SONGS 2000-X


TOWERの向こうに
2001年作
雨が街を包み込んでる
息もできない
冷めた絆を温め直す
言葉も見えない

出会いの頃の記憶が
ガラス窓に滲んでる
時は流れて消えた

一筋の光が雲のすき間から
街を照らしはじめる
見上げるタワーの向うに
七色の虹が
橋をかけて今
輝いている

雨は上がり希望の虹が
時は今だと
熱く心に囁いている
囁き続ける

惰性にいつか流され
自由を見失い
諦めていた日々を

取り戻すのは今
遅すぎはしない
若くはないにしても
見上げるタワーの向うに
忘れてたものが
輝きはじめる
扉を開けて

見上げるタワーの向うに
忘れてたものが
輝きはじめる
扉を開けて
走り出すなら
心の闇も消えてしまうさ

誰も無数の悩みを心に抱える
 再婚をして、40歳を過ぎても曲作りをしている。江東区の高層マンションに移ってきたが、ギリギリローンを組んだために慎ましい生活を送らざるをえない。それでもここは、インターネットし放題だし、駅にも近いので交通の便はいい。まして11階で見晴らしが最高だ。隅田川が見える。新大橋が見える。天気がよければ富士山だって。そして東京タワーを西に見ている。今まではあの向こう側にいたというのに。この歌詞を考えると今のこのマンションがタワーの向こう側ということになり、忘れてた何かを見つける場所であるということになりますね。
 2001年暮れになって、働きなれた職場を異動することになる。いろんなことが思い出に変わってゆく。さようなら渋谷。ハロー錦糸町。  
夏の邂逅
2002年作
眩いばかりの光のシャワーを
浴びて君が駆け抜けてく
遠くで見ている僕が目を細めてる
まぶしいのは君の輝き

いつかは訪れる日のことを
夏の風に身をゆだね忘れてた

季節がこのまま終わりを見せずに
きらめきにゆれながら
9月を向かえて秋風吹いても
幻を見つめてた

言葉が途切れた静かな部屋でも
わずかな温もりを感じていた
二人の隙間に降り積もる雪に
消されてくものに気づかずに

いつかは訪れる日のことを
描いては消しゴムで消していた

明日は誰にも不安なドラマを
映しだすパノラマのように
描いては消せない無数の現実
幻が消えてゆく

季節は巡って光のシャワーを
浴びている君がかけてゆく
かすかな記憶の彼方で輝く
想い出を見つめてる
幻を見つめている
 職場の異動に伴って、計画していたことを実行する。初級システムアドミニストレーターの受験である。2002年4月に受験し、問題の難しさに打ちのめされたものの6月なんと合格してしまう。職場においても副店長の立場を与えられ、たそがれていた渋谷時代とは打って変わって忙しくなってしまう。そんな中、自作MP3を公開できるサイトを発見し、過去の自作曲を少しずつアップし始める。そして考えられた新曲のアップ計画。その記念すべき第一号となったのがこの「夏の邂逅」である。ほろ苦い思い出もオーバーラップさせながら、全体的には比較的明るさを放っていると思う。
 i-Macを使い続けてきて、自作の曲をアップする方法を模索してきたが、ホームページを立ち上げ取りあえずMIDIを流すことに成功し、アップルの素晴らしい技術でクイックタイムがMP3に対応して以来、i-Tunesで簡単にMP3を作成できるようになった。最初はホームページでMP3をアップしていたが、自身のホームページにおいていたのでは、第三者に聞いてもらうのは至難の業でした。今後も意欲的に曲作りを進めていく手段を発見できたのでした。
誘惑のMOMENT
2002年作
何も知らないような
あどけない笑顔で
うつむいた僕の顔をのぞきこむ
輝いた瞳のまぶしさにめまいを
覚えながら僕の中に沸き上がる
衝動押えられず
肩を引き寄せて唇にキスをした

