2013年10月1日火曜日

故郷富山に戻って1年……なぜ仕事が続かないか - ⑶

前置きが長くなったが……

2012年夏、約30年ぶりに富山県人に戻った。
住むべき家も見つかり引越も済んだ。
毎月通院すべき病院にも顔を出した。

ハローワーク常総で発行された書類をハローワーク富山に行って、住所変更を済ませる。

富山のハローワークも今回初めて訪れた。
1年3ヶ月の長い失業生活にも別れを告げるときが来たのだ。

その失業生活で手に入れたものは電気工事士2種だったが、実際の経験がなければ使い道はなかった。それに本来の電気工事は、20代の頃に経験しているがキツい上に、多分今それをやっても身体を壊すだけだろう。

結局、私にとって武器になるのは20数年間勤めていた眼鏡店での接客技術だけであることを思い知る。

ハローワークは、身障者コーナーが別枠で設けてあり、私の担当者は初老の紳士だった。
彼は、とにかく眼鏡店押しだった。

正直言うと私もその気にさせられた。

数店候補はあったが、その中から1社選んでもらった。
実際に店に足を運んでみる事は無く、ホームページなどで雰囲気を感じ取った。

しかし、実際勤めてみると分らない事はたくさんあったが……それは後ほど。
まず面接という話になった時、それこそ20数年ぶりに履歴書を書いたり、面接テクニックの本を読んだり、理髪店で髪をそろえたり……結婚と同じで、結婚がゴールなのではない、結婚した後の結婚生活こそがたいへんなのだが……面接必勝ということに舞い上がっていた。

とにかく気に入ってもらわなければならない。
面接は、総曲輪本店で、担当は本店店長兼任の人事部長だった。
彼は年下とは思えないほどのしっかりした人物で、考え方もしっかりしていた。多分将来を背負ってたつ人ではないだろうか。

さて、何とか面接を勝利して……富山での就職、ちょろいものだと思ったのかもしれない。後の事などあまり気にしてはいなかったし、勢いで何でも出来そうな雰囲気だった。

初出勤は10月20日という事に決まった。そう1年前だ。
所属店舗は、下赤江店だった。

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