1995年、入社8年目にして、比較的大きな人事異動があった。
吉祥寺から渋谷というエリア外の異動。
結婚3年目で34才、脂が乗っていて、仕事ができる!(多分)と見込まれたか?
いわゆる出世コースに乗った感じだったが、今の環境に馴染んでいたため、ものすごいストレスだった。いままでエリア内の移動は数回あったが、店が変わっても一緒に働く同僚は変わらなかったりしたのに……。
知らない人が9割占めるような環境なんて……(結構人見知りだった)
その頃の渋谷エリアは、航空母艦的な渋谷店をメインに飯田橋、代々木、そしてなぜか東横線の綱島の計4店舗だった。
各店舗にはそれぞれ店長がいて、店長が休みの時は母艦から店長代理を行かせるというシステムだった。
という理由で各週飯田橋に応援に行っていた。
当時の店長M氏は、実は今でもFaceBookで親交があったりする。
飯田橋店はもちろん初めてだったから、多分引き継ぎだったのかM氏と働いたことがあった。
眼鏡店は、イメージに反して忙しいのだが、もちろんそうでない時もある。多分今なら出勤してから店を出るまでタバコは吸うなと言われるかもしれないが、当時は、タバコ休憩など適当にとっていた。もちろん人によっては厳しい人もいたが、お互いその辺はアバウト(ですよね)だったと思う。
店内にお客さんが一人もいない。通常、フレームを拭いたり、掃除をしたりして、Welcomeの雰囲気を醸し出そうとするところ、M氏がテストレンズを使って何かしている。
テストレンズは、近視なら凹レンズ、遠視なら凸レンズで強弱数種類が、検査台に格納されている。
両手に1枚ずつテストレンズを持ち、片方を眼前に配置し、もう片方をその前で遠ざけたり近づけたり……なるほど、望遠鏡!
視線の方向に神楽坂の交差点があった。
「あの角から2番目のピンクの……」
さっそく交代した私の目に飛び込んできた、なかなか綺麗なお嬢さん……。
「いいですよねー」
「そうですねー」
私は、この人に巡り合えてよかったと思いました。
(これを書いている2016年1月、上記渋谷店と代々木店がなくなっているのは寂しい限りである)
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