こわばった君は瞳をうるわせて
少女ではない大人の顔をうかべる
手に入れた物と引き替えに失った物
計り知れないその大きさに震えて
時を貪る

夢の中には君の幼いあの笑顔
遠ざかる思い出だけが知っている

歯車の一つが狂い始めてから
理由を探しても行き場は見当たらない
あの日も僕は君の
顔さえ見ていたらそれだけで
満ちていた

泣きだした君の声にふと我に戻る
走りさる背中越しに明日は見えない
わずかに残る君の臭いと温もりを今
罪の意識に怯えながら
希望と一緒に抱きしめる

人は誰も闇を心の奥深く
抱えながら輝く夢追っている
SETUNAの誘惑に突き動かされては
愚かな過ちばかりを繰り返す
 半分以上は空想というか、願望というか、男の性というか、いけませんなあ。いつになっても若い女の子に目がいってしまうのはしょうがないことですね。ただし現実を無視してはなりません。自分の年を考えましょう。まあこんな曲を書いているのでは説得力などあったものではありませんが。
 人の心の中の闇の部分というのでしょうか。本能レベルのところで理性で推し量れないものが間違いなくあると思うのです。  
frozen city
2003年作
夢見ているような幸せな日々を
過ごしてきたけれどさよならを告げよう
なに一つ不満があったわけではないけど

彼方に広がる世界は今まできっと
味わったことのない
苦痛と現実ばかりの冷たいところさ
僕だけで行こう

誰にも言わないで闇の中歩こう
抱えた不安さえ今なら友達
どこまでも広がる先の見えない向こうへ

旅立つ支度はできてるいつでもかまわない
スイッチ一つで
世界は姿を変える醜く虚ろに
無彩色になる

冷たい風にコートの襟を立てながら
街灯の下で
震える僕は凍えた手を擦りながら
たばこをくわえる

遠くで誰かが見てる君に似ている
僕は気付かない
 職場での異動を受けて書いた曲であります。別にそんな地の果てにいく訳でもないのに大げさな内容ですね。しかしこの異動はやはり今までの環境からみれば、少々きびしいといわざるを得なかったのです。この会社内において間違いなく果てに追いやられるような感覚を味わいます。しかし住めば都のたとえ通り、そんなに棄てたものではなかった。むしろ居心地が良かったかもしれません。この文面を書いている時点で、実はまた前の職場に戻ってきているからです。環境はさらに悪化の一途をたどり、自分の足下がだんだん確固としたものでなく揺るぎ始めています。この後に作られた曲には、あきらかにそれが反映されていて、「MACHINE」のように人間の心を待たず流れ作業のように物事をこなしていけたら、どんなに楽だろうと考えたりします。  
MACHINE
2003年作
深い眠りから醒めたはずなのに
頭は痛むし足もふらついて

遠ざかる夢のかけらを
忘れてMACHINEのように
心を閉ざして

夜空を彷徨う星の数ほどに
人は溢れてる
溢れ過ぎている

あきらめたはずの夢が
激しくMACHINEを脅かす
意識を無にして

遥かな時間の向こうに
流れる記憶を辿れば
分かるというのか未来が

ありふれた慰めの言葉も
MACHINEにはまるでわからない
頷いてるけど
Can you hear me?
悲しみが明日押し寄せて
誰もがMACHINEを羨む
傷付かないから
 「frozen city」でも書きましたが、機械になってしまえば、そんなに深く悩む事などないのだという事です。これも「frozen city」と同じ職場にいるときに書かれたものですが、仕事をしているのが本当につらかったと思います。そんな苦しみを曲として消化する事で、ストレス解消にはなっているんだと思います。音楽的には珍しく6/8拍子のミディアムロックになっています。またこの頃から、PROTOOLSを使って作成されています。このフリーのソフトウエアは、非常に素晴らしく、マルチチャンネルレコーダーの出番はなくなってしまいました。  
朝の街を一人
2003年作
夜が包み込んでた白い肌に
窓の隙間から差し込む光が
夢のひとときが終わるのを告げる
ドアの鍵はテーブルの上に残して

