2013年12月31日火曜日

28日ライブの総決算

12月28日、高岡市戸出の「銀の車輪」でのライブから
1、Top Of The World(The Carpenters cover)

2、Cant Take My Eyes Off You ~君の瞳に恋してる~ (The Boys Town Gang COVER)

以上が、Mr.vationとVanillaChocoとのジョイント。 次は、Mr.vationで
3、気絶するほど悩ましい〜セクシャルバイオレットNo.1

4、E=MC2

5、ベンチャーズ遊び(なんちゃってダイアモンドヘッド)

6、ホテル・カリフォルニア(?富山県?)


とまあ、今年の総集編ですねえ。

2013年12月27日金曜日

告知「もうすぐ2014年が来ちゃうぞ!ライブ!!」

ギター・ユニット「Mr.vation」で登場です。

また特別企画「Mr.バニチョコ」は、「バニラチョコ」と「Mr.vation」のコラボとなってます。お楽しみに……というか、本人が楽しみ!



2013年12月25日水曜日

今年一番の後悔!!

今年一番の後悔!!

それは7月31日で某政策金融公庫を辞めた事だ。

自分の中で気持ちの整理が付かず、ずっともやもやしてきた。

友人にさえ「もったいない。何で辞めたの!」と言われるし……

ハローワークにいっても「もったいない」「もったいない」とまるできゃりーぱみゅぱみゅだ。

確かに4ヶ月働いたわけだが、正直最初の数日で辞めるべきだと気づくべきだった。よくも4ヶ月ぐずぐずしてしまったものだ。

さて分析を試みる。

1、ハローワークでの選択が性急すぎた?

 前職「メガネの○ラダ」がブラック体質ありありであることに気付き、次の仕事を急いで探さなければ、と思っていた。もちろん生活費を切らさないためではあるが、正直蓄えがあったので、真実は「メガネの○ラダ」に対する当てつけがあった気がする。「次の所が決まっている」というスタンスに立ちたかったのだと思う。

2、入社するまでの準備期間とのギャップ!

 面接と入社試験が有った。それはきちんとしていた。丁寧だと思った。なお言えば採用担当者が良かった。本当にウェルカムな雰囲気だった。
 「メガネの○ラダ」は2月に退社したのだが、切りのいい4月1日の採用で決定したので、3月はゆっくり過ごせた。
 いやな予感は入社2日ほどまえ、某政策金融公庫のIという女性から電話が有り、「もしまだ定期を買ってなければ、日払いも可能なので……」というおかしな電話が来た。これに何か気づくべきだったのか。いやこれでは分るまい……。
 4月1日、入社当日、以前と雰囲気が違う。一つは私の面接採用者が九州に異動になっていた。この会社では当たり前で、数日前に異動が言い渡されるらしい。そして私を含め3人体制のパートのトップが退職していた。パートは計2名。私ともう一人のI。そう問題の"I"だ。

3、"I"の嫌がらせ。

 若い時はいろんな職場で嫌がらせを受けながらも、何とか頑張ったこともあった。とはいえ、そんな陰湿な職場にはそれほど遭遇していないような気がする。多分"I"は新体制の中で私を迎え入れることに反対だったのだと思う。
 最近思うのは、それは彼女一人がそう思っていたのか、あるいは新体制全体の総意だったのかということだ。採用担当者だけがウェルカムだったのではないか……ということだ。
 職場の総意を彼女一人が背負って、嫌がらせを実行したのか。嫌がらせの一つ一つは他愛のないものばかりだった。小学生でも出来る仕事を与えておいて、やれ字が汚いとか、丁寧でないとか、雑だとか、やり方が間違ってるとか、それもヒステリックな声をあげて罵るのだ。多分これが上司と部下なら「パワハラ」なのだが、パート同士でなおかつ向こうは10歳も年下の女性だから、我慢せざるを得ない。
 私が総意だと感じたのは、私が罵られてるのは、周囲に丸分りだから、何かフォローしてくれても良さそうなものだが、誰も何も言わないのだ。
 それにこのご時世やたらと「コンプライアンス」の合唱で、「セクハラ」「パワハラ」で処分されないよう、社員全体が飼いならされた猫のようにちんまりと大人しくなっている。どこかの職場のように怒鳴ったり、笑ったり、叫んだりすることなど皆無だった。あれだけ嫌った「メガネの○ラダ」でさえ、懐かしく思ってきたのだった。

4、期待された後輩の入社

 本当に必要とされていたのは、事務のプロフェッショナルだった。20代元銀行員の女性……普通に考えても理想のパートだ。そんなSさんが私に遅れる事、2ヶ月の6月から働き始めた。
 私のようなずぶの素人と違い、1から教える事もないし、私の苦手な電話応対も平気でこなし、明るくて美人だ。50歳の男性で障害者で事務未経験の私に比べれば、素晴らしい人材で、私にさえ気を使ってくれる素晴らしい女性だ。当然周りもちやほやするし……。1ヶ月様子を見て、私はいなくてもいいと思えた。
 居なくても良い場所に居るのは、辛かった。あの「メガネの○ラダ」から逃れて選んだはずだったのに、精神的に悪化しているのはどういうわけなのか。
 6月末に退職願を書いた。職場のトップである支店長が同い年だったのもショックだった。同じ職場で一方はトップ、一方はどん底だった。

5、最後の1ヶ月は、居心地が良かった。

 3ヶ月という期間では有ったが、FAX簿の管理とか、弔電、祝電の管理を任されていたので、そういった一つ一つをSさんに引き継がなければならなかった。概要をメールで送って、時間を取って口頭で教えたりするのは、なんだか気持ちがよかった。Sさんが若い女性だからということもあるだろうが、レベルが低くとも、自分が知っている事を他人に教えるという作業はやはり良いのだ。存在意義を感じられるのだ。


 最後に総括……富山での就職。それも50歳を過ぎての就職はやはり厳しいと言わざるを得ない。まさかの2社連続の劣悪な待遇に甘んじてしまうなんて……。

「もったいない」と人は言う。かといって「辞めなければよかった」とは思わない。
だから冒頭の「今年一番の後悔!!」はちょっと違っていて、今年一番の後悔は辞めたことでなく、そんなところに勤めてしまったことだ

「良い勉強になった」と捉えるしかないのだと思う。ただこの年になって味わうには、ちょっと酷ではないかと思われる。しかし身障者という言い訳に逃げてしまってはいけないのかもしれない。無理は禁物だが、戦えないわけではないのだ。

今年も決してすべてが悪かったわけでなく、茨城のマンションが売れたり、趣味の音楽の面で人とのつながりが生まれていったことは、本当に明るい材料だ。

今親戚に紹介してもらった小さなバイトをしている。仕事内容は問題ないが、お小遣い程度なので、もう少しちゃんとした仕事を見つけなければならない。2014年の課題である!!



2013年12月1日日曜日

告知「銀の車輪 3周年記念を楽しもう♪」ライブ

今日になってしまった!
スムージーカフェ「銀の車輪」より

当店が開店してようやく丸3年を迎えることが出来そうです。
これもひとえに皆様方のおかげです。
私自身がまだまだ何も出来ませんが、沢山の方々に支えられながら、そしてこれからも楽しく人の集まるお店にしていきたいと思います。
今回も皆様の暖かいお気持ちの中で4年目を迎えたいと思います。
10:30より「フルーツアート☆Xmas編」ランチを食べて終了
13:00より「ハーブ蒸留体験」「アロマクラフト体験
        1,000円~

14:00より 石田 和弘  & Junny Andloose
        「Mr.vation」ギターユニット
15:30より ギターとキーボードのユニット
        「バニラチョコ」
による生演奏ライブとなります。

お一人様1,500円にてフリードリンク、フリーフードとなります。お子様は半額になります。
駐車は当店敷地内、もしくは隣接する元「鶴亀鉱泉」さんにお願いしますm(_ _)m
お時間出来ましたらお気軽にお立ち寄りください

2013年11月1日金曜日

2013年10月を振り返る。

7月31日に某金融公庫のパート職を辞めた。

8月、9月は疲れた精神を癒すべく何もしないことを決め、好きな音楽にのめり込んだ。
8月には2回目のライブウッドに参加したし、9月には新ユニットMr.vationで高岡おとぎの森公園「らいぶすっぞ!」にも出演出来た。

その流れに乗っかって、10月も調子をこいて……
第1週目は、富山駅前路上ライブデビューを果たした。
第2週目は、砺波チューリップ公園の朝市ライブに参加した。
第3週目は、3回目のライブウッド出演を決めた。
第4週目は、2回目の「らいぶすっぞ!」に参加した。

そんな活動を通して、多くの方と知り合う事が出来た。

ただ決して音楽に現を抜かしていたわけではない。
毎週ハローワークに顔を出して、仕事を物色していた。
正直言うとこれと言ったものがない。

それでも、タウン誌を発行している会社や鉄道関係の会社の事務職に応募を出したものの、両者とも書類審査で落ちている。

鉄道関係の方は、今日(11月1日)不採用との文書を送ってきた。

本人的にやりたくないという気持ちが、どこか見え隠れしているのかもしれない。
退職金で何とか暮らしているが、無尽蔵ではないので、出来れば年内に何とかしたいものである。

何でも良いと思っていたが、ライブ活動が面白くなってきたので、土日はやっぱり休みたいだろうか……なんて、これじゃあなかなか決まらないだろうな。

2013年10月26日土曜日

Mr.vation ライブ告知、「明日だった!」

高岡のおとぎの森公園で、二人ユニットのMr.vationとして出場します。
出 演 順 出演予定者 演奏時間 予定演奏時刻
UpRice 20分 11:30
高坂市晴 25分 11:55
Rare Names 30分 12:30
「ろくたん」 20分 13:05
よし坊 30分 13:30
Mr.vation 35分 14:05
伏木太郎 20分 14:40

2013年10月24日木曜日

ライブウッド、一人反省会……。

一緒に出演した同士が、録画してアップしてくれたのでそれを見ながら一人愚痴ってみようという試みである。

まず1曲目であるが「TOKIO」!
今回は、自身の紹介も兼ねて高校を出て東京に向かい、50歳を過ぎて富山に戻るまでの流れを順に追いながら、今まで人前で歌われなかったであろう楽曲を紹介することが目的でもあった。

高校を卒業した年であり、あのジョン・レノンが凶弾に倒れた年の曲ということで、TOKIOになりました。もちろん沢田研二も好きでした。それに自身がジュニーと名乗っているのが、なんだかんだ言ってジュリーに引っ掛けている事も紹介出来るので、これだと思ったんでしょうね。

歌に入る前にその辺の説明をしてるんだけど、回りくどいですね。まあALTVENRYの名前の由来や、二人で活動してるMr.vationとかの関係なんかも説明してます。

歌に関していうと、5曲歌った中でこれが一番声も出てて、大きなミスも無く意外と良かったなあと思いました。

この1980年ちょうど僕は3月高校を卒業して予備校に通いました。とにかく東京に行きたかったんですね。ちなみに「TOKIO」って東京のことだって分ると思うんですが……。今「TOKIO」っていうと、長瀬君とこのグループですけどね。当時沢田研二さん、それはもう全盛でした。愛称でジュリーって呼ばれてますね。あれは、歌のうまいミュージカルスター、ジュリーアンドリュースにあやかってるんですね。で、私の場合Junnyっていうんですけど、淳一なんであやかった訳ではないんです。でもJunny Andlooseなんて名前でFaceBookとかやってるのは、やっぱり狙ってるんですかね」

