2025年6月6日金曜日

東京百景57「水道橋」

 本文の前に少々……

前回、東京百景56から約6年の歳月が流れ、ここにきてなんとか100を達成したいという欲望に駆られ、残り44をライフワークとして出来れば1年以内に完結し、時系列で並び替えてみたいと考える。だから今までのように思いついた順というよりも、19歳の上京当時に遡ってその順番に今まで出なかったエピソードを紹介しようと思う。


19歳の春、専門学校に通うために上京した。当時は東京写真専門学校といった。今は名前が変わってるらしい。残念ながら1年で中退したし、夜間だったので大した思い出はない。最寄りの駅は当時まだ国鉄の水道橋駅だった。お茶の水とほぼ中間だからどっちからでもいけそうだけど、定期は神田神保町にした。

以前20代初期の思い出を小説にしようと試みたことがあって、その中からの引用を紹介しようと思う。


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学校の方はたまに顔を出していたが、特に身が入らず中途半端な感じだった。スタジオワークの実習で、放送番組を制作することになった。やはり実習となると興味がわいた。一三人のクラスを二つに分けて互いに競いながら、ラジオ番組のように音楽を流しナレーターが詩などを朗読するようなものを作っていった。いわゆるフェイドイン・フェイドアウトの練習といったところだ。

 さて、まずイメージを描こうと班員の誰もが思ったのは、「ジェットストリーム」。当時のFM放送で人気の番組だった。ナレーター城達也の心地よい癒しの声と、気の利いた小話、当時フュージョンと呼ばれた曲達とのコラボレーションワールド。我々の班は七名で、クラスでただ一人の女性が同じ班にいた。必然的にナレーターが決定した。本人も満更でもなさそうだった。


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その女性とたまに駅まで一緒に帰ったりしたが、特に進展はなくただそれだけだった。

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