2013年6月3日月曜日

ローン生活13年の歴史 −13−

タイトルに13という数字が入ってるので、今回(-13-)でまとめよう。

江東区の森下から、2010年2月2日に茨城県守谷市に引っ越した。奇しくも2月2日は守谷市制が施行された記念日であり、その年が8年目だった。

この守谷への引越は何もかもが大正解だった。どこへ行っても何をやってもWelcomeだった。ロックシティ、ジョイフル本田、守谷トンネル、国道246、守谷市役所、もこバス、つくばエクスプレス、新大利根橋など引っ越したとたんに有料解除になった。

そして遷り住んだ高層マンション……広いリビング、オーダーで作ったカーテン。フロントでコーヒーなど販売していたり、敷地内にはセブンイレブンもあったし……。

出会う人々も悪意のある人はなく……ところが!

星空文庫の「2011年夏、疎開」を参照あれ!>

2011年3月の東日本大震災が重くのしかかっている。特に原発だ。
富山にはいつか帰るはずではあったが、こんなに早くその日が訪れようとは!

2011年の3ヶ月間は、とにかく今の富山を把握して、住むにはどうだろうか考える事になった。課題は住むべき場所だった。

問題を先送りするつもりはなかったが、疎開を終え守谷に戻って、ハローワークに行った。失業保険の手続きがまだだったからだ。そしてそこで技術を磨くべく国が提供している専門校を知る。これは意味のある出会いだったと思う。

というわけで2012年1月から6月は、学校に通うために確実に守谷にいることになった。これが功を奏して第2種電気工事士を取得する。まあ就職にはなんの影響も持たないのではあるが……。

そしてまた夏がやってきた。
答えを出さなくてはならなかった。まずは住処だ。
不思議なもので、昨年なかったものが、突然現れる。少々古いが、場所といい、広さといい、金額といい(退職金でまかなえる金額)、うってつけの物件。

これを購入するための活動が始まる。
一度守谷に戻って転出処理を住ませ、8月に再度富山に来て、転入して富山県民になるのだ。そして数日後に売買契約を住ませ、多少リフォームしてもらうことに……。
再度守谷に戻り、マンション売却活動を始め、引越を敢行する事になる。それは結局9月になってしまった。

マンション売却活動は、某不動産会社に任せて(森下売却と同じ業者)、富山における自分の足場を固めようと、就活に専念する。

就職の話はまた別の所でするとして……とにかく、眼鏡屋は10月21日から翌年2月20日という4ヶ月だけのもんだった。次の仕事は4月から働き始めたが、今まで全然いい話のなかった売却活動が好転したのが、新しい仕事を始めて半月後だった。

4月21日は、売買契約が成立。2300万で買った守谷のマンションは2290万で売却。購入して3年経っていたが、値崩れなしという素晴らしい結果だった。

さて、それを持って私のローン人生は終わるのだが、これから待ち受ける試練もひしひしと感じている。ゴールなんてないのだ。走り続けるしかない。それは50歳を過ぎてもなお……なのだ。





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