以上はここで言おうと思っていたMCの前書きです。結構余計な事をいっぱい喋ってますね。身内からは喋り過ぎというクレームももらいました(笑)


2曲目は「ゴミ」!
20代半ばで書いておいて、人前で演奏するのが初めて!エポックメイキング!多分もうどこでも演奏しないでしょう。貴重だと思いますよォ。コードを1カ所間違えてますが、まあご愛嬌で。

3曲目は「夏の邂逅」!
この曲に入る前もうだうだ喋ってますね。まあ、20代で作った「ゴミ」から15年過ぎ、40歳頃書いたんで、自分の中で時間の開きを伝えたかったのかなあ、なんて……。
これは歌詞を2カ所誤摩化してしまってます。これは音楽サイトに投稿して聴けるのでリンクしておきます。MusicTrack「夏の邂逅」

4曲目は「Sweet Season」!
これに入る前もインターネットのメリット、デメリットなんかをしつこく喋ってますね。なんだか稚拙で恥ずかしいですね。これも音楽サイトに投稿して聴けるのでリンクしておきます。MusicTrack「Sweet Season」

最後の曲はカバー曲。
山下達郎の「さよなら夏の日」……。単純にカラオケなどでも歌う好きな曲を弾き語りしてみようという試みでした。

この曲の前のMCは、実は考えてなくて、最後に何を話そうかと思った時にふと、帰郷してこの1年間のことが頭をよぎってしまいました。
学生で富山を暮らす事と、社会人としてこの富山を生きる事はやはり別物……。自分がただ子供だっただけなのか……、はたまた富山が昔と変わってしまったのか……。

さて演奏の方は、まあまあ大きなミスも無く無事に終わりましたが、歌を聴いてると……うーん、うまくないなあ……。

一番の反省はMCかも……長年のサービス業が染み付いて、よく言えば腰の低い……つまりパンチのない、つまらない話のような気がしてなりません。

これからは、Mr.vationで相方が面白いトークを展開するので、こっちもかなり鍛えられるかもしれませんなあ(^^)/





2013年10月15日火曜日

10月20日は今年最後のライブウッド!



出  演  順

 


11:0011:30 なき
(久しぶり?のウッド!TOP!心のこもった歌で、お・も・て・な・し)

11:3512:05 伏木太郎
(ライブウッド!初登場!独特の雰囲気で、観客を魅了!)

12:1012:40 neco
(フォーク・J-POP・オリジナル。得意は中島みゆき。トークネタにも注目!)

12:4513:15 しょうきち
(満を持しての登場!インストに弾き語り。ウッドプラザは幸せに包まれます)

13:2013:50 よし坊
(元気印アコースティック・ロックンローラー。生き方、そのものがロックです!)

13:5514:25 ルシ
(涼しくなった晩秋には、かぐや姫の暖かい歌を!)

14:3015:00 Masa&Airi
(魅力溢れるAiriの女性ボーカルに、ギター・歌をこなすMasaが絡みます)

15:0515:35 ALTVENRY
(アルトベンリと読みます。どこかロックな感じがするやさしい歌い方です)

15:40~16:10 JeJe+宙(そら)
(久々の登場!今年最後のステージは、任せます!)

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - fin

ざっと、まとめます。
30年、富山を離れ、50歳を過ぎて帰郷して、就職……。
東京でやってたメガネ販売を活かすため、地元の眼鏡店に……。
いろいろあって(過去分参照)、退職することに!

退職予定日の2月20日の直前、「社長誕生パーティー」が14日に開かれた。
最初、冗談だろと思っていたら、会社をあげてのイベントだった。つまり全員参加で、なおかつ社員の家族も招待されている。さらに4月から入社する予定の、つまり新卒内定者が招待されている。

富山第一ホテルの広間で行われるのだ!
兵達は、奥さんを含め、子供達も参加させ、着飾って、祭りのように騒ぐ。
役職者の奥方の挨拶に留まらず、いたいけな子供にスピーチさせる。
「社長、お誕生日おめでとうございます。今日はこのような集まりにお招きいただきありがとうございます」
などと、可愛い声に言わせるのだ。

パーティー半ば、そんな子供達十数人に囲まれてにんまりする社長の姿を見ながら、つい某国の指導者の姿をだぶらせてしまう。

テーブルは役職事に分れている。
私のテーブルは、やはり若い連中が集まっていた。そう新年会で同じ部屋に寝泊まりした連中だった。

6日後に辞めるということをどうしても言えなかった。
「じゃあ、また今度!」
そう言って分れたが、多分今度はないのだった。
確かに別れがたい人たちもいる。
彼らは、頑張って生き残っていくだろうか?
私と同じように去っていくだろうか?

ただ彼らは20代!まだ若い!
こちらは50代。若いとは言えない。でもまだ生きていかなければならないのである。

2013年10月14日月曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⒀

最初の趣旨は「なぜ仕事が続かないか」を考える事だったのだが……。

富山復帰後、初の就職とそれにまつわる就職顛末記という内容になった。
なので、その最初の就職先であるメガネ会社で参加した大きなイヴェントを二つ紹介して、このコーナーは幕を閉じようと思う。

まずは、2013年1月10日「新年会」

その日は、1月1日に休み、2日から9日まで8日間働いた後の久しぶりの休日だった。
夕方所属店である中教院前店に顔を出す。実はこの時に店長と話し合い、2月中に退社する事を表明したのだった。

この新年会は、20数店舗の支店の全員参加となる。100名強が集まる場所は、呉羽山グランドホテル、アルコールが入る事もあって、全員宿泊となる。強制参加ではないといいつつ、集まざるを得ない状況だと思う。もうこうなると残業だか、何だか分からなくなる。会社の催し物なら、残業代が出ても……とも思うが、飲食代と宿泊代でそれは帳消しになるのだろう。

大広間での宴会、部屋を変えての2次会、楽しい事は楽しい。度を超えて暴れ回る輩もいない。

宿泊は、和室で5人が一部屋で布団をひいて寝る形だ。部屋割りは、入社年度ごとらしい。私以外の4人は今年入社した連中で、3人は新卒で4月に入った者、1人は中途でその後入った者だった。皆20代だったし、まだ会社に染まってないからか、後輩でありながら、年上の私に結構気を使ってくれる。私にとってみれば息子も同様の年代の子たちと同僚なんだが、何だか本当に同僚のような、まるで修学旅行にでも参加しているような錯覚にとらわれた。

新卒は毎年30人くらい入るが、淘汰されて数人しか残らないようだった。彼らの同輩も数人は辞めてしまって、自分自身さえ今後に不安を抱えているのだった。彼らの疑問に一応私の考えは述べる。おかしな事はおかしいと……。それでも彼らの前で、退職が決まっているという話は出来なかった。カルト教団に飲み込まれて行きていくか、あるいは誰かが体質を変えた新しい組織に生まれ変わらせてくれるか、いずれにしても逃げ出そうとしている老兵には、口を開く資格はないような気がした。

さあ、いよいよこのコーナーも最後だ。
2013年2月14日、「社長誕生パーティー」……うーん、それは次回で!

2013年10月11日金曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑿

こんなに続けるつもりはなかったタイトルだったが……結局就職顛末記として、長々と書かれたということだ。

試用期間満了で辞めておけば良かったと思った点が2つ!

1、このカルト的会社の習わしで、全社員相手に年賀状を書かねばならない。辞めておけば必要なかっただろう。

2、年末年始の休日が元日だけだった。辞めておけば30年ぶりに帰郷した富山の親戚連中とゆっくり正月を過ごせただろう。

辞めようと思って提出した意見書は、私の店舗異動と正社員登用という形で昇華されたのだと思う。中教院前といえば、通勤距離は半分以下だし、除雪作業の範囲も少なく、比較的環境は良くなるはずだった。

しかし、それだけで解決する問題でなかったのは、この会社の特徴だと思う。年賀状作成は嫌いではないから、まあ時間は取られるが苦ではない。正月が慌ただしいのが、最も応えた。

12月21日から31日までの休日は、たしか1日。元日は休みだが2日からは仕事で、次の休みは10日の予定だった。1月早々8日出勤だ。さらに言えば10日は泊まりがけの新年会で、全員参加となっている。

2013年に入ってからの私は、本当に魂が抜けていたかもしれない。多分そんな私を見かねて、店長が聴いてきた。
「やる気、あるの?」

私は、やる気がないことはないが、体力的に付いていくので精一杯だと答えた。彼は同じ中学の後輩だったが、そのせいかどうかは知らないが、正直に私にこれ以上ここに居ても苦しむだけだろうという話をしてくれた。

私も彼には話がしやすかったので、正直に退職の旨を伝えた。

すぐにも辞めて違う仕事を……と思ったが、2月20日が退職日になった。
それまでは頑張って勤め上げようと思った。友人に相談してもそうすべきだという。

そんな私をあざ笑うように退社日までのローテーションが出され、足下を見るかのように週休1日だった。

2013年10月10日木曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑾

さあ、予告通り「除雪作業事件」(事件じゃない)で!

10月下旬から働き始め、11月末には初任給、12月21日には正社員に昇格。
一見順風満帆のようだが、私の心の中ではこのまま正社員になっていいものか……そんな不安が渦を巻いていた。

なんとなく店舗の一員としての存在意義も感じつつあったが、実はボディブローのようにじわじわ効き始めていたことが一つ……それは時間に関するルーズさだった。

休憩時間の有無、残業時間の管理、ミーティング、会議……どれもが不安要因だった。

一日の労働時間は9時から18時で1時間休憩だから、8時間……ならいいが。

朝は、開店準備があるので8時には出勤する。昼食は30分で切り上げ、休憩は取れない事がほとんど……18時に帰れるかと思えば、誰も「お疲れさま」とは言わない。また来客中の場合は帰れない雰囲気が漂う。自分が担当でなくてもだ。

日曜日は、朝ミーティングがあるので7時半、月に一度の社長参加朝礼は朝7時に出勤……しなければならない。残業代は付かない。ちなみにその日休日の者も社長朝礼だけ参加して帰ってゆく。残業代は付かない。

さああ、いよいよ雪が降る!

それも社長朝礼の前日から激しく降る。
一面雪景色の中、運転もたいへんだ。ちなみに車通勤だ!路面が凍っている!
出勤も一苦労だ。
社長朝礼に間に合うように少し早めの6時半に出る。通常は15分程度だが……。

車に乗り込む直前に夜中にメールが届いていた。
店長からだった。
「明朝は、かなりの降雪が予想されるので6時から除雪作業をして、社長が来る7時には入り口から駐車場までをきれいにしておきます」

な、な、なんだって!!

確かに私は7時前に着いたが、すでに他のメンバーは作業着を着込んで除雪をしていた。その姿は神々しく見えた。無償の行為だ!本当に良い奴らだ!

しかし……それは違う、それは本当に恐るべし、カルト集団だ!

私は、ワーファリンという薬を飲んでいるせいで出血しやすい。重労働した時に内出血の痣が出来る。引越作業でも出来たし、この除雪作業でも出来た。

私は、辞めるべきだと思った。付いていけないと思った。だからその痣を利用する事にした。私は、会社に意見書を出した。今後正社員としてやっていくにしても除雪作業は出来ません。休憩時間はきちんと下さい。危険を伴う高所での清掃は免除して下さい。そんな内容だった。これで私は試用期間満了で退職出来ると思った。

ところが……そうは行かなかった。引き止めに合い、うかつにも喜んでしまったからだった!



