2012年1月18日水曜日

東京百景27「五反田駅西口目黒川沿い」

1981年、20歳の夏、中学時代リアルタイムで見に行った「TOMMY」という映画をもう一度、見なくてはならなくなった。というのもThe Whoの本格的なファンになってしまったからだった。

1975年、日本でも公開された「TOMMY」は、ロックオペラ、と言うかミュージカル仕立てになっていて、当時人気のあったエリック・クラプトン、エルトン・ジョンが出演していいることが話題で、ただその名前に惹かれて見に行ったのだ。

上京して数ヶ月、東京は必ずどこかで見たい映画がやっているくらい小さな映画館と映画ファンが多かった。高田馬場のパール座、三鷹オスカー等と並ぶ老舗、五反田TOEIシネマで、3本立てで500円だった。これらの映画館はすでにないのと同様、それらを探した情報誌ピアも昨年、廃刊されたようだ。

そう、今度は本気で、五反田まで見に行ったのだ。「TOMMY」はもともと1969年に発表されたThe Whoの出世アルバムなのである。この世界的に大ヒットしたアルバムが、日本では売れなかった。この辺りが、海外ではストーンズに匹敵するほどのビッグネームが、日本で過小評価されてきた原因なのである。

映画の方は、私のようなただの洋楽好きでも見に行ったくらいだから、そこそこ成功したのではないだろうか。ただし、内容を完全に理解出来るほど、簡単な物でもなかった。その辺りは、ALTVENRY'S WHO PAGESに書いてあるので参考にしていただければ……。

五反田に行ったのは、この映画を見る事、あとは母が勤める「ポーラ化粧品」の本社ビルがあって、本社研修の日に母と妹と待ち合わせした事、私が所属していたバンドのリーダーであるカッペイが結婚式をあげたのが「ゆうぽうと」で、それに出席した事の3回だと記憶するが、あとは記憶の彼方に忘れ去られているのかもしれない。

SOVIEL(ソビエル)


SOVIEL(ソビエル)
2011年
生まれた時から何気ない風景
丘の上にSOVIEL、それは建っていた
まるで自然の様、理由さえ分からず
丘の上にSOVIEL、それはそこにあった

学校を出て、就職して、
結婚して、子供生まれる頃には
丘の上にSOVIEL、それはいつしか
街のランドマークと讃えられてた

いつの頃からか、分かりはじめた仕組みを
丘の上にSOVIEL、あいつにぶつけても
偉い人はみんな声を合わせて答える
丘の上にSOVIEL、あいつは友達と

時は流れてみんな忘れて
気になるのは、地位や名誉とか
丘の上にSOVIEL、あいつも同じ
どれだけ収入をあげられるかばかり

いつもと変わらぬ午後に突然起こった
地震と津波が街を襲った
丘の上にSOVIELあいつは
犠牲者の振りをして
見えない毒をたくさんばらまいた

生まれた時から育ってきた街は
がれきが除かれてかたずいたとて
青い海も昔と変わらないようだけど
丘の上にSOVIEL、それは偽善だ
丘の上にSOVIEL、それは悪魔だ
丘の上にSOVIEL、誰も望まない
丘の上にSOVIEL……
 前作「ATOMIC BLUE」に引き続き、原発に疑問を投げかけようという曲だ。頭ごなしに反対というわけではないが、事が起こった時に停めるすべがないというのは、やっぱり欠格品ではなかろうか?素直に危ないという気持ちを持って何が悪いのだ。原発という利権に群がる人々の陰謀が渦を巻いているような気がしてならない。
 こわいのは、この年になるまで原発の事など意識してこなかったということだ。いつの間にかあった、のだ。
 それに同じ震災の被害者の振りをしているが、まき散らした事を少しでも隠そうとしたり、まき散らした物になんの責任も持たなかったり、世界共通の資産であるところの海に未だに高濃度の汚染水を垂れ流しているのは、人間としてどうなのだ。悪いという気持ちはないのか?
 それにしても原爆が落とされた日本に、原爆を落としたアメリカが原子力を売りに来るなんて、誰が考えただろう?「平和利用」という触れ込みにまんまと騙されたのだ。そして、偶然だとは思いたいが、手塚アニメの「アトム」は、原子力のイメージアップにかなり繋がっていないだろうか?ジム・キャリー主演映画の「トゥルーマン・ショー」のように日本人全員がトゥルーマンで、アメリカという国が作った撮影セットの国をさも本当の国のように思って、飼いならされているだけではないのか?
これは 星空文庫TOKYO EARLY 3 YEARS −1982年− を参照いただければと思います。まあ、かいつまんで言うとアマチュアロックバンドの名前です。