朝は夜の名残りを残しながら
外は街灯がまだついたままで
人が行く気配のない道を急ぐ
罪の意識を始発電車に乗せる

空が明るみを増してる,僕は家路を急いでる
ドアを静かに開けながら君の隣に横たわる
嘘がまた一つ増えてゆく
君もそれは理解している

いつか話し合うことさえも忘れ
時の狭間にできた暗い闇を
人は気にせずに生きてゆくものかな
旅の終わりに残るものは後悔

誰が悪いわけではない
だけど僕はこの心の奥に満たされることない
深く暗い闇の中を照らす光を探している
夢が叶えられる希望を

今夜も君に何も言わずに
隠れて他の女性と夢をからませる

すべてなくなった部屋には君の声も聞こえない
黒く汚れた白い壁にただ時の流れを見る
2度と戻らない部屋に鍵をかけて
二人暮らした思い出を振りきって
朝の街を一人さすらう
 歌詞の内容は1997年当時、妻以外の女性とつきあっていた頃の思い出に端を発している。離婚経験者の思い出といったところだが、今にして思えば美しい別れであったと勝手に思っている。相手はそう思ってないかもしれない。歌詞にあるように段々一泊する事に抵抗がなくなっていった。もちろん妻を傷つけないよう、あるいは妻の怒りに触れぬよう嘘で真実を塗り固めていく訳だ。そうする事で妻との生活こそが虚構に感じられ、週に一度の外泊こそが真実ではないかと思ってしまう訳だ。なんとなく離婚して再婚というと愛する人を乗り換えたと思われるかもしれない。事実そういう形にはなっているが、それは離婚後一年を孤独で過ごした結果なのだ。別の人と一緒になるために離婚した訳ではないと強く言いたい。  
Existence
2004年作
学校や教師の示すロードマップを頼りに
この社会の入り口にかつて立ってはみたが
いきなり三叉路が立ちはだかり
見えるはずのテレビ塔は雲の中に消えた

自己責任といわれ続けても
スタートラインに間違いがなかったのだろうか

ただ企業や国家といった漠然としたもののために
一生懸命努力もしたし汗も流してきたけれど
誰一人ほめてくれる訳でもないし
代わりになる者はいくらでもいる

自己満足も少しはあるけれど
そんな物に何の意味があるというのだろう

愛する者がそばにいて
変わらぬ誓いを守るために
燃え尽きようとしている
ろうそくの明かりを手にして
行ける所までは行こうとしている

人生や哲学を語る不惑の年になったけど
霧の中に埋もれて何も見つけられない
これから視力は悪くなっていくし
そこはかとない不安が広がってゆく
 最近の心情を素直に暴露した曲では有ります。最後のところにある「人生や哲学を語る年にはなったけど、正直言って何も分かってはいないのだ。」というくだりが本当に真実なんでしょうね。年をとるとやたら自信たっぷりになる人がいますが、なんなんでしょうね。もちろん揺るぎない自信を武器にしてサラリーマン社会を生き抜いていく事も必要なのでしょうが。もっと謙虚になりましょうよ。自分に取っての揺るぎない自信が、他人を突き刺す刃になっているとしたら怖い事ですよね。   
蝉が啼く
2004年作
いつか輝く日のために勉強ばかり繰り返す
恋をすることもできずに塾への道を急いでる