2013年10月9日水曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑽

さあ前置きは短めで……

富山に帰郷して就職、初任給が出たのは11月30日。
20日締め、月末払いだから10月21日初日には意味があった事が分った。

銀行振込だ。
そう言えばそのために地元の銀行に口座を作った。

給与明細と一緒にもらった試用期間終了の案内……それは12月20日だった。つまり試用期間は2か月だったことがわかるが、入社時には1ヶ月の人もいれば3ヶ月の人もいる、という曖昧な説明だった。

試用期間には何か作為が感じられたが、気のせいかもしれない。

お茶だし、送迎を極め、次のステップに移行するべく加工の練習、また時計の電池交換などを始めていた。電池交換はきっと器用な人なら苦なく出来るかもしれない。私もけして不器用ではないと思うが、前職では経験なかった分野だし、力の加減も分らず、自分の手を傷つけることはもちろん、時計そのものを壊してしまうのではないか、不安だった。それでも見よう見まねでこなしていたが、もっと腕を磨く時間が欲しかったし、道具などがもっと整備されていて欲しかった。

道具に関しては、眼鏡用の調整工具やネジなどの備品が非常にお粗末に思われた。それは前職場との比較になってしまうが、以前は眼鏡用のネジ、1.4x3.0とか1.4x3.5といった種類のものがきちんと整理されていたし、未使用の新品が多数用意されていた。

ネジ交換の場合、無造作にネジが入ってる容器から、必要なネジを探すところから始まるのだった。

良い意味では古いネジを大事に取っておいて再利用するのだが、いくらネジ交換が無料サービスでも、新しいネジに変わるものだと多くの人は思う筈である。

備品の再利用は、ものによってはエコだったり経費削減だったりするが、そこをけちってどうするの!という所は、ある程度経費をかける必要があるのではないかと思う。

凄いと思ったのは、段ボール紙などを束ねる紐は、一度使って終わりではなくきちんと取っておくし、切れっぱしまで取っておいて結んで使用するのだった。あとは銀行などの紙袋、コンビニのビニール袋も再利用する。

使用しない場所の照明のオンオフはもちろんだが、便座の電源が入っていなかった。コンセントが抜いてあるのである。それは12月に入っても、そのままだったので、さすがにやり過ぎだと思った。というか忘れているだけだと思った。

事実は、会社全体の意向で冬でも便座に電源は入れないのだ。
私の唯一の提案で通ったのは、冬でも便座のコンセントが抜いてある理由を利用者に分るためのPOPが必要だというものだった。

それに書いてあるが、「節電のため」だそうだ。

原発事故を逆手に取って、自社の経費削減に利用しているだけだと思うのは私だけだろうか?

おじいちゃん、おばあちゃんが便座に座って冷たいと感じるのは、それは会社そのものが冷たい会社だからではないだろうか?

試用期間中に辞めるのがいいのではないか?迷っていた。
それを決定づける「除雪作業事件」(事件じゃないが……)は次回必ず!

2013年10月8日火曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑼

30年ぶりに富山に帰郷。1年4ヶ月ぶりに就職。

(もう何回も繰り返し、少々しつこいか)

さて、入社して1ヶ月過ぎた頃、気心も知れてきて、何となく自分自身の居場所を見つけたような気がしていた。

2回目の全体集会が近づいてきていたが、この時はメガネブローチはもちろん、スーツの胸ポケットを飾るハンカチーフも自前を用意していたし(ハンカチーフだけはなぜか3枚支給された。これは退職時に返却をさせられるので、紛失してはいけない←退職時の返却物に書いてあった!恐るべし)、とにかく会社の1員という自覚も生まれていた。

11月30日、月末は小売店に取っては、前年比や売上目標との決戦を締めくくる最後の日。別に恩を売るつもりはないが、売上に協力すべくメガネを購入することにした。

これはすべて前職場との比較になるのだが、総じて値段が高い。社員割引だって高い。また前職の場合、業務用メガネという特別待遇で、数年に1度だが無料で作れた(今はわからないが……入社した頃は1年1回だった)。

社員とはいえ、購入すれば顧客だというのは、前職では常識だったと思う。
具体的に言うと、お金を出して買ったメガネは、当然出来上がったものが手元に届くと考える。

月が変わって12月、昨日のメガネを購入したときの店長の笑顔は消えている。
要は、自分が買ったメガネだから、工程管理をしなければいけないのだ。
レンズは自分でコンピューターオンラインで発注、注文票とフレームをレンズ待ちの棚に仕舞っておかなければならないのだった。

数日後、レンズが入荷したことが分ったが誰も何も言わないのだ。
これも要は、自分で加工しろというのだ。
前職では分業体勢だったので、加工など出来ないし、「して下さい」と言える雰囲気ではない。たとえ思ってなくても、「加工の特訓しますからねえ。1ヶ月後にはおニューのメガネをかけますね!」と強がってみせるが、なんだか悔しい。

ちょうどこの頃、私の試用期間が12月20日で終了し、12月21日からは正社員だという通知をいただいた。

嬉しさ半分、恐さ半分!

まだ試用でいいんじゃないか、この会社に引き込まれても良い事がなさそうだ。

悶々とした日々を過ごすうちに冬は急激に速度を増し、それこそ30年ぶりに富山の雪を体験する。

私のその後を決定づけた除雪作業が始まる! 次回!

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑻

さあ加速して行こう!

退職までの流れを見ていこう。

30年ぶりに富山に戻り、1年4ヶ月ぶりに就職した前職と同じメガネの仕事。
会社の方針で接客は、役職の高い店長から……。

新人に出来る事をしていくしかない。

お茶汲みの他には、「送迎」
これは、さすがに東京では考えられない事だ。自宅から店舗まで送り迎えをするのだ。ただし身体の不自由な方や老人が主体で、私はこれも素晴らしいサービスだと思った。

ただ私が友人にそれを語ると、私に賛同するより先に
「事故ったら、どうするの?」
と聴かれた。

確かに人間がする事、事故が起こらないとは限らない。
多分会社自体が保険か何か、入っているだろうなあ……これは確認出来なかった。

それは比較的、私が事故を起こすタイプではなかったからだろうか。
多分上手な方だと思う。タクシードライバーだった父親の遺伝子を持つからなのか。

それに店舗にいて、他のメンバーや顧客の顔色を伺っているよりは外にいる方が気が紛れた。だから「送迎」大好きだった。

偶然にも級友の父親を乗せた事もあった。話の合うおばちゃんが、そのまま私からメガネを買ってくれたこともあった。さすがにその時は、検査、販売をさせてもらったし、私の売上点数に加算された。タクシーでなく店の人間だから、相手も気軽に話をしてくる。自然と意気投合するのも頷ける。

ただし1回肝を冷やした事件があった。余裕があれば、顧客住所を確認し、自分の頭で走行プランを考えるのだが、たいがいは顧客に道を聞きながら送り届ける。
「そこを左ですね」とか「その先公園の前ですね」といった感じだ。

ところがあるおばあちゃん、曲がるべき所で曲がらず、数百メートル過ぎた辺りで突然声を張り上げる。
「ここ、どこ?」
平然を装って、電柱に書いてある住所を伝えても
「さ、わからんちゃ!あんた、私をどこに連れて行く気なんね?」
とまるで、私を犯罪者扱いする。一度店に電話して住所を確認し、地図を見て送り届けるが、この時は恐ろしいと思った。

いくつかトラップはあったが、なんとかやり過ごしていた。
ちなみに車を擦ったり、電柱にぶつけたりするものはいた。
もちろん彼らは、全体集会で、100数人の全社員の前で謝罪である。

恐るべし、カルト集団。
ただし11月末まではその全貌は見えていなかった。

2013年10月7日月曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑺

昨年10月下旬から始めた仕事は、前職と同じ眼鏡店。

同じと言ったが、違う部分も多く……新人だから謙虚さもいるし……。

正直、メガネに関してはそれほど変わらないのだが、やり方が違うともうそれは別の仕事……慣れるまでが実にたいへんだし……実は会社の方針で、役職の高いものから接客に入るということで、メガネの仕事はほとんどまわってこないのだ。

新人と言えば、お茶汲み!

緑茶に、昆布茶に、コーヒー、ココアと品数も豊富。実は一つ一つにいれる際にマニュアルがある。出せば良いというものではないのだ。

正直にこれは、これで凄いと思った。カップに注ぐ量とか、緑茶の色とか、昆布茶にいれるあられの数とか、事細かに決まっている。

10月21日から12月20日までは、下赤江という場所にいて、ここはやたらコーヒーを出す店だった。マニュアルは基本オーダーを伺って出すのだが、黙ってコーヒーを持っていくのが多かった。そこで要らないと言われたり、他のが良いと言われて、他のを出したりしていた。

家族連れが多く、子供が2人も3人も来ようものなら、2杯、3杯とココアを入れる。なかなか溶けきらないからやっかいだったりする。

あと常連さんだと、この方はコーヒーは駄目とか、必ず昆布茶とか決まっていたりする。

この飲み物に関しては無料提供なので安心していただいて欲しいと思う。
もう一つ無料サービスで車の送迎というのがあるが、これは次回に……。

「ドリンクサービス」のまとめであるが、すべて本部の方で用意される。そしてどこの店が何をどれだけ消費しているかを調べている。出る事に関しては問題なさそうだが、コーヒーだけが極端に減るとか、昆布茶がやたら出ないということで、サービスに関する問題提起がされる。要は万遍なさと適度な消費量が大事なのだ。

問題がある店舗は、全体集会で追求される。ちなみに店舗の備品をこわしてしまったり、何か目だったミスをしたものは、全社員の前で謝罪させられる。

恐るべし、カルト集団!

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑹

……30年ぶりに富山に帰ってきて、50代で再就職。

ちょうど1年前の10月から地元の眼鏡店で奮闘の日々。

とにかく、1年4ヶ月に及ぶ失業期間からの脱却、面接の成功、再就職の準備などで舞い上がっており、少々の不安も目に入らず、自分に出来る事をこなしていこうと、今思えばいじらしいほどに、頑張っていた。

こうやって前置きが長いのは、それを整理するという目的もあるし、自分自身冷静に感情的にならないようにするためではある。

正確には、初日が10月21日であった。そこでその店のメンバーとは初めて会う。店長は30歳前後で独身、代理は女性で20代、もう一人男性社員はやはり20代、パートさんが女性で子持ちのアラフォーだが、結局一番年上であった。

新人よろしく、挨拶を決める。最初の印象では、いや今でも思うが、良いメンバーだった。人間関係で行けば、私があと20歳若ければ、それはきっと楽しい職場だったかもしれない。

そう、問題があるのは会社の体質だからだ……。

このシリーズの前の方で書いたが、入社前に用意するもので「3色ボールペン」がある。自腹である。高いものでもないし、最初くらい用意してくれてもいいのではないか。前職の東京の眼鏡店では「ネームペン」を無料提供してくれた。まあそれと比較して良いか分らないが、一応仕事で使うものだ。後で分ったが、色分けするのは在庫チェックの際、色分けして在庫帳に記入するためだ。

自腹でもう一つ驚いたのは「メガネブローチ」!
「メガネブローチ」「メガネチェーン」の使用目的は同じで、メガネを常時使用しない人や一時的に外したい時に持ち歩くための道具である。

ブローチは、本体と一緒に金属の輪をを付けてしようするが、この輪を付けないでブローチ単体を装飾品としても使用出来る。

全員着用だ!

