2013年5月23日木曜日

ローン生活13年の歴史 −9−

2005年上野に来たあたりから、次第に呪縛から解放される。

とにかく職場での辛かった日々はいったいなんだったんだろうと思うが、極度に管理化された空間では生きにくかったというしかあるまい。

2000年から2001年の渋谷、2002年と2004年の錦糸町は、私のような実力のないものが管理職など勤められるわけがなかったのだ。

それでも働かざるを得なかったのは、やっぱり住宅ローンのせいだと思う。

とにかく管理職を降りた事が一つ呪縛解放に功を奏したと思われるが、収入ダウンが誤算ではあった。ただ天秤にかければ、しょうがないというしかなかった。

上野店は、上司に恵まれ次第に本来の自分を取り戻していったように思う。

この上野店勤務、後の生活に大きく影響を与えたことが多々あった。
その一つ、2000年12月に開通した大江戸線による通勤初体験だった。

ちなみに渋谷勤務は、都営新宿線森下→神保町で東京メトロ半蔵門線に乗り換え。
2002年錦糸町は、森下→錦糸町を都営バスを利用した。
2003年千葉は、都営新宿線森下→馬喰横山で乗り換え(JR馬喰町)総武線快速。
2004年錦糸町は、この年半蔵門線が錦糸町の先、押上まで伸びたのでこれを利用する。都営新宿線森下→住吉で半蔵門線に乗り換え一駅。

そして2005年、都営大江戸線森下→上野御徒町という乗り換えなし通勤だった。

2005年はつくばエクスプレスが開業した年だが、都営大江戸線の新御徒町で乗り換えることができるのだ。

そして上野店の所属グループが総武線でなく、常磐線利用の支店ということもあり、このつくばエクスプレスを使う場面があったのだった。(2010年守谷に引っ越す動機の一つになったか)

毎日上野に通えば、その界隈には強くなるものだ。
2007年、東大病院に入院することになるが、上野とは目と鼻だった。その辺りの地理に詳しくなれたのも良かったと思う。


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