という概念は今思えば非常にユニークで、曲の順番、配置を考える上で大事な要素だった)
 さてこのアルバムは原題が「The Dark Side Of The Moon」だが、これを「狂気」して販売したレコード会社のセンスを評価したい。(ちなみに「Atom Heart Mother」は「原子心母」だが、ただ漢字を当てただけなのにかっこいい)
 なにはともあれ、全世界で時を超え、かなりの枚数を売り上げているモンスターアルバムである。ご自身で体験されたし!

2017年11月10日金曜日

「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」……from my dead website

 エルトン・ジョンで最初に聞いた曲。これ以前にも「僕の歌は君の歌」「クロコダイル・ロック」等のヒット曲があったが、これ以降もヒットのオンパレード。「僕の瞳に小さな太陽」「ビッチ・イズ・バック」「僕を救ったプリマドンナ」等がある。

 他人の曲のカバーも出していて、THE WHO の「ピンボールの魔術師」やビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」をジョン・レノンとデュエットしていた。

 なお「ピンボールの魔術師」に関しては、原曲に劣らず良い仕上がりで、WHOのデビュー曲「I CAN'T EXPLANE」を中に盛り込んでいる。十数年後、WHOはエルトンの「土曜の夜は僕のいきがい」をカバーした時、お返しとばかり、「TAKE ME TO THE PILOT」を中に盛り込んだ。

「愛の伝説」……from my dead website

 最初に聞いた洋楽である。まだ小6だった。学校に行って友達に話すと、結構詳しい奴がいて「ポルナレフなら『忘れじのグローリア』とか、『愛の休日』というヒット曲があって、その方が良い。」とかなんとか偉そうにぬかすのであった。そんなことがきっかけでいわゆるポップスにはまってゆくようになるのである。
 この「愛の伝説」が入ってる「ポルナレフ革命」が、ALTVENRYが一番最初に買ったLPレコードである。実はレコードショップでこのジャケットを見るまで顔を知らず……。だからもう、見てビックリ!……でもそのギャップにやられた。とにかく声もいいし、カッコいい……。
 このLPからは3曲シングルヒットが生まれた。後の2曲は、「僕はロックンローラー」と「悲しみのロマンス」である。
 愛のなんとか、というタイトルが非常に多く「愛の休日」「愛のコレクション」「愛のシンフォニー」「愛の願い」はすべて名曲。

2017年11月9日木曜日

「落葉のコンチェルト」……from my dead website

 DIONを去り18年掲載していたホームページは消えた。

 その中で最初のページに紹介していた「落葉のコンチェルト」。 ライナーノーツで、落合恵子氏いわく。「これは男の背中を歌った歌」……

 私ALTVENRYが、最初に購入したシングルレコードである。原題が「For the peace of all mankind」だから、決して季節は限定していない。ただこのイントロのピアノを聞いて、落葉の舞い降りる様を連想した担当者の感性にひたすら共感するのだ。勘違い和製タイトルは数あれど、「落葉のコンチェルト」は個人的には大納得!
 そしてなんとこのアルバムには、それ以外のシングルカットされた3曲「カリフォルニアの青い空」「カリフォルニアから愛を込めて」「ダウン・バイ・ザ・リバー」も入っている。

 当時のチャートでもあのポルナレフの「愛の伝説」とデッドヒートを繰り返し、1位と2位を争っていた。

2017年11月8日水曜日

DIONよ、さらば!

もう1ヶ月経つので今更だが……1999年1月から18年使用してきたDIONを去ることになった。

使用してきた、とは言ったものの最初の2年がピークだった。
その頃は使い放題とかじゃなかったから、ネットサーフィンだけで月に数万払ったこともあった。それもブロードバンドじゃないから、遅いのなんのって……。

とにかく自身のインターネットデビューに貢献してくれたし、初めてのホームページ開設という偉業を成し遂げることが出来たのも、ひとえにDIONのおかげなのだ。

その後ASAHIネットを併用したり、マンションの専用回線を使ったり、WIMAXを併用したり、一戸建てで光を引いてSo-netを使いながらも、DIONを切らなかったのは、その初めてのホームページを維持したかったからに他ならない。

ホームページ公開サービスがなくなるという連絡は、半年ほど前から届いていた。DIONは先にブログ公開サービスも停止したが、その時から嫌な予感はあった。

ちなみにブログの方といえば、数年前DIONのラブログを一旦So-netブログに引っ越しさせた。そして今年の5月、So-netからSoftBank光にプロバイダーを変更した際、Yahooブログに再引っ越しした。

ホームページは移しかえられない。かと言ってこれ以上維持するものでもないのかもしれない。ブログなら日々更新していくものだが、18年前に作ったホームページは変わりようのない思い出の羅列なのだ。これを契機にまた自分の胸の中に戻すのも良いのかもしれない。

2017年11月7日火曜日

The Whoのデビューアルバム!

1965年当時、日本での販売はなく輸入盤を買うしかない状態。

JUNNY(自分)は、1981年に新宿の中古レコード店で購入しました。

さらに時は流れ、WHOの評価も日本に伝わり、CDになってやっと日の目をみることになったというわけです。