つらいと思ったことはない
感情さえも抑えられ訪れるその日のために
今はとにかくこれでいい

取りあえず守られている
危険な目にもさらされず
与えられるものは与えられている
自由はないかも知れないけど

暑い夏に蝉が啼く
こんなはずじゃなかったと
暗い土の中にこそ夢が
あふれてたと嘆く

いつも笑われてばかりで何一つ取り柄などない
憧れるのは映画の中のいつもすました主人公

誰が言った訳じゃないが生きてる感じなどしない
だけどそんな長い日はいつか喜びに変わるだろう

取りあえず今はじっと夢を叶える夢を見る
超えられないものを超えられるのは
輝く夏を迎えてからだ

暑い夏に蝉が啼く
こんなはずじゃなかったと
暗い土の中にこそ夢が
あふれてたと嘆く

暑い夏に蝉が啼く 
こんなはずじゃなかったと
暑い夏が過ぎてゆく
こんなはずじゃなかったさ
 2004年の夏に突然できた曲。蝉の一生なんてかわいそうなもんだと小学生の頃に教えられ、そんなものかとずっと思っていて、よく考えたら奴らだって外に出たくなかったんじゃないかな、とふと思った。ただこの発想は誰でも思いつきそうだし、もしかしら何かそんなものを読んだのかもしれないが、歌詞自体はオリジナルだから許されるであろう。それにしても人間の一生だって80年生きたところで輝けるのはほんの数年ではないだろうか。それが若いときに訪れてしまう人もいるかもしれないし、晩年になるかは自身でさえもわからない。まだ輝いた事がないというあなた、これからかもしれませんよ。   
喜びに変わるまで
2004年作
何も気にかける物はない
それは昨日までの景色が
まるで色褪せて見えるから

けして期待などしてはない
  全て決められたことだから
  それは変えられはしないから

雨がやさしく身を包んで
  外の気温に馴染んだなら
  もう誰の瞳に映ったとしても
  記憶になんて残らない

部屋に戻る頃には雨は 上がり
  陽射しをのぞかせてる
  それは心には届かない
少し時間が経つにつれて
  思い出されることはまるで 
夢の中の出来事みたい

独り静かに暮らしてれば 
味わうこともなかったろう
  社会はいつも絆を求める
  求めながらも裏切ってる

今は傷付いて 明日が見えなくても 
歩き続けることは忘れない
  たとえ闇に深く包まれても
  生きること全て 喜びに変わる日まで

夜がいつしか窓の外に
  部屋の灯りを付けてみれば
  目に映るのは壁に架けられた
  写真の中の君の笑顔

今は傷付いて 明日が見えなくても
  歩き続けることは忘れない
  たとえ闇に深く包まれても
  生きること全て 喜びに変わる日まで
歩き続けよう 喜び溢れる日まで
 「MY OWN PLACE」で書いた事を焼き直して、現在の言葉、心情で作り上げた曲。歌詞が類似している理由である。というよりは結構取り上げるテーマであり、表現だったりする。とにかく歩いていく訳だ。闇に包まれようが、たどり着けなかろうが、燃え尽きそうなロウソクの明かりを手にして、視力が悪くなろうが、何が起ころうが、歩いていくのである。今後もこんなテーマは頻繁に登場してくるであろう。とにかく状況が悪くなっていくばかりだから。  
落ちぶれ…
2005年作
自販機の釣り銭忘れに期待を込めて
  シラミつぶしに懐中電灯当てて見てる
  その努力をもっと別の方に向けて行けば
  そう思っても奴にすれば今はそれでいっぱい

あんな風にはなりたくないし
  誰もそんな生活描いた訳じゃないさ
落ちぶれさ!

駅前の路上にネグラを構えてみても
  電車に乗って仕事に行くことなんてないさ
  動き始めるのは人が去った深夜遅く
  人が残した物捨てた物あさって歩いてる

あんなと人は人とかかわりたくない
  まさか君の知り合いだなんて言わないで
落ちぶれさ

日曜日の公園家族が
ピクニック気取りで
  束の間の幸せをぶち壊す
  やつらの姿が

子供らに罵られても言い訳もせずに
  うつ向きながら何かを呟きつづけている
  その頭の中身をかちわって流れ出る
  本当に生きてる証を見せ付けてくれないか

あんな風にはなりたくないが
いつか君も仲間になるかもしれないさ
落ちぶれさ
落ちぶれさ
 こんな曲を書いてる自分の方が落ちぶれだったりするんだよね。でもね!あれはあさましいですよ。自販機でコイン探しですよ。まあ買った後にまずちゃんと釣り銭確認はしますわな。これは当たり前。取り忘れがないか、もう一回くらいは見ても良いですよ。でも何も買わないんですよ。ただひたすらそれだけなんですよ。懐中電灯で釣り銭受けを照らして見て廻ってるんです。
I've Got Mail
2005年作
さざ波が聞こえてた
あの日から数日が過ぎて
想い出のスライドショーに
バックグラウンドで流れる
ラプソディーインブルー