例えば、最初に何か支給され、自分の趣味で後から購入という方法でいいじゃないか!
「メガネブローチ」は1000円くらいのものからある。買えなくはないが……。

これを拒否するのは、店の中で居づらい以上に会社に居にくい。というのは店ではある程度融通がきく、というかそれほどうるさくない。

だから、それをいいことに10日くらいは、購入せず着用しなかった。

この会社、会議やミーティングがやたら多い。
特に月に一度、一つの店に全社員が集合する全体集会がある。
20数店舗の支店の、100人超の人数を収容する比較的大きな店舗の2階で行われるが、社長が車で現れるやいなや、集まった100人がいったん駐車場まで降りてゆき、社長の車に列が出来、ドアが開いて出てくるのを今か今かと待ち構える。

社長が降り、専務(奥さん)が降り、一人一人握手を交わしてゆく。
事前に何店舗が前年売上達成したかを聴いておき、握手の際に使う。
「○○店達成おめでとうございます」
そう、そう言って社長や専務に握手を求める。

私がブローチをしていないことに気が付いたのは専務だった。
「あんたあ、ブローチは!」
全員の前でつるし上げを食う。本人もそうだし、所属店長にもとばっちりが及ぶ。

入社間もない事を理由にその場は切り抜ける。早速翌日購入せざるを得なかった。ちなみに12月になるとクリスマスバージョンが発売され、それも購入せざるを得なかった。

以上が「メガネブローチ事件」である。
それにしても、恐ろし、カルト教団!!

2013年10月4日金曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑸

30年ぶりに富山に戻ってきて就活し、何とか地元の眼鏡店に決まった。

それはちょうど昨年の10月の事……。

20数年勤めた東京の眼鏡店を辞めてから、実に1年4ヶ月ぶり……。

新しい仕事に従事することになり改めて、東京の眼鏡店が実はものすごく良い会社であった、という事に気づいた。それは働く社員にとってもそうだし……顧客にしてもそうじゃないかと思う。以下は東京の眼鏡店の利点というか、特徴である。

1、メガネ専門店であること……つまり、それ以外に時計だとか、宝石だとか扱ってない。

2、分業体勢である事……店舗で販売、接客をするものと、本社、工場で発注、加工するものとが別れている事。

3、社訓「売上を競うよりサービスを競え」「お客様に損をさせるな」を言葉通り実行出来た。

4、東京という、競合地域でライバル会社を意識していた。

5、新人教育が、しっかりされていて、無茶ぶりすることなく、安心して仕事ができた。


取りあえず以上の5点を、比較しながら見ていくと……

1、メガネ以外に、補聴器、時計、ステッキ、それに店舗にあるほとんどのものが売り物だった。販売カウンターの上にある卓上ミラー、販売時にカウンターに敷く和紙、これも売っている。無料サービスのコーヒー、昆布茶、お茶も販売用として余分にストックされている。

2、レンズの加工を店舗で行う。加工機がカウンター内にあり、時に騒音、異臭をまき散らし、レンズを削った粉が、側にあるコンピューター等精密機械に影響しないか、何より人体に影響ないのか心配である。

3、この社訓は、人によって解釈が異なったり、建前だと突っぱねたりする社員も大勢居たような気がする。これは最近どこのサービス業に行っても、自社の売り上げばかりを気にして、顧客に無理を押し付ける傾向が見られて嘆かわしく思う。例えばAという商品とBという商品があったとする。性能的な差はないものとする。Aの方がもし値段が高いなら、Bを勧めるのが、社訓に乗っ取ったやり方だ。ところが、Bの存在さえ否定してAを販売する姑息さはいったいなんだろう。Bを説明しつつ、何とかAの魅力を説いて販売するならまだしも……扱っていて、説明しないとは……?(ただし、これは自身にも経験があるので偉そうな事は言えない。ただし理想は、必ずBは説明することだ)

4、東京という競合社会は、へまをして顧客を逃すと他所へ行ってしまうので、顧客満足という意識をしっかり持っていた。比較しやすい環境の中で、価格であるとか、接客態度であるとか、自然に磨かれていく部分もあった。しかしながら地元で一人勝ちのような会社であったが、顧客へのサービスという点で優れている所もあった。ただしそれはあくまでも人によるものなので、店舗にばらつきがあるのは仕方がないかもしれない。

5、今回私は、50代ながら新人という事で、頭を下げて教えを請うという立場に徹するつもりだった。最初の1ヶ月は気合いが入っていたから問題はなかったが、段々やり方に疑問を覚えるようになった。会社の体質に問題を感じ始めていた。

最初は目新しい部分が輝いて見えていたのだけれど、ブラックな体質が見えてくるととたんに醜く感じられるようになった。飲み込まれないうちに辞めたいと思い始めたのは、12月に入った頃だった。

2013年10月3日木曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑷

昨年2012年夏に富山に戻ってきて……

ハローワークでやっと見つけて就職出来た眼鏡店に、10月20日から出勤する事になった。ちょうど1年前だ。

失業期間は、1年4ヶ月と数日。
面接に受かり、就職が決まった喜びで舞い上がっていた。

新しいスーツを新調したり、勤めるべき店舗の下見をしたり……出勤するまでに買いそろえるものを準備していた。

本当はこの時点で気づかなければいけなかったのだが……。

通常仕事で必要なものは、企業が準備して与えるものだと思う。
もちろん私物として使用することは出来ないが……。

3色ボールペン!

まあ高いものではないし……でも今考えると会社が用意すべきでは……と思う。

とにかくそんな細かい事は気にはならなかった。

ちなみにそれまでの私の能力を確認しておく。
そう、関東に30年、その中でも眼鏡店24年、そこで身につけた事。

1、接客。
コミュニケーション能力だ。相手の言う事を理解し、それに応じた言動をすることだ。

2、視力測定……医者が検眼と呼ぶものだ。接客力を活かしながら、専門知識で応える事だ。

3、販売……メガネのレンズ、フレームの知識が要求される。

4、調整……メガネのかかり具合を直す。

5、店長、副店長としての管理職経験。

主にこの5点が上がるわけだが、これはその東京の眼鏡店が分業体勢を取っていたからで、本来ならメガネの加工なども入らなければならない。

というわけで、新しい職場において上記の5点は活かせるかもしれないが、それ以外はまったく分らず、結局それらを教わっていくために苦労する事になるのだった。



2013年10月1日火曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑶

前置きが長くなったが……

2012年夏、約30年ぶりに富山県人に戻った。
住むべき家も見つかり引越も済んだ。
毎月通院すべき病院にも顔を出した。

ハローワーク常総で発行された書類をハローワーク富山に行って、住所変更を済ませる。

富山のハローワークも今回初めて訪れた。
1年3ヶ月の長い失業生活にも別れを告げるときが来たのだ。

その失業生活で手に入れたものは電気工事士2種だったが、実際の経験がなければ使い道はなかった。それに本来の電気工事は、20代の頃に経験しているがキツい上に、多分今それをやっても身体を壊すだけだろう。

結局、私にとって武器になるのは20数年間勤めていた眼鏡店での接客技術だけであることを思い知る。

ハローワークは、身障者コーナーが別枠で設けてあり、私の担当者は初老の紳士だった。
彼は、とにかく眼鏡店押しだった。

正直言うと私もその気にさせられた。

数店候補はあったが、その中から1社選んでもらった。
実際に店に足を運んでみる事は無く、ホームページなどで雰囲気を感じ取った。

しかし、実際勤めてみると分らない事はたくさんあったが……それは後ほど。
まず面接という話になった時、それこそ20数年ぶりに履歴書を書いたり、面接テクニックの本を読んだり、理髪店で髪をそろえたり……結婚と同じで、結婚がゴールなのではない、結婚した後の結婚生活こそがたいへんなのだが……面接必勝ということに舞い上がっていた。

とにかく気に入ってもらわなければならない。
面接は、総曲輪本店で、担当は本店店長兼任の人事部長だった。
彼は年下とは思えないほどのしっかりした人物で、考え方もしっかりしていた。多分将来を背負ってたつ人ではないだろうか。

さて、何とか面接を勝利して……富山での就職、ちょろいものだと思ったのかもしれない。後の事などあまり気にしてはいなかったし、勢いで何でも出来そうな雰囲気だった。

初出勤は10月20日という事に決まった。そう1年前だ。
所属店舗は、下赤江店だった。

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑵

ハローワーク、昔は職安と言っていた。
20代の頃、1度飯田橋の職安に行ったが、行っただけで仕事は紹介してもらってない。
ずっと求人雑誌や飛び込みでバイトとかしていた。

20数年間勤めた眼鏡店にしても、求人雑誌で応募したのだ。
だから2011年、50歳にして退職し、ハローワークで失業保険の手続きをすることは初めての体験だった。

そこはハローワーク常総。
住んでいた守谷からだと国道249を北上して10分くらいの所、最寄りの駅だと、関東鉄道常総線の水海道だ。

まあ田舎のハローワークだ。

その年退職後3ヶ月は富山に行っていて、戻ってきてからの手続きだった。
富山に戻る決断の付かない状態だったから、関東圏で働くことも視野に入れなくてはならないと考えた。

失業手当は思いのほかもらえるようで、そのためになにがしかの就活をしなければならなかった。その時職業訓練のチラシが目に留まった。ほとんど無料で受講でき、そこに通う事が就活として認められるのだ。一石二鳥とはこのことかと……いやプラス半年間は茨城に居る名目も出来る。家内は一刻も早くホットスポット脱出を願っていたが、私はまだこの守谷に、そして関東圏に未練があったのだと思う。

2012年1月から、ポリテクセンター茨城という、ハローワークに少し近い場所に通う事になった。「電気通信施工学科」は、学生時代に興味があったないようだ。

この時の感想はまた別の所で触れようと思うが、半年間まるで学生のような明るい雰囲気の中で楽しく勉強させていただいた。年下の級友達と仲良く情報交換していた。それが職場だったら天国のような、そんな場所だった。

6月修業してそこを出る。待つのは富山だった。


故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑴

2012年夏にプロジェクトは動いた。

富山に帰る!

7月、1次帰郷で住むべき物件を探す。条件は実家の近く、最低2LDK、あるいは3DKで、価格500〜600万円。

あった!