2012年1月17日火曜日

ATOMIC BLUE


ATOMIC BLUE
2011年
凍てついた君の瞳の
その先にあるものを許せない
心配などいらないし
むしろ街は潤うだろうと言ったのに

確かに人が溢れ、栄えてはいるけれど
隠してた危険と裏腹の繁栄

二酸化炭素を排出しないで
クリーンで安全、きれいごとを並べて
ひとたび事が起これば、収拾付ける
事さえ出来ずに逃げてばかりだ

輝いた君の瞳に
刻まれた哀しみは消せない
取り繕うだけの大人を
受け入れるしかできない現実

未来に残された傷跡は惨すぎて
広大な荒野に取り残されて嘆く

科学の力だ、平和的利用と
信じたばかりにこの様はなんだろ
政治や経済、何のためにある
駆け引きばかりに利用されている

どこまで行っても答えなどでない
巨額のプロジェクトはいったい誰のもの
いつまで待っても変わることはない
腐った絆に取り憑かれてる
 2009年1月に手術をして、2月には職場に戻り、大人しく過ごそうとしていた。昨年と違い明らかに覇気はなかった。上司の嫌がらせと戦いながらもやるせなくなって、転職なども考える。上司だけの問題ではなく、月10万円以上のマンションローンに脅威を感じていた。転職を避ける一つの方法があった。都内のマンションを売って、もっと田舎の安いマンションに移り住む事だった。
 つくばエクスプレスに魅力を感じていたので、思い切って茨城という選択が面白いと思った。次第に計画が実行に移されて2010年2月2日には引越が完了した。利根川より北というロマンがあった。
 2010年夏は、膝を痛めるアクシデントがあり、店舗業務を遂行できなくなり、本社事務職となり、茨城から蒲田まで通うという悪い環境の中、2011年3月に震災が起こり、トラブルに巻き込まれ始める。6月、24年勤めた会社を辞めて、疎開のため実家の富山に帰る。3ヶ月のデトックス生活を終え、戻るも職に就けず、音楽という懐かしい友に助けられ、原発に対する疑問を詩にすることで、久しぶりに新作を発表する。実に2年ぶりだった。
 2011年10月16日に「MUSIC TRACK」に発表された。
これは 星空文庫TOKYO EARLY 3 YEARS −1982年− を参照いただければと思います。まあ、かいつまんで言うとアマチュアロックバンドの名前です。

2012年1月8日日曜日

iCloud 移行?

mobile me を使い慣れて、8年ほど経ちますかねえ。サービスは今年の6月まで継続なんですが、やっぱりiCloudに移行した方がいいんでしょうが、Mac OSのバージョンは10.6.8です。バージョンアップしてLION(10.7.2)にするのは、2600円……金額は問題ありません。
ただそうすると、使えなくなるソフト(ロゼッタを使う奴)やデバイス(Audio インターフェース等)が出てくるので、よっぽどのメリットがなければ、返ってマイナス!
でもi-Pod touchはiOS5にしてるので、取りあえずWeb上では、iCloudに移行しました。今のメールアドレスも失いたくないし……。
だからMacとiCloudはリンクしてないので、アドレスなどの情報は、ブラウザでiCloud.comを開いて、手動でアップすれば、i-Pod touchにも反映します。あとは今まで通り、USBでi-Tunesと同期というスタイルを継続します。

長編小説「行き先不明の無限バス」

 行き先不明のバスに乗り込む女教師。それは実在のバスではなく、死に至る意識を乗せてゆくバス。途中下車出来なければ、行き先は果たして?乗り合わせた、サラリーマン、フリーター、女子高生、それぞれの運命はいかに?セクハラ教師に暴力団が暗躍する中、超能力、人格障害が物語を思わぬ方向へ……。


 数年前に1度アップされた後、いくつかの理由でお蔵入りになっていた長編小説「行き先不明の無限バス」をいよいよアップしました。

2012年1月4日水曜日

東京百景26「千代田区日本武道館」

武道館は、24時間テレビのイヴェントなどで、80年代に1度入館したことがあるが、コンサートで入場したのは、2008年11月19日のThe Who の単独初来日公演が初めてだった。

The Whoは、1965年にデビューしたロックバンドで、60年代と70年代に優れた作品を残している。1978年に彼らのドラマー、キース・ムーンが死去したことが、実質バンドに取っては終わりだったのかもしれない。

2002年には、彼らのベーシスト、ジョン・エントウィッスルも死去し、現在はボーカルとギタリストだけだが、精力的に、死んだ二人の分も活動しているように思う。

2004年、ボーカルのロジャー・ダルトリーと、ギターのピート・タウンゼンドが、横浜と大阪で初めて日本で演奏してくれた。ただこの時は、エアロスミスや他のミュージシャン達との音楽の祭典といったもので、単独来日今回の2008年が初めてだった。

この時、来日情報を得る事に遅れて急いでネット予約をしたが、横浜アリーナとさいたまスーパーアリーナは押さえたものの、17日の武道館はSOLD OUTだった。ところが19日の追加公演が決まり、迷ったあげく当日券の列に連なって参戦できた。

当日、3時頃現場に赴くと、まだ何の準備もされておらず、1番乗りとたかをくくっていたが、ちょっと眼を離した隙に、当日券売り場の準備が進行していて、私の前に一人明らかにそれらしい奴がいて、私は2番だった。

当日券なんで、2階席だったが、その中でも前列2番目で、ほぼ正面だった。当日券1番野郎は、隣だった。途中からずっと立ちっぱなしで、会場が一体となっていた。

感無量のコンサート終了時、当日券1番野郎と握手した。良い想い出だ!