静けさが漂って
一人だけの夜に
アドレスを探してる
君がくれたメモの切端

タイトルを決められず
フリーズしてるのは誰だろう

恥ずかしさ噛み締めて
並べ出した言葉が
君のもとに届いても
期待などしてない返信

メールソフト
立ち上げたまま
ネットサーフィン続け
さまよっている
夜は更けて
明日に変わる
時の狭間に夢を見てる
 カタカナを盛り込んだ曲を作ろうと思ったんですわな。それもせっかくだからパソコンがらみにしようと思ったわけですよ。シスアド持ってるンだぞうくらいのつもりですよ。ところがせいぜいメールアドレスとかフリーズとかネットサーフィンなどの類いで終始してしまいました。
夢の狭間に彷徨う船
2006年作
星が流れてく
願いをかなえる言葉を囁く窓辺に
明かりを灯して
二人の幸せ微かに映し出している

風の冷たさを忘れるために
ぬくもりを求め身体を合わせる

夢の狭間に彷徨う船は
引いては寄せる波に漂う
明日でもなく今という瞬間一つになって

闇がはれてゆく
不安な日々から逃れてたどり着いたのは
誰にも知られず
地図にさえそこが何処かは分からない所

扉の向こうが世界の果てで
飲み込まれようとしててもかまわない

夢の狭間に彷徨う船は
引いては寄せる波を乗り越え
世界の終わり見届けながら星の彼方に

悲しい歴史を繰り返しては
泣き続けた日に最後の別れを

夢の狭間に彷徨う船は
揺れる身体を筒むベールに
突き抜けてゆく甘き香りを閉じ込めながら
新たな世界始まる予感星の彼方で
 二年前に作った「スタ−シップ」をいろんな意味で作り直しました。大きく変わったのは歌詞とサビのバックコードです。いろんな意味で良くなったと信じたい。
 2005年に上野店に勤めていたが、秋になって蒲田の店に異動になった。2006年は蒲田で幕が開く。蒲田と言えば本社のすぐそば!なおかつ創業35周年で大盛り上がり。曲を作る時間がない。さらに身体上のトラブル続出で最悪の年に!
 良い事としては2006年2月にカラーコーディネーター2級に合格したことでしょうか。上野店の同僚Yさんも合格。一緒に合格祝いをしました。
 35周年記念イベントが終わった10月、密かに自分へのご褒美ということでi-Macを買いました。初代のボンダイブルーを買って8年後のことです。値段はほぼ一緒なのにこの性能の違いはなんなんでしょうね。そしてガレージバンドを手に入れたのです。これは大きいですよ。
 いわゆるソフトウェア音源とボーカル等のリアル音源が、一つのスコアで同期出来ていることが初体験だったもので、えらく感動したんですね。
 後New i-Macで可能になったのはYOU TUBE等の動画の再生がスムーズになったことでしょうか。
KMT
2007年作
きれいな顔して話す口調は
わけのわからぬ野蛮なリズム
涙も見せず傷も負わずに
彷徨う様は死人のダンス

