2013年10月1日火曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑵

ハローワーク、昔は職安と言っていた。
20代の頃、1度飯田橋の職安に行ったが、行っただけで仕事は紹介してもらってない。
ずっと求人雑誌や飛び込みでバイトとかしていた。

20数年間勤めた眼鏡店にしても、求人雑誌で応募したのだ。
だから2011年、50歳にして退職し、ハローワークで失業保険の手続きをすることは初めての体験だった。

そこはハローワーク常総。
住んでいた守谷からだと国道249を北上して10分くらいの所、最寄りの駅だと、関東鉄道常総線の水海道だ。

まあ田舎のハローワークだ。

その年退職後3ヶ月は富山に行っていて、戻ってきてからの手続きだった。
富山に戻る決断の付かない状態だったから、関東圏で働くことも視野に入れなくてはならないと考えた。

失業手当は思いのほかもらえるようで、そのためになにがしかの就活をしなければならなかった。その時職業訓練のチラシが目に留まった。ほとんど無料で受講でき、そこに通う事が就活として認められるのだ。一石二鳥とはこのことかと……いやプラス半年間は茨城に居る名目も出来る。家内は一刻も早くホットスポット脱出を願っていたが、私はまだこの守谷に、そして関東圏に未練があったのだと思う。

2012年1月から、ポリテクセンター茨城という、ハローワークに少し近い場所に通う事になった。「電気通信施工学科」は、学生時代に興味があったないようだ。

この時の感想はまた別の所で触れようと思うが、半年間まるで学生のような明るい雰囲気の中で楽しく勉強させていただいた。年下の級友達と仲良く情報交換していた。それが職場だったら天国のような、そんな場所だった。

6月修業してそこを出る。待つのは富山だった。


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