2025年6月24日火曜日

東京百景58「新宿歌舞伎町」

  随分仕事をしていなかったので、生活費が底をついてくる。アルバイト雑誌を買って面接に行き断られる、を数回繰り返して、直接募集広告が出ていた歌舞伎町の同伴喫茶に入った。24時間営業中、募集時間帯は16時から24時までの8時間。夜学の時間と重なるのだが……。とりあえずすぐに雇われた。

 小田急線百合ヶ丘に住み、新宿をターミナルとしていたから新宿ならどこでもいいかという感じだった。最終電車が確か24時20分くらいだったので、仕事帰りはどこに寄ることもなく、慌てて駅まで走った。

 仕事内容は接客で、受付、案内、オーダー、精算という流れをすべて一人でこなしていた。同伴喫茶だから一人では入れず、男二人も入れず(今の時代ではどうなんだろう)、基本男女カップルを個室(ビルのワンフロアを8部屋とか適当に仕切って、テレビ、ソファー、テーブルがワンセット)に案内してオーダーを取る。コーヒーやアイスコーヒーは、出来てるのを沸かしたり、氷を入れたりして出すだけだし、ビールは小瓶で栓を抜き、コップを一緒に持っていくだけだった。レモンスカッシュはレモン果汁、ガムシロップを炭酸で割るとか、ジンフィズ等は、リキュールを炭酸で割ったりするとか、難しくはない。一人ワンオーダーで1300円だったかな。ドリンク代に部屋代を含めた感じだ。平日は時間制限がない。まず満室になることはないからだが、土日はもちろんのこと平日でもバレンタインデーは忙しかった。時間制限を設けることになる。

 いろんな事があったが、一番の事件はヤクザに殴られたことだ。これは私の受け持ちの時間帯ではなく深夜のことで、なぜ深夜かというと0時から8時までの引き継ぎが何故か来なかったりする。マネージャーという責任者に電話すると、そのまま朝までお願いできるかと言われ、気のいい私は16時間労働を受け入れるのだった。

 深夜は、私の持ち時間以上に人が来ない。閉めてもいいくらいだと思うのだが……。そんな時に余計な輩がやってくる。二人組のヤクザが覗かせろというのだ。一応丁重に断るも無理矢理入ってくる。警察に電話するふりをしてみても埒が明かず、頭に血が昇ってしまった私は、声高に「出ていけ!」とおよそ自分に似つかわないことを言った。相手は「顔色変えやがって、表に出ろ」と言い、流れのままエレベーターホールに出るとスタートの合図もないまま、二人がかりで私を殴りつけ、うずくまった私をさらに蹴り続け、動けないと見限るや「わかったか!」と捨て台詞を吐いて帰っていった。

 そのままゆっくり起き上がり、仕事に戻った。まあ客もおらず、新たに来る気配もないまま朝を迎えたが、マネージャーが私の顔を見るなり、何があったと事情を聞き始めた。確かに鏡で見るともすごく腫れ上がっていた。

 新宿警察署に被害届を出しに行った。事情を説明する時はまるでこちらが加害者のような取り調べを受けた。もちろん犯人などは上がらない。ここは新宿歌舞伎町だからねえ……。


2025年6月6日金曜日

東京百景57「水道橋」

 本文の前に少々……

前回、東京百景56から約6年の歳月が流れ、ここにきてなんとか100を達成したいという欲望に駆られ、残り44をライフワークとして出来れば1年以内に完結し、時系列で並び替えてみたいと考える。だから今までのように思いついた順というよりも、19歳の上京当時に遡ってその順番に今まで出なかったエピソードを紹介しようと思う。


19歳の春、専門学校に通うために上京した。当時は東京写真専門学校といった。今は名前が変わってるらしい。残念ながら1年で中退したし、夜間だったので大した思い出はない。最寄りの駅は当時まだ国鉄の水道橋駅だった。お茶の水とほぼ中間だからどっちからでもいけそうだけど、定期は神田神保町にした。

以前20代初期の思い出を小説にしようと試みたことがあって、その中からの引用を紹介しようと思う。


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学校の方はたまに顔を出していたが、特に身が入らず中途半端な感じだった。スタジオワークの実習で、放送番組を制作することになった。やはり実習となると興味がわいた。一三人のクラスを二つに分けて互いに競いながら、ラジオ番組のように音楽を流しナレーターが詩などを朗読するようなものを作っていった。いわゆるフェイドイン・フェイドアウトの練習といったところだ。

 さて、まずイメージを描こうと班員の誰もが思ったのは、「ジェットストリーム」。当時のFM放送で人気の番組だった。ナレーター城達也の心地よい癒しの声と、気の利いた小話、当時フュージョンと呼ばれた曲達とのコラボレーションワールド。我々の班は七名で、クラスでただ一人の女性が同じ班にいた。必然的にナレーターが決定した。本人も満更でもなさそうだった。


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その女性とたまに駅まで一緒に帰ったりしたが、特に進展はなくただそれだけだった。