木枯らしの中を走り抜ける顔
世紀末にさえ生き延びてきたのさ

身の上話上の空でも
交番前で突き放してる
哀れみかけて損になるなら
ダンスフロアで踊りだしてる

よどんだ空には白い雪の華
傷を負っただけの心に積もって

今日も朝から疲れた顔で
呪文のようなかすれてる声で
歌えば歩道であざ笑う
何も考えないで…

自分のことをまず一番に
主張しながら嘯いている
弱き立場はこっちとばかり
いい子ぶっても腐った心

今日も雪が舞うこの交差点
寒さだけじゃない心臓が止まる
あきれかえる街もう言うことはない
最後に一言「くたばれ」
 久しぶりに書いた攻撃的な歌詞は、この頃の職場のある町に向けられたものでKMTの頭文字それぞれにAを付け足したところで、前曲のコメントがヒントだったりする。もちろん好きな部分、思い出になっている部分もあるのですが、全体の雰囲気とか一部の人の異様な野蛮さが非常に目についたんでしょうね。
 接客業なんかやってるもんで、なおさら感じるんでしょうね。
 そんな中でもやりがいを見つけて、錦糸町で受けた傷みたいなものが少しずつ癒されたりしてました。良き理解者や、気持ちを分かち合える同僚の存在が大きかったのだと思います。I店長、S副店長、F君、H君、A君等、女の子では、Kさん、Eさん等、ほんとにみんな最高でした。
 2006年は、前述のごとく当社の35周年イヴェントがあって、以前にもまして店外活動をがんばりました。プラカードを持ちながら声高にイヴェントをアピール……時には35年前のヒット曲を歌ったりしてね。「いちご白書をもう一度」とか「戦争を知らない子供たち」、「あの素晴らしい愛をもう一度」なんかですね。冷たい目で見てゆく人もいれば、「がんばってね」と声をかけてくれる人もいたり……ジャンル的にのめり込めたんですね。それが10月に終結して、i-Macの購入となったわけです。
残滓
2007年作
匂い立つ花は夜風に揺れる
幼すぎて気付くこともできずに
遠くまでただ歩き続けていた
求めれば側にあったのに

あの日の君が写真の中で笑う
もっと大人に…
君の声が聞こえる

寂しくて人混みを掻き分けて
やみくもに想い出の場所彷徨った
儚くて頼りない記憶だけに
すがってる姿が虚しい

いつもと同じ過ちを繰り返しながら
もっと大人に…
君の声が聞こえる

やがて時は過ぎて夢を
現実の中で見失い
始発電車に揺られながら
殻を脱ぎ捨ててく

休みの日に子供に起こされて
遅い朝に鏡の前に立ち
やつれた顔を洗いながら
思い出してる
あの日君が言っていたことを

大人であるのは間違いではないけれど
胸に残る痛みは消えはしない
 才能の枯渇を感じていたこの頃に「まだこんな曲が書けるんだ」と少し自信を取り戻す事が出来た曲である。歌詞にしても「匂い立つ花は夜風に揺れる」なんて80年代には出なかったフレーズだと思います。実はこの1行だけふと頭に浮かんで、どんな話に広げていこうかと模索しながら出来上がったものです。ちょっとロマンチック、というかちょっとスケベな感じもするなあと思ってしまうのは、やはり親父だからか。
 もっと言うと、この1行のイメージは成熟した女性のイメージだったんですね。それに対峙した私は、とても子供だったんです。「かなわない」と思いました。「もおう、子供ね、しょうがないわね!」と叱られているイメージですね。この叱られている私は、そう、今から20年は昔ですかね。途中曲調が変わるところで、一挙に時を駆け上って、サラリーマンらしく生きて、子供もいるわけです。(実際子供はいない、多分もう持てないので想像です)
 つまり、幼さが次第に消えて、多分女性を満足させる性技にも長けてきて、子供だっている訳だし……と振っておいて、それでも過去に受けた傷を癒す事は困難なのだということなんでしょうか。
Brand-New World
2007年作
夢を膨らませ一人で喧噪の街へ
多くの出会いが彩りを添えて輝く

あの日々を思い出す風が吹いてきたら
(あの懐かしい日々思い出し
風にシンパシー抱く)

両手を拡げ翼のように
駆け巡るこの大空を
太陽が雲に隠されても
瞳が輝いてる

恋のかけらを拾い集めてもがいてた
静かに時間が過ぎてゆくのを眺めてた

あの日々が懐かしいでも今は変わってる
(あのもどかしい日々思い出し
今は進化している)

