ATOMIC BLUE
2011年
凍てついた君の瞳のその先にあるものを許せない
心配などいらないし
むしろ街は潤うだろうと言ったのに
確かに人が溢れ、栄えてはいるけれど
隠してた危険と裏腹の繁栄
二酸化炭素を排出しないで
クリーンで安全、きれいごとを並べて
ひとたび事が起これば、収拾付ける
事さえ出来ずに逃げてばかりだ
輝いた君の瞳に
刻まれた哀しみは消せない
取り繕うだけの大人を
受け入れるしかできない現実
未来に残された傷跡は惨すぎて
広大な荒野に取り残されて嘆く
科学の力だ、平和的利用と
信じたばかりにこの様はなんだろ
政治や経済、何のためにある
駆け引きばかりに利用されている
どこまで行っても答えなどでない
巨額のプロジェクトはいったい誰のもの
いつまで待っても変わることはない
腐った絆に取り憑かれてる
2009年1月に手術をして、2月には職場に戻り、大人しく過ごそうとしていた。昨年と違い明らかに覇気はなかった。上司の嫌がらせと戦いながらもやるせなくなって、転職なども考える。上司だけの問題ではなく、月10万円以上のマンションローンに脅威を感じていた。転職を避ける一つの方法があった。都内のマンションを売って、もっと田舎の安いマンションに移り住む事だった。
つくばエクスプレスに魅力を感じていたので、思い切って茨城という選択が面白いと思った。次第に計画が実行に移されて2010年2月2日には引越が完了した。利根川より北というロマンがあった。
2010年夏は、膝を痛めるアクシデントがあり、店舗業務を遂行できなくなり、本社事務職となり、茨城から蒲田まで通うという悪い環境の中、2011年3月に震災が起こり、トラブルに巻き込まれ始める。6月、24年勤めた会社を辞めて、疎開のため実家の富山に帰る。3ヶ月のデトックス生活を終え、戻るも職に就けず、音楽という懐かしい友に助けられ、原発に対する疑問を詩にすることで、久しぶりに新作を発表する。実に2年ぶりだった。
2011年10月16日に「MUSIC TRACK」に発表された。
つくばエクスプレスに魅力を感じていたので、思い切って茨城という選択が面白いと思った。次第に計画が実行に移されて2010年2月2日には引越が完了した。利根川より北というロマンがあった。
2010年夏は、膝を痛めるアクシデントがあり、店舗業務を遂行できなくなり、本社事務職となり、茨城から蒲田まで通うという悪い環境の中、2011年3月に震災が起こり、トラブルに巻き込まれ始める。6月、24年勤めた会社を辞めて、疎開のため実家の富山に帰る。3ヶ月のデトックス生活を終え、戻るも職に就けず、音楽という懐かしい友に助けられ、原発に対する疑問を詩にすることで、久しぶりに新作を発表する。実に2年ぶりだった。
2011年10月16日に「MUSIC TRACK」に発表された。
これは
星空文庫
の
TOKYO EARLY 3 YEARS −1982年−
を参照いただければと思います。まあ、かいつまんで言うとアマチュアロックバンドの名前です。
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