2011年12月30日金曜日

東京百景25「大江戸線汐留駅」

2002年11月2日に大江戸線汐留駅が開業した。ちなみに大江戸線は2000年12月12日に開通していた。

再婚して2000年10月に江東区森下に住居を構え、都営新宿線とのダブル利用が後々利益をもたらすのではないかと思っていた頃だった。

汐留駅が開業し、その年の12月には、商業施設としてカレッタ汐留がオープンする事になっていた。

ミーハーである我々は、そんな新しい街の雰囲気を味わおうと、森下駅の大江戸線改札を抜け、ホームに立った。大江戸線は六本木や上野に出たり、家内の実家に向かうため春日で乗り換えしたり、すでに大いに利用していた。

その頃の汐留は、まだ日本テレビも汐留シティセンターも出来る前で、あっさりしていたという印象しかない。

その後、銀座に出たりする際かなり利用した駅となった。ただし乗降回数でいえば、となりの大門には叶うまい。JR乗り換えのため、通勤で利用したからだ。

2011年12月25日日曜日

東京百景24「品川区大井町」

1983年の話である。上京して3年目、定職に就かずバイトを転々としてた頃。

ひょんなことから電気工事を始める。面接初日から杉並の寮に寝泊まりし、職人に混じってトラックで、現場である大井町のゼームス坂に向かう。数日後にはトラックの運転もしている。多分このマンションは、「三越ゼームス坂マンション」という物件でグーグルストリートビューでも十分確認出来るほど、健在である。

当時22歳だったと思うが、完成間近のマンションの工事に関わった経験が、少し人間を大きくさせてくれた気がした。個性のある職人達との想い出の日々……。

興味のある方はぜひ、星空文庫の「ゼームス坂マンションストーリー」をご覧あれ!(なんだ、宣伝か、って別に有料じゃないし……)

2011年12月12日月曜日

東京百景23「中野区中野総合病院」

1997年、4月にわけあって中野区に引っ越してきた。望んだものではないがしょうがなかった。

その年の秋頃と思われるが、謎の湿疹に襲われた。初めて経験したのだが、手のひらやふとももに出来るのだ。特に悪い遊びをした記憶もなかった。考えられるのは、青梅街道脇の居酒屋で食べた「バイ貝」!アレルギーなどなかったと思うが、たまたま日にちの経った代物だったのか?

それ以外は、特に熱が出る訳でもなく、いたって元気なので、仕事も出てたし、普通に日常をこなしてた。まあ市販の塗り薬をつけたりはしていた。

本来なら、ひどい段階で行くべきなのに、治りかけの頃、念のために中野総合病院へ自転車で行った。

皮膚科を受診した訳だが、名前を呼ばれて診察室へ入ると、予想を覆して若い女性、それもけっこう可愛い!先生なのだ。私は借りてきた猫のように、言われた通り大人しく椅子に座り、恥ずかしながら、身体の状況を説明する。
「そうですか。じゃあ、ズボン降ろして下さい」
「ええっ!」(そ、そんなあ、女性からですか?積極的!などと思考が迷走……)
「どうぞ!」
「えっ、いいんですか?」(恥ずかしいじゃ、ないですかー!)
「ええ、大丈夫ですから……」(超冷静!)

覚悟を決めて、ズボンを降ろした。表情を変えず、私の股間、いや太ももだろうなああ、ハハ、それを見つめてデスクに向かい直し、カルテに記入する。もちろんそれだけの話だ。

多分医者に行ったら自分より年下で……という経験をした最初だったのでは……。

2011年12月8日木曜日

東京百景22「八王子大和田町付近」

1996年頃だろうか。1993年結婚して新居を構えたのが、日野市の豊田だった。

どこへ行くのも愛車のスターレットだった。家内とは休日の曜日がずれていたので、休みの日には一人で、いろんなところへ行った。

まあ、「いろいろ」は、ご想像におまかせするが、大体は趣味のオーディオやビデオ関係に時間を費やした。レンタル店で、流行のCDを借りてきてお気に入りカセットを編集する作業が特に好きだった。

編集作業に革命が起こったのは、MDの登場だろう。後から順番も帰られるし、カセットテープのように、片面の演奏時間とか、いっさい気にする必要がなかった。なおかつ音質がまるで違った。記念すべきMDに最初に録音されたのは、大黒摩季の「熱くなれ」だったと思う。

このMDプレーヤーを始めとするオーディオ機器は、八王子の大和田町、もしくは甲州街道と国道16号の交差点付近といった方が分かるだろうか。ムラウチという比較的大きな量販店があって、そこで購入した。結構買わずとも、その近辺で時間をつぶす事が多かった。

ここでは、電子カーペットなども購入している。今は知らないが、店員さんはけして教育がされている感じではなかった。待機中にゴルフスイングをするという典型的な駄目駄目ぶりだった。でも場所的にも店の雰囲気も嫌いではなかった。

2011年12月4日日曜日

東京百景21「吉祥寺北口」

1994年の話である。4月で結婚1周年、5年間所属していた吉祥寺南口の支店から、北口の支店に異動となる。

同じ吉祥寺ながら、当時は、吉祥寺北を中心に、荻窪、立川、八王子の4店舗で北エリア、吉祥寺南を中心に、府中、調布、武蔵小金井の4店舗が南エリアと別れていたので、今回はエリアの外に出た事になるし、今まで行かなかった先の4店舗がメインとなるのだった。

ちなみにこの頃は一番勢いがあったので、吉祥寺以外の店舗では店長代行であり、鍵やブレーカーの配置など、すべて把握していた。

特に荻窪に応援に行く事が多かったのも、翌年12月にそこの店長になる布石だったのか。

吉祥寺北口は、サンロードという商店街があるが、突っ切ると五日市街道にぶつかる。その手前、西友の斜め向かいに映画館が(今でもあるようだ)あって、家内と「ショーシャンクの空」という映画を見た。

二人で映画を見るのは、初デートからの倣いであるが、いつもと違って、この映画は家内が先に食いついていた。正直、感動して、家内がこのような名作に案内してくれたことに感謝した。

妻とは、感性がかなり近く、近いが故に、結局は離れる事になった。あまり似過ぎているのは、返ってマイナスなのかもしれない。