誰にもつらく思えることが
輝くダイアモンドに変わる
涙を拭い自分の足で
淀んだ街を歩く

たとえ躓いても誰も笑わないから
歪んだ鏡に姿を映さないで

明日の風になればいい
突き抜ける感覚を磨け
激しく心揺さぶりながら
道なき道をゆけ

両手を拡げ翼のように
駆け巡るこの大空を
太陽が雲に隠されても
瞳が輝いてる
 エイトビートの元気な曲はもう書けないのだろうか。との命題で、いきなり「Brand-New World」というタイトルを掲げ、前作「残滓」の背景を少し借りて、20代で東京に出てきた自身の姿をモチーフに彼がこれからどんな体験をしていくだろうかをなるべくネガティブにならないよう応援歌仕立てに仕上げたという感じでしょうか。
 歌詞の中では「たとえ躓いても誰も笑わないから、歪んだ鏡に姿を映さないで」という部分が、その時の自分に言ってやりたい言葉ですね。人の失敗を見て笑うやつはいます。またやる事為す事に一々文句をつけるやつもいる。それで萎縮して何も出来なくなってしまうのは愚かだと思う。
 他人は自分を映す鏡だと思う。ただ鏡がひずんでいる事は随分あるので、気をつけようということだ。
 ところでこの年は35周年イベントも終わり、仕事的には一段落していた。以前には蒲田批判的なコメントも書いたかもしれないが、蒲田へ通う生活は楽しかった。乗換駅は浜松町で、帰りは必ずタバコを吹かして帰った。街の所々にある喫煙コーナーにはスモーカー仲間が集まっていた。
 さて、2005年頃から体調に異変が起きていた。やたら汗をかく。疲れやすい。酒に弱くなった。具体的に形となって現れたのは2006年の健康診断で、その後循環器内科への通院が始まった。そしていずれは手術をしなければならないのだと説明を受けた。 
Delusion
2007年作
淋しくないなんて強がりを
口にしたところで心は
求めてる僅かな温もりを
手の届く距離にいる君を

さよならなんてまだ早い
もう少し側にいておくれよ
今日は本当に来てくれてありがとう
夜はこれから楽しく過ごそう

夢を見せてあげる
この指先で…
遥かに広がる世界の入り口を開こう

時計の針が気になって
落ち着かない君の傍らで
帰さない呪文をささやく
指先は君を伝っている

闇は一人孤独に暮らす世界で
報いのない愛に溺れることではない
本当に?

明かりが消えた部屋の中に聞こえる
君の声が風のように心の隙間に吹いてる

闇の中で一人妄想の世界
囚われ焦るばかりどこへも行けず
形のない君の姿を描いて
報いのない愛に溺れることもできず
伝わる涙も拭えず
登る朝日だけが眩しい
 この曲を書いてる時は、まだ平和だったのだ。Delisionとは妄想のことだが、明らかに妄想の世界でエッチなことを考えていたと思われる内容だ。しかしこの性的な欲求も明日への架け橋になろうというものだ。まあ1線を越えてしまうと犯罪に行き着くわけだが……。
 さあ、いよいよ先生から告知があるのだ。前述の「サイボーグの目覚め」から引用すると
 「そろそろですかね」
先生が一瞬何を言っているのか分かりませんでした。
「ご連絡いただければ、某病院の方へ予約を入れますから」
事態は急展開していたようです。私の血圧そのものは平均値ですが、心室の方は、それにプラスすることの50以上高いのだとその数値を提示されながら仰ってました。
 改めて先生は今までの経過を説明されながら、手術をするなら遅すぎてはいけないと言われました。かといって焦る必要もないのだと仰いました。私は一週間考えることにして、家内と二人予定通りカラオケに行きました。なるべく手術のことなど忘れてしまいたいというときに歌は便利でした。
 熟慮して答えを出しました。翌週、先生に、よろしくお願いしますと挨拶に行きました。とりあえずまず検査入院をすることになりました。それもすぐではなく、約一ヶ月後の7月31日です。その期間も仕事には行きます。間違いなく仕事どころではないのですが、それでもスタッフがある程度気を使ってくれるので、なんとか仕事を全うする事ができました。
ということになった。
名も無き庶民の一人として
2007年作
負けたわけではないのさ
最初から勝ち負けなど
意識してはなかった

