2011年11月19日土曜日

東京百景16「世田谷区代沢1丁目バス停付近」

1983年の春頃、上京後5番目のアルバイトは、東京日光堂というカラオケテープの卸屋だった。

 上京して最初に住んだのが、小田急線の百合ヶ丘だった(全然東京じゃない……)。新宿でアルバイトする事が多かったが、ここで初めて梅ヶ丘という駅で乗り換えする。それも初めてバス併用通勤だ。バスも小田急で、当時定期は、成城学園駅の南口とかに行かないと買えなかったと思う。

 カラオケBOX登場の少し前、媒体は8トラックテープで、業界大手の第一興商を追い越せというのが目標だったのではなかったか。ちなみに1988年カラオケルーム「ビッグエコー」、1994年通信カラオケ「DAM」と第一興商は常に時代をリードしてきたし、同業者が合併、撤退を繰り返す中、現在も第1線から退いていない。

 東京日光堂、今や検索してもなんの痕跡もないが、私服だったし、髪型も自由だったし、なんとなく業界風な職場だった気がする。淡島通りの代沢1丁目というバス停から歩いて、脇道に入った所にあった。

 販売会議にもアルバイトの分際で参加していた。
「3年目の浮気」で有名なヒロシ&キーボーの新曲「5年目の破局」っていうのが、発売されるんだけど、売れるかどうか?という命題だったろうか。満場一致で「売れる!」と大量注文をかけたが、結局売れなかった。

 そこでの仕事は、取引先にテープを発送するために、注文書を見て、一通り揃えて箱詰め、梱包し、宅配業者に渡す、というものだった。取引先は、クラブやパブやスナックといったところで、酒を飲みながら、余興で歌うといったスタンスがその頃のカラオケで、曲目も演歌がほとんどだったが、村下孝蔵の「初恋」や上田正樹の「悲しい色やね」もあった。


 社員旅行で大島まで連れて行ってもらったのに、また悪い病気で出社拒否をして、わだかまりを残したまま、辞めてしまった。もし覚えてる方がいたら「ごめんなさい」
 
 そして夏になり、新しいバイトを求めて、杉並区の方南町へ行くのだが……(興味がある方は、星空文庫「ゼームス坂マンションストーリー」をご覧あれ!)

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