実は前々から探すには探していたのになかったのだが……。2階建ての築50年弱だが、そこそこきれいで550万。売買契約を8月中旬に決定。不動産屋のアドバイスで購入物件の住所に転入届けを済ますと良いというので、準備をするためいったん茨城県守谷のマンションに戻った。もう一つ戻る目的があった……それは、電気工事2種の2次試験を7月下旬に控えていたのだ。ちなみに6月に筆記試験を合格していた。

8月、2次帰郷を敢行する。目的は売買契約!実際の引越はその後になる予定だった。確か6日月曜日、守谷市役所に転出届けを出す。その足で富山へ。関越、上信越、北陸のお決まり高速コース。富山市役所はその翌日だったか……過去に10年以上過ごしていながら、富山市役所初見参だった。転入届けに始まり、国民健康保険、国民年金、それに障害に関する各届けを済ませた。行きつけの病院に東大からの紹介状を持っていった。

ちなみに身障者の特典(?)は、各自治体で異なる。東京が一番良いような気がするが、医療費に関しては、茨城、富山両県は、オールフリー。東京は1割負担だった。

無事に売買契約を済ませ、またも守谷に戻った。次の帰郷が引越本番だ。引越先が決まり、マンションの売却に本腰を入れる事が出来る。お願いしたのは、前回同様東急リバブル。とにかく前回の仕事があまりにも素晴らしかったので、今回も頼る事にした。

そして引越業者を選定、今まで競合させず、1社で決めてきたが、今回は金額がバカにならないと考え、3社を競合させ、どことはいえないが、茨城から富山、通常30万はかかると思われるところを、エアコンの取り付け、回収も含め22万程度で抑える事が出来た。もっと安い所もあるかもしれないが、私には納得出来る内容だった。毎日毎日段ボール箱の梱包作業に追われた。この頃電気工事2種の合格通知が届いた。

9月、確か18日だったか。業者が荷物を積み終わって、富山に向かった。途中1泊して翌日朝現地待ち合わせ……名残惜しさも感じながら、こちらも一路富山へ……。守谷のマンションとは最後のお別れとなった。

引越の片付けはもちろん、私にはやることがあった。10月いっぱいで失業手当が支払われなくなるのだ。

ハローワーク……仕事を見つけなければ……。

ちなみ1年前のブログの引用です。「仕事の事

2013年9月15日日曜日

本日のライブウッドは中止!

本日は悪天候が予想されるため、ライブは中止!

Mr.vationのお披露目は、22日高岡おとぎの森公園での「ライブすっぞ!」で、ということになりました。

今日のための練習の成果、購入したギターチューナー、友人から借りた鼈甲のピック、すべては来週に持ち越され……。

2013年9月12日木曜日

東京百景44「北千住駅」

北千住という所は、そこだけで完結してしまうくらいの何でもある街という印象である。

まあ、それは置いといて……私にとっては乗換駅であった北千住のお話である。

まずは2005年頃、つくばエクスプレスが開業したのだ。その頃江東区の森下に住んでいた私は、通勤でそれを利用する事になった。

2000年に開通した都営大江戸線で新御徒町まで行く。
(森下→両国→蔵前→新御徒町)
そこでTX(つくばエクスプレス)に乗り換える。
(新御徒町→浅草→南千住→北千住)
北千住で乗り換え、JRで応援先の松戸支店や柏支店に赴くのだ。

TXがないと、上野御徒町まで大江戸線で行って、JRに乗り換えるか、接続する仲御徒町駅で地下鉄日比谷線なのだが、スピードが違う事とやはり車両が綺麗なのと路線が新鮮であることが大きかった。

交通費は一番高いが、太っ腹な会社は出金可能としてくれた。
特にサイボーグ(2007年の心臓手術後の自分を自分でそう言っている)になってからは国の恩恵(身障者)で、都営交通は無料だった。会社にも負担をかけずに済んだのだ。

この経験が、2010年TX沿線守谷市への引越への布石になっていたのだ。

ちなみに守谷に遷ってからは、北千住までTXで来て、JRや他の路線に乗り換える事になった。また本社に異動後は、秋葉原までTX、そこから京浜東北で蒲田まで通い、北千住で降りる事は2ヶ月に1回、東大病院に行く時だけになった。これは北千住で地下鉄千代田線に乗り換え、根津で下車するのである。

2013年9月9日月曜日

東京百景43「武蔵小金井」

これまた仕事の話である。
それも東京百景42の「代々木」の11年前の話だ。

1990年、入社して4年目の某眼鏡店、その年から店長代行を任されることになり、デビューしたのが武蔵小金井だった。この店オープンは確か1989年だったんじゃないかな。1987年府中、1988年調布、その次だったと記憶する。

だから店もまだ新しい。
私が代行をしたときの店長は、S間さん……。この方には、お世話になりっぱなしだった。この方は、眼鏡店の店長の後、カラオケ店の店長、配送班(工場と店舗の連絡)、と一つの会社の中で転々としながら、今ではシステム管理というコンピュータ関係の中枢にいらっしゃるのである。

訳あって、この店の店長が一時不在となった。
私の他にもう一人代行がいて、K垣さんというのだが、交替で勤務する事になった。

運が悪いのは私で……夏祭りのある日。
当時は、まだ屋台と言えば、素性の良くない人たちもいたのだ。
店は夕方19:30までの営業だが、18:00をまわった頃、おもむろに金魚すくいがショーウインドーの前で作業を始めて……。

私もまだ血気盛んというか正義感に溢れていたというか、文句を言いに行ったのだ。
金魚すくい担当者は、唖然とした顔をしていた。そして助けを求める視線で、斜め前方のお好み焼きの方を見る。

お好み焼きの親父は多分その頃40歳前後の荒々しい感じの男で、すぐに駆けつけて言った。
「何文句付けてんだよお!」
相手の勢いに押されながらも踏ん張った。
「こっちも商売なんで……(汗、汗……)」

「良いようにしといてやるよ!」
彼は私を睨め付けながら、そう言って、金魚すくい担当者に指示を出した。

何とか言い分は通ったが、後味は悪かった。
見れば、お好み焼きオヤジには小指がなかった。

まあ、そんな話だ。後日談があるけど、それはまた別の機会で!!



コラボ第50弾「ダイエットしましょ」


公開日: 2012/07/04 22:21

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY


こちらで紹介しています。

コラボ第49弾「幼獣」


公開日: 2012/07/01 16:56

作詞: 徳美さん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第48弾「恋のスーパーエクスプレス」


公開日: 2012/06/28 18:44

作詞: Y&Kさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY+たんぽぽしゃん
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第47弾「泥舟」


公開日: 2012/06/25 00:11

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第46弾「love story」


公開日: 2012/06/22 00:40

作詞: はるみさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第45弾「行旅死亡人」


公開日: 2012/06/19 22:47

作詞: 徳美さん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第44弾「花のくノ一」


公開日: 2012/06/16 19:28

作詞: Y&Kさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第43弾「儚くても」


公開日: 2012/06/13 17:14

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第42弾「GRAY SKY」


公開日: 2012/06/10 19:46

作詞: 徳美さん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第41弾「★僕の君」


公開日: 2012/06/07 22:34

作詞: aiさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

2013年9月7日土曜日

Mr.Vation始動!!

個人プロジェクトのALTVENRYとは別に、石やんとMr.Vationを結成しました。

最初のお披露目が第31回ライブウッド(9月15日)であります。


10:2510:55 高坂市晴
(秋の訪れは、この男の歌声から。声量溢れるステージをご堪能あれ!)
11:0011:30 おっ君 + 宙(そら)千春
(久々のライブウッド!なつかしい曲で、昔を思い出してください)
11:3512:05 ルシ
(今回は誰の特集??まだ迷っています!果たして間に合うのか?)
12:1012:40 伏木太郎
(ライブウッド!初登場!ごった煮ジャンル?何が食べれるのか楽しみです!
12:4513:15 Mr.Vation
(ミスター・ベーション。二人組のギターリスト誕生!さて歌で勝負か、MCで勝負か!?)

13:2013:50 みっくすじゅーす
(ライブウッド!初登場!ミックスされた音彩を、いろんな味でプレゼントしてくれます♪)
13:5514:25 kyou
(ギター1本で奏でる音は、自然に良く溶け込み、素敵な秋を感じる事ができます)
14:3015:00 藤井晃
(伸びのある歌声は、澄みきった秋の高い空まで届くかのよう!)
15:0515:35 やまさん
(奇数月の雄叫びは、この男にお任せ!音と歌に酔いしれて下さい)
15:4016:10ビバキューム
(最高年齢コンビ??でも一番元気です!!ロックな歌とE.ギターの音色は人生そのもの!)


2013年8月12日月曜日

いわゆるセトリという奴

1、自由な心で(とまとさんとのコラボ) 
2、異邦人(往年の名曲のカバー) 
3、Hello,Sunshine!(Y&Kさんとのコラボ) 
4、OCEAN(B'Zのバラード) 
5、あなたに贈る最後の言葉(G-RONさんとのコラボ) 

というわけで、オリジナル3曲、カバー2曲となる。

2013年8月7日水曜日

次回ライブ決定!

告知でR(あーる) ”もう受けないか”

8月18日の日曜日、前回と同じ庄川水記念公園のウッドプラザだ。

11:3012:00   松村
12:0512:35   JURA
12:4013:10   アップライス
13:1513:45   ルシ
13:5014:20   石坂嘉唯
14:2514:55   高坂市晴
15:0015:30   ALTVENRY
15:3516:05   ウッドプラザーズ

2013年8月1日木曜日

あと1日……もすでに終わった。

とにかく7月31日に退職した。

大人しく、静かにそこを去ろうと思っていたら、最後になって……

「最後だから挨拶を」

と促され、菓子折りなどをもらって、舞い上がってしまい、なぜか変な雰囲気で去る事になった。

決して悪い気はしない……が、時間が経つにつれて、たかが4ヶ月勤めたパートタイマーに過剰な餞別ではないのか。何かマニュアルみたいなものがあるのではないか、と思うと何だか腹も立つ。

バス定期は、半年を使っていたが解約。2ヶ月分戻ってくると思ったら、日割り計算とかで、たいした額にもならない。

8月から、もう今日だが……どうやって暮らして行こう。
生活は、何とか出来る。
でも10年後を考えると……。

精神年齢当てクイズは、見事に50代を指す。
もう自分の実力も限界も見極めてしまっている年代……ああ、どうしてしまったというのだろう。迷走だ。瞑想である。

2013年7月30日火曜日

あと2日!

29日も、仕事を粛々とこなして来た。
心境は、静かに去っていきたい。送別会などもってのほか!

たった4ヶ月だし……たとえ短期間でもそこに一緒にいた人たちとは、何かしら縁があるのかもしれないけれど……。

取りあえず邪見にもしないし、かといって媚びようとも思わないスタンスだ。
静かに去りたい。自分の中では方向修正なのだ。

ちなみに右腕と右肩が痛む。
原因は首のヘルニアであると分かっている。

痛み止めでしのいでいる。あと週1回のリハビリが効いているのか、どうか。

21日のライブもその影響で、ギターのコードワークにきれがなかった。
また無理をして弾いたせいで、痛みがぶり返しもした。

8月にも、縁あればライブと思っているので、何とかしたい。

とにかくあと2日を大人しく、ラストを迎えようと思っている。

2013年7月28日日曜日

あと3日!

