2012年7月2日月曜日

東京百景33「杉並区方南町」

東京百景、振り返って、まだ残っていた方南町。22歳から8年過ごしたこの町を忘れていたわけではけしてない。ちなみに39歳から10年過ごした江東区森下が今では最長だが、感受性の強かった20代を8年も過ごした方南町のすべてを書き記すには、このスペースはどうだろう。

オリジナル小説「ゼームス坂マンションストーリー」にある通り、方南町にやってきたのはアルバイトの面接がきっかけだった。

電気工事は半年、照明器具の配達も数ヶ月と仕事が続かない中、知り合いの紹介でボイラー管理(これは資格は要らず代表者が一人持っていれば良かった)を始める。これは仕事が楽だったせい
か、1年以上も続いた。

この頃、好きな女の子がいて、こんな年寄りじみた仕事をしていては駄目だ、と思い退職する。しかしながらまたも転職の旅となる。

結局、27歳の時に眼鏡店に就職するも、その好きな娘はとうに他の男のもとへ嫁いでいた。

さて、この方南町、電気工事会社の寮に数ヶ月いたあとは、泉南中学校(後藤久美子の出身校らしい)の正面にあった「桜荘」というアパートに3年ほどいて、後に「堀ノ内ハイツ」に5年ほど住む。桜荘は4畳半で、玄関とトイレ共用という貧相な環境だったが、オリジナル曲を数曲産み出した。堀ノ内ハイツは、初のバス付きのアパートで家賃は倍になったが、初のベッド、洗濯機のある生活をおくることになった。CDデッキ、ビデオデッキ等もこの頃初めて購入している。人生の上り坂だったのだろうか!

30歳になったのを機に調布の方に引越を計画するが、方南町は故郷と呼んでも良い場所の一つかもしれない。

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