ただ君がここに残り
僕は去ろうというわけだ
どんなに遠くに退き篭ったところで
いやおうなしに電波が届く
君の顔ならいつでも見れる

名も無き庶民の一人として
僕は僕で生きてゆく

ついてないねと
呟いて溜め息つく
はれ舞台は遠く去ってしまった

子供の頃はもちろん
大人になってからだって
誰かの称賛を
浴びたことなどなく
病んだ臓器の交換さえも
成功するか今も運まかせ

名も無き庶民の一人として
僕は僕で生きていく

明日の命も保証されずに
僕は僕で生きてゆく

名も無き庶民の一人の死に
紙面を割くスペースはない

名も無き庶民の一人として
何が何でも生きていく
 いよいよ、戦いの火蓋は切って落とされた。この曲は、30歳前後に作られていた曲で、私がデモテープを渡した数名の方は知っている。ただし詩の内容がいくらか変わった。
 「病んだ臓器の交換さえも成功するか今も運任せ」という箇所である。「サイボーグの目覚め」では、あの後カテーテルを使った検査入院の話になるが、5日間入院して最終日のこと……
 最終日の夜、明日は退院という時に、お世話になった先生方が、挨拶に訪れました。循環器内科の先生方の中に初めて見る先生がいらっしゃいました。実はその方こそ心臓内科の実際メスを振るうことになる担当医だったのです。
 循環器内科の先生が一目置く心臓外科のその先生の言動に注目せざるを得ませんでした。突然手帳を広げて、スケジュールの確認をされ、空いている日、すなわち私の手術日を決定することになりました。提示された中で最も近い8月20日を選択しました。一度入院を体験し慣れたこともあります。心境は、「早いに越したことはない」という感じでした。 
 今度は、検査入院ではない。手術を含めた1ヶ月近くの入院になるわけである。気を紛らすためではないが、携帯電話を買い替える。厳密に言えばPHSなのだが、1990年代からずっとそうだ。機種は、2回替えている。3回目は、スマートフォンのプロトタイプとして世に出た「アドエス」に決めた。PHSを辞めようか、迷っていたが入院となるとPHSの方が都合がいいわけだ。入院してる間の情報収集はこれで行こうと思ったのだ。
サイボーグ
2007年作
なおらない病に道なかばにして
倒れたアイドルの
果たせない思いの辛さ考えて
まだ良かったと思う

僕のハートは二枚の弁で人より一枚少ない
傷みの速度を増してパーツを交換して…

ロボットじゃない
血は流れてるサイボーグさあ
パーツの寿命は百年そんなに生きられはずはない

眠れないくらいに苦しくなるのを
待ってばかりはいられない
続かない呼吸がハートのせいだと
わからず生きてきたけれど

僕のハートは二枚の弁で遺伝ではなく生まれつき
傷むことはサダメだけど科学で変えられるなら

ロボットじゃない
恋に悩めるサイボーグさあ
パーツの寿命は百年パーツだけ残れば笑える

機械化人間みたいに永遠の命なんて望んでないし
誰かを犠牲にしてるわけじゃない

ロボットじゃない
夢も見られるサイボーグさあ
パーツの寿命は百年麻酔から醒めたなら

ロボットじゃない
人間でもないサイボーグさあ
もしも眠りから覚めなければ
サイボーグにさえなれはしない
 それで、こんな曲が出来たわけだ。
 なおらない病に道半ばにして倒れたアイドルは、2005年に白血病でこの世を去った本田美奈子のことを言う。生前、特にファンではなかった私の、精々彼女に対して知りうる知識は、派手な衣装で歌い狂う反清純派歌手、あるいはバンドを引き連れてシャウトするロッカー、ミュージカルで力一杯熱唱するヒロインといったもので、かなり印象はバラバラだった。死後に放映されたドキュメンタリーで、初めて素の彼女を見た気がする。そのイメージから過去の印象を分析すると、とにかく歌が好きである事、そして一生懸命であることが答えとして浮かび上がってくるのだ。
 本当に死ぬ事を意識したのだと思う。とにかく生きた証を残してやろうとこんな動画まで作ってYou Tube にアップしているのだ。
以下は動画にいただいたコメントです。
yasu07470 
寝てる間に終わります。頑張ってください from 32才♂生体弁装着済
altvenry 
早速のコメントありがとうございます。正直、歌にしてしまってま≠すが、不安でドキドキです。明日入院します。本当にありがとうご≠ざいます。

これは 星空文庫TOKYO EARLY 3 YEARS −1982年− を参照いただければと思います。まあ、かいつまんで言うとアマチュアロックバンドの名前です。

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