2013年5月20日月曜日

ローン生活13年の歴史 −6−

ローン生活13年の歴史などと書き始めてしまったが、それはイコール再婚の歴史である。

そしてもう一つは受難の歴史だったとも言える。
もし結婚してなければ、一人で受け止めていただろう。

再婚によって、会社は今一度私にチャンスをくれたのだと思う。
府中でくすぶっていた私に渋谷への異動命令が下る。

今思うと、そんな器ではなかったんだと思う。確かに店長経験者ではあった。
30代前半は、自分でもいくらか出来る男だと自負していた。
3年半店長をしている間に自身に満足してしまったか、どこかで成長する術を忘れてしまったようだ。

期待されて、渋谷のNo.3のポジションについたが、下からの突き上げに屈して、次第に窓際ポストに移動していった。

そんな私にさらに会社はチャンスをくれたが、これも乗り越える事が出来なかった。
2001年暮れのことだ。
江東区森下とは目と鼻の先、2002年1月からの錦糸町への異動、そしてまたもNo.3のポジションだった。

錦糸町への異動は、府中から渋谷の異動の比ではない。
それは距離ではない。当時東西南北の営業部体制を取っていた会社において、渋谷も府中も同じ西部営業部だが、錦糸町は千葉と同じ東部営業部になるのだ。
営業部を越えるのは、正直ストレスが半端ない。

しかしながら、ストレスが強いと結構頑張ってしまうもので、No.3からNo.2へ上る位置まで一度は這い上がった。

そこに店長が副部長に昇進する話がわき上がった。そして新たに千葉から新店長赴任という話が持ち上がった。

この政治的な動きの中で、もし私に実力が備わっていたら、多分No.2として3、4年はそこにいただろうが、翌2003年は、島流しのように千葉に葬られた。

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