何が、かと言うと、7月が、である。
まあ、それもそうなんだが、仕事があと3日で終了、である。

4月から4ヶ月、慣れない金融会社で事務をやってきた。
貸借対照表など「ちんしゃく」と読んで、女性事務員からバカにされたり、
誰でも出来そうな詰まらない仕事を、一生懸命やってきた。

もともと長居をするつもりはなかった。

一昨年、東京の眼鏡店を退職、1年失業保険を貪り、昨年実家のある富山に越して来た。

ハローワークの相談員のアドバイスで、経験のあるメガネ店で働くも、そのブラック体質に嫌気がさして4ヶ月で辞めた。週に1度しか休めなかったり、無用なミーティング、それも残業代の付かない会合が週に1度はあった。

そして今の職場を見つけるが、問題はまずパートタイマーだった。
それでも良いと思ったが、賃金がやはり低い。その代わり、暦通りのお休みで、土日はもちろん祝祭日も普通に休めた。初めての金融業で、未知の世界に興味も湧いたが、廻ってくるのは雑用だけで、将来的に(年齢も年齢だし)その世界で行きて行く事はないだろうし、続けていても無駄だと思った。

おかげさまで、昨年まで住んでいた茨城のマンションが今年の4月になって、やっと売れた事もあって、暮らして行く事は出来る。もちろん永久ではないから……まあ、年内に新しい事に巡り会えれば良いと思う。

20代とか30代なら、多少ブラック企業でも頑張って上を目指せば、何か見えてくるかもしれないが、50代となると話は別だ。

新しい事よりも、今まで経験した事を土台に出来ること、そして欲を言えば、60歳を過ぎても続けていけるようなことが理想だ。

起業するしかないか?もうずっと前から浮かんでは消えて行く言葉だ。


2013年7月23日火曜日

Livewood 一人打ち上げ反省会

てなわけで、21日庄川ウッドプラザに行ってきました。
市内からだと神通川を渡るんだけど、最近は有沢橋を渡るのがマイブーム(?)
だったり……。
婦中町で国道359、砺波方面へ向かう。庄川にぶつかったら、川に沿って川上へ向かうということですね。

そこは庄川水記念公園という、ゆったり、まったりとした空間。
その一角にウッドプラザという名前通り木造の、土産物売り場的な、軽食出来まっせ的な、足湯もありまっせ的な場所があり、さらにそのアウトデッキ部分を間借りしてライブは行われる。

参加者イコール設営隊という事情もあり、荷物運びを手伝う。
初参加だから挨拶も交わしつつ、交流を深める。

さて、1曲目は「hello,again 〜昔からある場所〜」
これは、岡山でも歌った。私の場合、keyはAにして、サビにAmになる。この転調が気持ち良く、歌っていて心地よい。今回は出だしで声とギターが若干噛み合なかった。緊張もあるが、数日前から右肩、右腕が痛く、それがやっぱりひびいている。

2曲目「E=MC二乗」はオリジナル。これは初めて人前でやるが、結構いけると思った。ただし、歌詞の最後にコードを間違え、それをカバーするため、1行歌えていない。作詞者には申し訳ないと思う。作曲は私だが、作詞はじょじょだ。

最初は4曲だけの予定だったが、時間が余る事を考慮し、追加の「ハナミズキ」を3曲目に持って来た。これによりオリジナルとカバーを交互に歌うという構成が出来上がった。多分カバーの中でも1番メジャーなせいか、まあ反響はあった。場所的にもマッチしているのだろう。

4曲目のオリジナルは「ぼくらのために」。そう、1曲目とこれの2曲は岡山でも歌った。今回は、間奏部分に新しい試みを導入したが、まあこんなものか。最後「ひとりじゃない」で、ブレイクさせる試みも力の加減が必要かと思った。

5曲目のアンジーは、多分そこでは誰も知るものがなかったから、オリジナルと思われたかも知れない。コードCのところをDにしたミスが一カ所あった。さすがに腕が限界に近づいていた。痛みとしびれを感じていて、コードワークに切れも力もなかった。

ただ、今回もそこそこ満足はしている。大きなミスはなかったし、声を出すのは気持ちいい。

さあ、また新しいステージを求めて立ち上がろう。

2013年7月9日火曜日

告知でR(アール)……第29回ライブウッド!


開催日 2013年 7月21日(日曜日)


ひまわりが日に日に背を伸ばす季節!
どうか あなたのお気に召す曲がありますように!




出  演  順


ALTVENRY    12:0012:30
(初出場!「あるとべんり」と呼ぶそうです^^ 長い都会暮らしから故郷へ帰ってまいりました!)
ルシ        12:3513:05
(初出場の「せら」さんに因んで、世良さん中心でいきます!そして「remina」のあの名曲も!)
やまさん      13:1013:40
(ギターの音色は大自然と調和。歌は心の叫び!今回も全力で叫んでくれます♪)
せら             13:4514:15
(初出場!鍵盤の音霊はウッドプラザによく溶け込む♪なつかしい曲、オリジナル・カバーなんでもOK!)
なき                   14:2014:50
(心を癒してくれる歌声!暑さで疲れている人は、このステージを見逃すな!)
ウッドプラザーズ   14:5515:25
(このメンバーでは初出場!よし坊・石田・野島・Luciで奏でる音楽は、もしかしたら、かなりイケるかも??)

富山県砺波市庄川町水記念公園内「ウッドプラザ」での観光地野外イベント
庄川水記念公園内「ウッドプラザ」で、4月~10月の間、毎月第3日曜日に開催される、観光地野外ライブイベントです
おもに富山県内を中心に活動するアマチュアミュージシャンが数組出演します(時間はその開催日で違いますが、おおよそAM11時~PM4時)
ウッドプラザに足を運んだことがない方も、ぜひ一度お立ち寄りください

2013年6月27日木曜日

東京百景42「代々木」

2001年、完全に仕事の話である。

某メガネチェーン店、当時は渋谷グループに所属していただろうか。
代々木の店長が休みの時に店長代行をしていた。

確か当時は、一度新宿の店に鍵とメガネの完成品なんかを取りに行っていた気がする。それから代々木へ……今はもう無くなってしまったらしい。

その日、いつものように代々木にいるとK取締役がやってきた。
私は接客中だったが、気が気でない。
〜いったい何のようだ〜
どうも、私に用があるようだ。

お客様が店を出るまでの1時間弱、取締役はじっと見ていた。
〜何かしでかしただろうか〜

「今日は、どうされたんですか」
「実はね、異動の話なんだよ」

年明けの2002年から錦糸町へ行け、という話だった。
それから話はタバコの話になった。
取締役は吸わない派、私は吸う派だった。

さすがに個人の自由と思っているのか、止めろとは言わない。
その代わり、金銭と時間の無駄だという話をこってり聞かされた。

まあ、タバコに関しては2007年の心臓手術で泣く泣く禁煙するまで吸い続けた。
さすがに金銭的には値上げに継ぐ値上げに泣いたが、その至福の時間は何ものにも代え難かったと今でも思っている。

2013年6月23日日曜日

富山なんて、大キライじゃああ!! -3-

大袈裟なタイトルのコーナーを起ち上げてしまったが、もちろん良い所もある(早くも迎合か!)。

スーパー銭湯はどこもそこそこ良い!
湯めごこち、満天の湯、ファボーレの湯はいい。

ホームセンターもそこそこ居心地がいい。
カーマ、ムサシ……。

公共の施設では、市民プールが良い。

とはいえ、お約束通りのテーマで!

地鉄バスが最悪じゃあ!
まず窓が汚い!今乗っている67系統だけかと思ったら、他のもそうだった。市内で見せ場だと思われる城趾公園の景観や総曲輪や大和の町並みをきれいに見て欲しいとは思わないのだろうか。

エコマイカというICカードを導入したのは良いが、今ひとつ普及してないと思われる。乗車時にICカードを通す機械と過去の産物である整理券を発行する機械の二つが併用されているのは、なんとも見苦しい気がする。

乗務員がシステムに慣れてない気がする。
おかげでこの2ヶ月に2回、定期カードで定期区間を利用しているだけなのに、お金が引き落とされた。一度目はその場で気が付かなかったので、駅前の営業所まで出向いていって苦情を言うと取りあえずチャージして返金してくれた。2回目はその場で気が付いたら、運転手が慌てて自分の懐から小銭を出して返金してくれた。対応自体は悪くないが、そんなに頻繁に起きてどうする!!

まだまだ乗務員の資質や利用客のマナーの問題に言及したいが、この辺で(--)


2013年6月3日月曜日

富山なんて、大キライじゃああ!! -2-

-2-を書いてしまった。
コーナー化間違いなしだなあ。

-1-では島国根性と書いたが、役人根性という側面もある。

20代の頃、国鉄民営化に伴いJRが発足。
民営化という事で、顧客意識を持ち、接客技術が向上すれば、結果口の利き方にも注意を払うようになる。それは間違いなくその通りで、ここ数十年関東界隈でこの種の失望を味わった事はまずない。

国鉄だった頃は、居丈高な職員に蹂躙されていた感がある。
ああいった世界にはもう出会う事はない……と思っていた。

だが!しかーし!である。
富山の市営駐車場の職員がひどーい。
身障者なので、1時間320円が無料になるのだが……。
身障者に対する気遣いは求めないにしても、身障者手帳を穴の空く程ねめ回すのだ。
「これは東京都発行の手帳だから……」
住所変更してあるから、当然問題ないのだ。
知らないにしても、口からでまかせを言うとは……自分が不勉強なのを棚に上げて……。
「大丈夫な筈ですよ」と私は気にしない素振りで伝える。内心は怒り心頭だ。

そして、仕方なさそうに手帳と320円割引券を渡すのだ。

いかにも身障者をバカにしてるような。
今まで住んでいた自治体では経験しなかったので、本当にショックだ。

ローン生活13年の歴史 −13−

タイトルに13という数字が入ってるので、今回(-13-)でまとめよう。

江東区の森下から、2010年2月2日に茨城県守谷市に引っ越した。奇しくも2月2日は守谷市制が施行された記念日であり、その年が8年目だった。

この守谷への引越は何もかもが大正解だった。どこへ行っても何をやってもWelcomeだった。ロックシティ、ジョイフル本田、守谷トンネル、国道246、守谷市役所、もこバス、つくばエクスプレス、新大利根橋など引っ越したとたんに有料解除になった。

そして遷り住んだ高層マンション……広いリビング、オーダーで作ったカーテン。フロントでコーヒーなど販売していたり、敷地内にはセブンイレブンもあったし……。

出会う人々も悪意のある人はなく……ところが!

星空文庫の「2011年夏、疎開」を参照あれ!>

2011年3月の東日本大震災が重くのしかかっている。特に原発だ。
富山にはいつか帰るはずではあったが、こんなに早くその日が訪れようとは!

2011年の3ヶ月間は、とにかく今の富山を把握して、住むにはどうだろうか考える事になった。課題は住むべき場所だった。

問題を先送りするつもりはなかったが、疎開を終え守谷に戻って、ハローワークに行った。失業保険の手続きがまだだったからだ。そしてそこで技術を磨くべく国が提供している専門校を知る。これは意味のある出会いだったと思う。

というわけで2012年1月から6月は、学校に通うために確実に守谷にいることになった。これが功を奏して第2種電気工事士を取得する。まあ就職にはなんの影響も持たないのではあるが……。

そしてまた夏がやってきた。
答えを出さなくてはならなかった。まずは住処だ。
不思議なもので、昨年なかったものが、突然現れる。少々古いが、場所といい、広さといい、金額といい(退職金でまかなえる金額)、うってつけの物件。

これを購入するための活動が始まる。
一度守谷に戻って転出処理を住ませ、8月に再度富山に来て、転入して富山県民になるのだ。そして数日後に売買契約を住ませ、多少リフォームしてもらうことに……。
再度守谷に戻り、マンション売却活動を始め、引越を敢行する事になる。それは結局9月になってしまった。

マンション売却活動は、某不動産会社に任せて(森下売却と同じ業者)、富山における自分の足場を固めようと、就活に専念する。

就職の話はまた別の所でするとして……とにかく、眼鏡屋は10月21日から翌年2月20日という4ヶ月だけのもんだった。次の仕事は4月から働き始めたが、今まで全然いい話のなかった売却活動が好転したのが、新しい仕事を始めて半月後だった。

4月21日は、売買契約が成立。2300万で買った守谷のマンションは2290万で売却。購入して3年経っていたが、値崩れなしという素晴らしい結果だった。

さて、それを持って私のローン人生は終わるのだが、これから待ち受ける試練もひしひしと感じている。ゴールなんてないのだ。走り続けるしかない。それは50歳を過ぎてもなお……なのだ。





2013年6月1日土曜日

ローン生活13年の歴史 −12−

2007年の心臓手術は、とにかく大事件であったわけで……それ以降の生活の中心は、収入とか仕事とかじゃなくて、健康が一番の問題だった。

安定していた術後の体調だったが、2008年秋に異変が生じて再入院となる。

これもまた語り尽くしているのでそこを参照してもらおう。

星空文庫の「サイボーグの過信」

星空文庫の「サイボーグの掟」

2009年に再復帰するも、もう仕事の事などどうでも良くなっている。それはそれで問題で……会社としても、そんな輩を雇うわけがない。それでも何とか20年勤めた温情で生き延びていたはいた。

さて、それはそれとしてローンを払い始めて9年目だったが、来年(2010年)から利率がアップする予定となっていた。

最初に考えたのは、転職。これは退社して得た退職金をローンの繰り上げ返済に回そうという考えだった。

転職斡旋サイトに登録すると、さっそく担当者から連絡があり、担当者と面談することになった。物腰の柔らかい私よりも年配の担当者に指摘された事は、私の宝は2002年に取ったシスアドでも、趣味のコンピューターでもなく、やはり20数年続けて来た接客技術だろうという話になった。

転職熱が自然消滅していった秋口、ふと引越という考えが頭に浮かんだ。
「そうだ、住み替えだ!!」

都心に拘る必要はなかった。
通勤圏内ならどこでもいいじゃないか。
どうせなら、つくばエクスプレス沿線なんかいいんじゃないか!
つくばは、さすがに遠い。
でも埼玉、千葉ならいっきに茨城も悪くない。

いくつか物件をネットで探し見ると2千万円台で、かなりの物件があった。
下手をすると今よりも部屋数が多かったり、広かったり、内装がお洒落だったり……。

最初に見に行ったのが、みどり野というつくばの3個前の駅で、駅前に25階建てのでっかいマンションがあった。森下と同じ大京の物件で……ここが第1候補となって、再度アポを取って担当者に会う約束となっていた。

その間にいろいろ他の物件も見たりしていて、電車の始発にもなっている守谷の物件も気になっていた。次の休日に守谷によって、みどり野へ……という予定を組んでいたが、実際には、守谷で決定してしまい、みどり野行きをキャンセルしてロックシティ守谷(現イオンタウン守谷)でお茶をした。

物件的には変わらなくても、駅の規模、利便性、周囲の環境のどれを比較しても、その頃のみどり野には、何もなかった。10年後は分からないが、10年後は当方だってどうなっているかわからなかった。

とにかく決断は大成功だった。

星空文庫の「サイボーグの都落ち」

ざっくりだが、4200万で購入したマンション、10年で残は3500万程度だったが、そこを3800万で売ったことで、車も現金で購入したし、羽振りの良い日々が続いた。値が400万しか下がらなかったのは、ひとえにスカイツリー効果だったのだと思う。

私自身、日々伸びていくその姿に何かしらわくわくした気持ちをもらっていたような気がする。そのスカイツリーは守谷からも肉眼で確認が出来た。たいしたものだ。


富山なんて、大キライじゃああ!! -1-

そんなタイトルのコーナーを作ろうかと思うほど(作るつもりでタイトルに -1- と入れてしまった)、この学生時代を過ごした街の嫌だった部分を少しずつ、味わいかえしている毎日である。

嫌なところ……言葉がいやだ。性根が腐ってる。妙に意固地だ。超保身的だ。

などなどいろいろあって、毎回具体的に紹介していく事で、全容が明らかになるのだと思う。

日本そのものに島国根性という言葉があるけれど、それの最たるものだ。地元意識が強い。よそ者に冷たい。よそ者に妙に意地悪だ。

これは幼少期のつたない記憶だが、千葉県で生まれ4歳で富山にやって来た頃、関東の言葉を話していたせいか、常に無視されていた。それは同じ保育所の園児とかじゃなく、保母さんや保護者からも邪見にされていた。

私のような幼いものなら、数年もすれば地元の言葉を覚え、同化する術を身につけるのだが、苦労したのは、富山など縁のない父親だったろう。富山出身の母に出会わなければねえ……まあ、そうしなければ、私自身がこの世に存在しないのだが……。




2013年5月27日月曜日

ローン生活13年の歴史 −11−

話はいよいよ2007年、心臓手術の段になるが、これはもう語り尽くしているので、そこを参照してもらおう。

星空文庫の「サイボーグの目覚め」

テーマが「ローン生活」なので、金銭的なところをざっくり説明するとしよう。

心臓の大動脈弁の人工弁置換は、いったん心臓を停止させて人工心肺を使用するので、金額がかかるのだろう。約2ヶ月の入院費も含めて160万円だ。

正直社会保険の仕組みなど全然知らなかったものだから、後から高額療養費として、そっくり返ってくるとは思わなかった。

つまり入院療養中に健康以外の不安事も抱えなくてはいかなかった。
だからこそ、真っ先に某生命保険が見舞金として100万円用意してくれたことが、嬉しくてならなかった。20代からずっと「無駄だ、無駄だ」と思っていたけど……。

先にも書いたが、160万円はほどなく戻ってきたから、単純に100万円、苦しみと引き換えに手に入れたように思う。

休んでいた分の給与減はあったが、差し引いてもいくらかのプラスだ。
(でも年の暮れ、ボーナスも減っていた……それでもややプラスだけど)

さあ、そしてさらに特別待遇を受ける身になった。都営交通はすべてただ。区から3万円相当の「タクシー券」がもらえ、医療費は1パーセント負担。

これならローン生活を乗り切れるんじゃないか……そんな風にも思っていた2008年だが、翌年新しい決断をすることになる。

2013年5月26日日曜日

ローン生活13年の歴史 −10−

2005年初頭の上野店配属……そして秋には蒲田への異動!

管理職を降りて身軽になったとはいえ、蒲田は寝耳に水だった。
上野で自分自身を取り戻しつつあり、年末には資格試験を受ける予定でもあったのだ。

カラーコーディネーター2級……おかげさまで翌年2月に合格発表!一緒に受けて合格した後輩と祝杯をあげた。

蒲田へは大江戸線を大門で乗り換えJR浜松町駅から京浜東北である。
ちなみに森下を起点に錦糸町は東、千葉、渋谷は西(以上新宿線)。
同じく上野は北、蒲田は南(以上大江戸線)。
通勤方向東西南北を制覇したことになるわけだ……。

この蒲田の異動は、上野についで自己再発見の糸口になり、予想に反してやりがいを見つける事が出来た。
会社は創業35年という節目で「あの頃に戻ろう」キャンペーンを張っていた。それがちょうど私のフィーリングにあっていたように思う。

この年、自分へのご褒美にi-Macを購入する。98年の初代i-Mac、2001年のi-Bookから比べると明らかに進化していた。

そしてこの年の健康診断で、心臓の異常が発見され、循環器科へ定期的に通うようになった。この年頸椎にも問題があって、MRIを初体験している。

いよいよ大手術に向けての秒読みが開始されたのだ。

2013年5月23日木曜日

ローン生活13年の歴史 −9−

2005年上野に来たあたりから、次第に呪縛から解放される。

とにかく職場での辛かった日々はいったいなんだったんだろうと思うが、極度に管理化された空間では生きにくかったというしかあるまい。

2000年から2001年の渋谷、2002年と2004年の錦糸町は、私のような実力のないものが管理職など勤められるわけがなかったのだ。

それでも働かざるを得なかったのは、やっぱり住宅ローンのせいだと思う。

とにかく管理職を降りた事が一つ呪縛解放に功を奏したと思われるが、収入ダウンが誤算ではあった。ただ天秤にかければ、しょうがないというしかなかった。

上野店は、上司に恵まれ次第に本来の自分を取り戻していったように思う。

この上野店勤務、後の生活に大きく影響を与えたことが多々あった。
その一つ、2000年12月に開通した大江戸線による通勤初体験だった。

ちなみに渋谷勤務は、都営新宿線森下→神保町で東京メトロ半蔵門線に乗り換え。
2002年錦糸町は、森下→錦糸町を都営バスを利用した。
2003年千葉は、都営新宿線森下→馬喰横山で乗り換え(JR馬喰町)総武線快速。
2004年錦糸町は、この年半蔵門線が錦糸町の先、押上まで伸びたのでこれを利用する。都営新宿線森下→住吉で半蔵門線に乗り換え一駅。

そして2005年、都営大江戸線森下→上野御徒町という乗り換えなし通勤だった。

2005年はつくばエクスプレスが開業した年だが、都営大江戸線の新御徒町で乗り換えることができるのだ。

そして上野店の所属グループが総武線でなく、常磐線利用の支店ということもあり、このつくばエクスプレスを使う場面があったのだった。(2010年守谷に引っ越す動機の一つになったか)

毎日上野に通えば、その界隈には強くなるものだ。
2007年、東大病院に入院することになるが、上野とは目と鼻だった。その辺りの地理に詳しくなれたのも良かったと思う。


2013年5月22日水曜日

ローン生活13年の歴史 −8−

千葉から錦糸町に戻って……年が明けて2004年。

もう出世街道などどうでも良くなっていた。
管理職に固執する意味などなかった。

一般職に戻っても残業代が管理職手当を補う予定だった。

ところが実際は、残業さえも出来なくなってきていた。
やはり80年代や90年代は良かったのだ。
景気が悪くなっていた。どの業種もそうだろう。

人件費を抑えるために無駄な残業はさせないのだ。

ローンを組む時に、収入が下がる事など計算してなかったわけでもないが、実際そんな展開を迎えるとはねえ……。

とにかく、この年は管理職から一般職に落ちたことが一番のNEWSだ。
でも私生活は、相変わらずだったに違いない。
春には、飛鳥山、四谷飯田橋辺りの桜、根津神社のツツジ、亀戸天神の藤などを楽しみ、夏には、お台場、汐留辺りを闊歩し、麻布十番の夏祭り等に繰り出す。
秋には、古河庭園、春日神社辺りで菊を見たり……。

寒いのは苦手なので、冬はビデオ三昧だったり……。

年末、店長と一悶着あった。
異動を自ら願い出て……2005年からは上野店となった。

2013年5月21日火曜日

ローン生活13年の歴史 −7−

2003年……。

前回後味の悪い終わり方をしたので、明るい話題が提供できれば良いのだが……。

再婚とはいえ、新婚生活は悪くなかった。
森下という町を堪能したし、足の伸ばして日本橋浜町、人形町を闊歩して伝統と新興のグラデーションを味わった。

一番最寄りの繁華街、銀座も隅から隅まで歩いた。
高級嗜好はなかったが、ウインドーショッピングを楽しんだ。

大江戸線が開通して六本木のヒルズやミッドタウンを訪ねたし、汐留の駅が開業早々からの発展ぶりも楽しんでいた。

麻布十番のお祭りも毎年通ったし、隅田川の花火大会も毎年チェックしていた。

門前仲町の居酒屋を堪能した。

仕事がキツかった分、休日が充実していたのかもしれない。メリハリのある日々を送っていたのだなあと思う。

2003年、千葉に流されたことは結構良かった。ある種出世競争から外れたこともあるし、気心の知れた同僚達に癒される事大であった。

通勤が遠いけれど、千葉は良い所だった。ところがこの年の暮れにまたも錦糸町に呼び戻されてしまう。それもまたNo.3という立場だ。

正直、もう勘弁してくれ、というのが本音だった。

2013年5月20日月曜日

ローン生活13年の歴史 −6−

ローン生活13年の歴史などと書き始めてしまったが、それはイコール再婚の歴史である。

そしてもう一つは受難の歴史だったとも言える。
もし結婚してなければ、一人で受け止めていただろう。

再婚によって、会社は今一度私にチャンスをくれたのだと思う。
府中でくすぶっていた私に渋谷への異動命令が下る。

今思うと、そんな器ではなかったんだと思う。確かに店長経験者ではあった。
30代前半は、自分でもいくらか出来る男だと自負していた。
3年半店長をしている間に自身に満足してしまったか、どこかで成長する術を忘れてしまったようだ。

期待されて、渋谷のNo.3のポジションについたが、下からの突き上げに屈して、次第に窓際ポストに移動していった。

そんな私にさらに会社はチャンスをくれたが、これも乗り越える事が出来なかった。
2001年暮れのことだ。
江東区森下とは目と鼻の先、2002年1月からの錦糸町への異動、そしてまたもNo.3のポジションだった。

錦糸町への異動は、府中から渋谷の異動の比ではない。
それは距離ではない。当時東西南北の営業部体制を取っていた会社において、渋谷も府中も同じ西部営業部だが、錦糸町は千葉と同じ東部営業部になるのだ。
営業部を越えるのは、正直ストレスが半端ない。

しかしながら、ストレスが強いと結構頑張ってしまうもので、No.3からNo.2へ上る位置まで一度は這い上がった。

そこに店長が副部長に昇進する話がわき上がった。そして新たに千葉から新店長赴任という話が持ち上がった。

この政治的な動きの中で、もし私に実力が備わっていたら、多分No.2として3、4年はそこにいただろうが、翌2003年は、島流しのように千葉に葬られた。

2013年5月19日日曜日

ローン生活13年の歴史 −5−

2000年10月、2度目の結婚生活が始まった。

場所は江東区森下。
以前は深川と呼ばれた場所。
新大橋通りと清澄通りが交差する辺り……。

ざっくりとお金の話をしてしまおう。
30代からじっくり溜めた貯金は利息に消えたと思っていただこう。
マンションは4200万、これを35年ローンで割ると年間120万。
当時39歳、35年先の事はほとんど考えなかった。

月10万の家賃生活を過去にしていたので、最初高をくくっていた。
ところが自分の収入が減るという事は計算してなかったのだ。

自由になるのは月4〜5万が、徐々に2〜3万になり……貯金も出来ないから、繰り上げ返済も出来ない。多分払いきれない。

そんな不安をどこかで誤魔化し、高層階から見る、東京タワー、富士山、隅田川花火大会を満悦し、ウオーキングがてらの日本橋界隈、門前仲町付近、木場公園、錦糸町等の散策を楽しみ、インターネット使い放題(結局は管理費に定額で含まれているのだが)に現を抜かしていた。

コラボ第40弾「カーネーション」


公開日: 2012/05/05 20:08

作詞: 夢u yan(ムーヤン)
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第39弾「五月の迷路」


公開日: 2012/05/05 20:08

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第38弾「酔ってもいいかな」


公開日: 2012/04/11 22:48

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: たんぽぽしゃん
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第37弾「絶好調だぜい!」


公開日: 2012/04/02 22:00

作詞: 夢u yan(ムーヤン)
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第36弾「自由な心で」


公開日: 2012/03/31 17:58

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第35弾「100万回生きたねこ」


公開日: 2012/03/23 00:09

作詞: たんぽぽしゃん&ALTVENRY
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY、たんぽぽしゃん
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

さらにこちらの過去ログでも紹介しています。

コラボ第34弾「ガンバルノダ」


公開日: 2012/03/22 00:43

作詞: みち
作曲: MILKHOUSE
編曲: MILKHOUSE
ボーカル: たんぽぽ&ALTVENRYさん&MILKHOUSEさん&ナオさん
ミキシング: MILKHOUSE

こちらで紹介しています。

コラボ第33弾「貧乏神をやっちまえ!」


公開日: 2012/03/14 23:52

作詞: 夢u yan(ムーヤン)
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

2013年5月18日土曜日

ローン生活13年の歴史 −4−

2000年6月にようやく結婚を申し入れ、数日後に見学に行ったマンションに人目惚れして、そこに一つのベクトルが生まれた。

そして、ほぼ一瞬にして今後の予定が決まっていった。
向こうの親御さんと会食。
会社への報告。
ローンを組むために貯金を下ろしたり……。
1999年、買い替えた愛車のVITZを手放したり……。

会食は鰻だった。
義父、義母、義姉と接見。緊張……。
会社は、快く2度目の結婚祝いをくれたし、遠い府中から通勤が近い渋谷への異動を考えてくれた。
ちょうど10年近く手を付けなかった郵便局の定額貯金があった。これは預金時の金利が維持されるのだが、預金当時の金利は5.5パーセント!!良い時代だった。
1999年、6年乗ってきたスターレットからヴィッツに買い替えた。杉並でさえ月2.5万の駐車代、江東区森下のマンション専用駐車場はそれ以上だった。
これから組むローンを考えるとそれはイタかった。
そこで車を諦めたのだが……正直地下鉄駅真上のマンションに車は不要だった。

2010年守谷に行くまで、NO CARであった。

実際の引越は10月だが、マンションの購入手続きはたいへんめんどくさく、8月9月は数回通った。

ちなみに過去ログにもこれを書いたものがあった……。そう……。販売士試験の翌日が引越だったというわけなのだ。

2013年5月17日金曜日

ローン生活13年の歴史 −3−

まあ2000年という年は、東高円寺と森下と職場の府中を行き来する生活だった。

休みの前の日は、府中から森下に直行だったか、彼女が東高円寺に来ていたのか、記憶があやふやになって来ている。

確か森下から府中に出勤した記憶はある。
なんと都営新宿線と京王線は繋がっているから、乗り換えは比較的楽だった。

森下は、都営新宿線の駅だった。
その年の12月には都営大江戸線が開通して、その乗換駅としての森下の役割は大きいに違いないと思っていた。

6月頃に「結婚しよう」と言って、その後いろいろ計画を練った。
マンション購入もそのイベントの一環だった。

駅前に長細い13階建てのマンションが出来て、モデルルームの案内をしていた。
取りあえず参考にしようというノリではあったが、担当者の熱心な説明と彼女の微笑ましい顔、そして交通の利、高層の眺め、インターネット使い放題……段々と私の気持ちも動いて来て、だめ押しとなったのはやはり12月の大江戸線開通だった。

これはその10年後の守谷にも共通するのだが、「これからどう成長していくのかが楽しみな物件」ということである。

後から思えば無謀な買い物だったと思うが、制限がある方が楽しいということもある。

2013年5月16日木曜日

ローン生活13年の歴史 −2−

2000年になった。
何も起こらなかった。
1999年7の月も何も起こらなかった。
いや、店長降格となった。そして8の月に正式離婚。

店長降格となって、廻り廻って府中店の勤務だった3月、今の奥さんの誕生日に……。

プレゼントを買わなければと思っていながら、当日を迎えてしまう……。そこが新宿や渋谷なら仕事帰りに何か買う事も出来るだろう。

でも府中だぜ……。まあ府中にだって伊勢丹もあるだろう。
でもそうじゃない……何が良いだろう?

B’Zの「いつかのメリークリスマス」という曲をご存知だろうか?
(クリスマスじゃなくバースデーだが……)
私も後になって、この曲の影響だった事を知るのだが……。

確か日中、銀行に行った時、多分大國魂神社の元参道だったけやき並木の道沿いに家具屋があって、ショーウインドーにピンク(?)の可愛い椅子が置いてあったのが記憶に引っかかっていた。

結局、仕事帰りにその椅子を買って京王線に乗った。
高円寺のワンルームに着いてすぐマイカーにそれを載せ、江東区森下の彼女のワンルームに運んだ。

残念ながら不在だったので、ドアの外に置いておいた。
人の出入りの少ない6階の角の部屋の為せる技だった。

なかなかローンの話までいかない。多分次回……。

2013年5月15日水曜日

ローン生活13年の歴史 −1−

すべての発端は、再婚だ。

と言い切る前に、1998年、前妻との別居から始まった再婚までのシナリオを振り返らなくてはならない。シナリオは私が書いた物でなく、多分空の上のどなたかが書いた物だと思われる。

その時、訳あって東高円寺のワンルームマンションにいた。
そこは自分自身をさえ仕事部屋と偽って借りた、前妻と暮らす新中野から目と鼻の先にあった。その時のことはまた別の機会でもって書き記してみたいと思う。

1999年、結局、別居となり離婚となる。
その頃、前妻の他に付き合ってる人がいた。今の妻だ。
その時はまだ結婚するつもりはなかった。独身の自由を久しぶりに味わっていたからだろうと思う。

2000年、39歳にならんとしていた。前年暮れに体調を悪くして弱気になったせいもあった。来る40代を一人で生きていくのは寂しいと思った。

今の妻は横浜に住んでいたが、彼女の職場がお茶の水になったこともあって、江東区森下のワンルームマンションに引っ越す事になった。引越を手伝った。

森下という所に初めてやってきた。いわゆる下町だ。昔、深川と言われていたエリアだ。

高円寺から横浜に行くよりは森下の方が断然近い。

2013年5月13日月曜日

コラボ第32弾「あなたに贈る最後の言葉」


公開日: 2012/03/11 12:53

作詞: G-RONさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第31弾「眠りの国の」


公開日: 2012/03/08 18:25

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: たんぽぽしゃん&ALTVENRY
ボーカル: たんぽぽしゃん&ALTVENRY
ミキシング: たんぽぽしゃん&ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第30弾「永遠なんてないのに」


公開日: 2012/03/04 00:54

作詞: 徳美さん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第29弾「シャッターチャンス」


公開日: 2012/03/01 17:13

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第28弾「野良猫渡世」


公開日: 2012/02/28 18:08

作詞: 夢u yan(ムーヤン)
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第27弾「Hello, Sunshine !」


公開日: 2012/02/24 23:29

作詞: Y&Kさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第26弾「お日様みたいに」


公開日: 2012/02/22 17:58

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第25弾「メタポックリ症候群」


公開日: 2012/02/17 18:14

作詞: 夢u yan & ALTVENRY
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちで紹介しています。

コラボ第24弾「デスティニー(歌:たんぽぽしゃん)」


2012/02/14 23:00

作詞: とまとさん
作曲: ALTVENRY
編曲: ALTVENRY
ボーカル: たんぽぽしゃん
ミキシング: たんぽぽしゃん&ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第23弾「捨て猫ブギ(カバー)」


2012/02/11 20:00

作詞: 夢u yan(ムーヤン)
作曲: 夢u yan(ムーヤン)
編曲: ALTVENRY
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: ALTVENRY

こちらで紹介しています。

コラボ第22弾「基本 臆病者(Vocal by ALTVENRY)」


公開日: 2012/02/06 04:49

作詞: Little Mt.
作曲: collapara
編曲: collapara
ボーカル: ALTVENRY
ミキシング: collapara

こちらで紹介しています。